被災地からの報告

大津波に立ち向かった松林“奇跡の一本松”に再生への願いをこめて

国際森林年記念シンポジウム「海岸林を考える~東日本大震災からの復旧・復興に向けて~」から

津波に呑まれた7万本の松

第一波の津波で細い松や小さい松は、根元から巻き込まれるように流れ出し、それが大きな松に当たり、太い松をも倒すことになりました。あとは強い引き波で、一旦とどまった松も倒れていったということです。地元の人たちの話を聞くと、おそらく第一波で壊滅的な被害を受けたと思われます。悲しい事実ですが、流失した7万本の松*は、市内各地に流れ込みました。津波とともに遠くの遠くの奥の方まで松は流れ込んでいます。

*その後、倒れた松はボランティアの手によって薪として販売され、町の復興に役立っている。

多分、かなりの家を壊したかもしれません。チリ沖地震の際には被害を軽減した松ですが、今回は被害を拡大し、市民にも迷惑を掛けたようです。ただ、市民のだれ一人として松林が悪いと口に出す人はいません。それほど市民は松原を愛していたのです。

“奇跡の松”に込められた思い

唯一生き残った一本の松

実はたった1本ですが、松の木が残りました。枝がかなり上の方にあったため倒壊を免れたもののようです。松原の端っこの方にありました。細く見えるかも知れませんが、3人くらいでないと手をまわせない大きさです。これが“奇跡の1本松”と呼ばれる松です。市民が保護活動に立ち上がって、われわれの希望の星になっています。

全国からも「希望の松を枯らすな」というご声援をいただいていますが、当初青かった松葉が次第に茶色に変色しています。いつか枯れるのではないかと心配しています。

松の先端にある穂木を他の木に接ぎ木をして、100本ほど接ぎ木をつくりました。それが何本か成功したということですので、クローンが生き延びていく可能性があります。私たちは、このクローンの松を中心にいつか高田松原を再生させたいと思います。今はこれがただ1つの励みです。

防災という名の下にコンクリートで固められた防潮堤を安易につくることを、私たち市民はよしと思っていません。いまは21世紀にふさわしい自然と融合させた新しい方法で高田松原を再生できないか考えています。高田松原の再生にご協力よろしくお願いします。 (2011年6月)

写真は、「高田松原ものがたり」(有)高田活版から。

佐々木 松男さんの略歴
1950年陸前高田市生まれ。幼い頃から松原に親しむ。1960年にチリ地震津波を経験。1989年から有限会社高田活版代表取締役。高田松原を守る会・幹事、陸前高田ロータリークラブ・幹事、陸前高田竹文化振興会事務局長。

※本原稿は、6月22日に行われた国際森林年記念シンポジウム「海岸林を考える~東日本大震災からの復旧・復興に向けて~における佐々木松男さんの講演を当編集部で編集しました。文責は当編集部にあります。

関連記事
国内企業最前線「医療の現場と連携した薬剤師たちの奮闘」はコチラ↓
http://csr-magazine.com/2011/07/11/national-reports-pharmarise/

ブックレビュー「日本林業はよみがえる 森林再生のビジネスモデルを描く」はコチラ↓
http://csr-magazine.com/2011/03/28/cinema-books-review-nihon-no-ringyo/

「復興への”土台創り”は地元の技術と雇用で解決する」はコチラ↓
http://csr-magazine.com/2011/05/24/from-sendai-ecoharmony/

トップへ
TOPへ戻る