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きらきらした目が待っていた
中国での学校建設から10年の区切りを迎えた
JR東労組東京の海南島訪問の旅


歓迎の声の中で

中国最南端に位置する海南島。日本の九州にほぼ匹敵する面積だが、一年中温暖な熱帯海洋性気候により中国のハワイと呼ばれる。
その海南島の中心都市・海口市から高速道路で2時間、さらに山間部の道路を走って1時間の村にその学校は建っていた。
七差郷緑之風希望小学校である。
4月10日、学校正門と校舎の間の通路は600名の生徒で埋め尽くされた。日本から訪ねてくる客人たちを迎えるためだ。
朝10時。バスが到着すると、「歓迎! 歓迎!」と叫ぶ生徒たちの歓声が周囲の山々にこだました。
東日本旅客鉄道組合東京地方本部(以下、JR東労組東京)の12名と女優の十勝花子さんの一行が到着したのだ。
「子どもたちの目がきらきらしているのに驚きました」
参加者たちの共通した第一印象である。
日本からもっていった紙風船や折紙に目を輝かせる子どもたち。なかには、もらったばかりの折紙を机の中にそっと仕舞い込む子もいる。家で待つ幼い兄弟姉妹に持って帰りたいのだろう。歓迎式典は、この地特有のバンブーダンスで大いに盛り上がった。

きっかけは加害者としての反省

中国・海南島で七差郷緑之風希望小学校の竣工式が開かれたのは1999年11月。今から10年前のことである。
きっかけは、JR東労組が開いた中国研修の旅にあった。
東北地区(旧満州)を訪ねた折に招いた老婦人が、平頂山事件(中国遼寧省の撫順炭鉱守備隊が平頂山村落の住民を虐殺したとされる事件)について語った。そして、
「皆さんは戦争経験もないから責任はないだろう。でも二度と戦争を起さないためにも行動を起してほしい」としめくくった。 
「(戦争の)加害者としての歴史に無頓着すぎたかも知れない」
当時を振り返って、JR東労組東京の鳴海恭二委員長が語る。
中国から戻った組合員の中から「自分たちにできることをやろう」という声が高まり、中国での学校建設に立ち上がった。
組合員たちが毎週一人10円を目標にカンパを行うとともに、街頭での募金活動を始めた。それに賛同して協力したのが十勝花子さんである。
JR東労組には12の地方本部があり、これまでに中国各地で19の学校建設に協力した。なかでもJR東労組東京は、河北、北京郊外、内蒙古自治区、そして海南島と4つの学校建設に資金を手当てした。

毎年続けられた交流

「学校建設をただのプレゼントに終わらせてはならない」
JR東労組東京では、子どもたちや教師との交流に力を注いできた。学校を「日本と中国の理解を広げる“場”に」という熱い思いがあったからだ。
海南島は、670万人を数える漢族のほか、120万人のリー族、7万人のミャオ族など37の少数民族からなる。この10年で、島の最南端の三亜地区と呼ばれる海岸線一体には世界の名だたる高級リゾートが立ち並び、経済的な恩恵を受ける住民も増えている。
だが、リー族が住む七差郷一体は、今も10年前とほとんど変わらず、海南島でもっとも貧しい地域のひとつとされる。
交流の場で教師の一人がぽつりと語った。
「子どもたちの学力が思うように伸びない」
学校に通う子どもたちの数は、10年前の300人から600人と2倍になったものの、授業時間が終わると今も生徒の大多数は農作業に狩りだされるという。
「中国はオリンピックを開催できるほど豊かになりました。でも貧富の差が広がっていることも事実です」(鳴海委員長)

昨年、海南島を襲った台風で、七差郷緑之風希望小学校の窓枠も大きな被害を受けた。だが、窓枠の修理にとカンパを携えていったところ窓枠は全部直っていた。
「それなら校庭の整備に使ってください」
10年という歳月は、1つの区切りを告げてもいたようだ。