2011年新シリーズ「突破力――社会と女性たち」第2回

第2回 訪問看護の第一線で人生の終末に“やすらぎと安心”を

医療法人社団三喜会 ケアタウン「あじさいの丘」 居宅サービス部統括部長 和田洋子さん

医師や家族の意向ではなく患者の思いを

一人の人格をケアするとは、最も深い意味でその人が成長すること、自己実現することを助けることである――『ケアの本質』の著書で知られるM・メイヤロフの言葉である。
「訪問看護はニーズがあれば真夜中でも出動します。訪問先では一人で判断し、行動しなければなりません。看護の力量が試されます」「人をケアすることはその人のためだけでなく、自らの成長のため。メイヤロフの言葉がどれほど力になったことか……」と和田洋子さんが語った。

和田さんが医療法人社団三喜会(荒井喜八郎理事長)の依頼を受けて神奈川県秦野市で鶴巻訪問看護ステーションを立ち上げたのは15年前の1996年8月。それ以来、このメイヤロフの言葉を胸に刻んで、在宅ケアが必要な患者と家族に、さまざまな専門スタッフと協働しながら医療・看護・介護のサービスを届けてきた。

死を見つめる訪問看護の日々

「患者さんは病院を選べません。また、いかに素晴らしい病院であっても自宅に勝るものはないと思っています」

病院は社会から隔離された世界だと、和田さんは語る。病気の治療には目を向けるが退院後の生活や患者が求める心の平穏までは考慮しない。

現在の医療制度で決められた入院期間は約2週間だ。先の見通しがないまま、「明日、退院しましょう」と言われても、患者の多くはそれに戸惑うばかりなのだ。
和田さんが「地域医療をやろう、訪問看護をやってみたい」と考えるようになったきっかけもそこにあった。

「制度のないときから訪問看護を行いました。初めは患者にご飯をつくって食べさせたりもしました」
なぜ、看護師がご飯づくりをするのかと批判も受けた。食べなければ健康な人でも具合が悪くなる。まして患者に食べさせなかったら健康を取り戻せない、と説得した。

「年寄り夫婦同士の老老介護の場合、どちらも高齢者ですから、ご飯をつくるだけでも一苦労なのです。昨年の夏はすごく暑かったでしょう。脱水症状を訴える高齢者が多かったのです」
冷蔵庫に飲料水があっても、ペットボトルのフタを開けられなかったケースもあった。
「水を冷蔵庫の中に用意するだけでは不十分です。フタを開けられない高齢者がいることを認識できない看護師では、訪問看護は務まりません」
訪問看護は、地域社会の中で生きている人が対象だ。その人の望むようにどこまでかかわれるかが問われている。

「終末期のがん患者であっても、お酒が飲みたければ飲ませます。1週間くらいしか生きられないと分かっていても、ご本人が望むならば、お風呂に入れてもよいと思うのです」と和田さん。
ときにはお医者さんにも議論をふっかける。
だが、そんな和田さんにも大きな後悔が1つある。

「地域医療をやるために夫の了解を取り付けて茨城から神奈川に単身赴任しました。ところがその夫が54歳の若さで倒れ、帰らぬ人となりました」
鶴巻訪問看護ステーションの立ち上げから6年後の2002年のことだった。

「夫を亡くす前の私はいまから考えると傲慢だったと反省しています。長い看護経験の中で、苦しみも、悲しみも、それなりに理解できると思っていたのですが、いざわが身がそうなると、苦しみや悲しみはその人にしか分からないことだと知りました」
なにも出来なくても、そばにいて分かろうと努力するだけで、人の痛みや苦しみを和らげることができる、と和田さんは語る。

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