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働きすぎで死んではいけない
仕事のストレスからあなた自身を守るために
『過労死サバイバル』の著者・上畑鉄之丞さんに聞く


Q:先生は過労死という言葉を広めた方だとうかがいました。過労死という言葉はどのようなところから生まれたのでしょうか。
上畑 1972(昭和47)年に杏林大学医学部に勤めはじめたのですが、もともと産業保健を専門にやりたいと考えていました。翌年に第一次石油ショックでそれまで続いていた高度経済成長が一気に瓦解し、企業倒産が増加する中で労働者の解雇やレイオフ(一時解雇)が多発しました。その頃から、40代後半くらいの中高年労働者の中に、持病の高血圧症を悪化させて脳卒中や心筋梗塞などの病気で死亡する人が目立つようになりました。そのうち、「せめて労災補償金だけでも…」と労働組合の担当者に付き添われて大学の研究室を訪ねてくる遺族が増えてきました。遺族の方に話を聞くと、「あんな無理をしなければ…」と病気の原因が“働きすぎ”にあることを示唆していましたので、いつの頃からか過労死という言葉を使うようになりました。

Q:初めは学会で発表されても珍説扱いをされたようですね。
上畑 1978(昭和53)年に長野県松本市で開催された第51回日本産業衛生学会で初めて公式に過労死という言葉を使った発表を行いました。いろいろな職業・職種の中から脳血管疾患や心筋梗塞が発症して死亡した例を集めて分析すると、「深夜労働」「長時間労働」「責任の重い労働」「密度の高い労働」といった何らかの促進要因によって高血圧や動脈硬化などが悪化し、重い急性循環器障害を引き起こすというものでした。私はこうした一連の結末を「過労死」と呼んではどうかという提案を行ったのですが、学会の反応はいまひとつでした。なかには、妙な珍説を言い出すと冷笑する人もいました。ところがそれとは逆にマスコミからの反響が高まり、まもなく東京や大阪の弁護士さんたちが、働きすぎが原因と思われる死亡を労災認定せよと「過労死110番」を行ったものですから、テレビにも取り上げられるようになりました。

Q:当時、過労死による労災認定のハードルは高かったのでしょうか。
上畑 “働きすぎ”との関係で循環器疾患の労災認定基準がつくられたのは1961(昭和36)年です。しかし、当時の基準は、発症直前の24時間、またその後の76年の改訂では1週間にわたって過重な労働をしたということが医学的に照明されないといけないというものでした。当時の労働は肉体労働が中心でしたから国の基準も「災害主義」で、「疲労と過労」との関連は、長時間の疲労の蓄積や精神的な負担の継続のみでは認めがたいということでした。労働省の監督官の丸秘基準では、1日8時間労働×2倍で1週間7日間の労働というものでした。いくらなんでもそのハードルは高すぎます。
それと認定されるには労働基準監督署、都道府県の労働局、中央労働保険審査会の3つの審査機関をクリアする必要があり、そのうち裁判で行政訴訟を起こす方が現実的ということになりました。その後、国も一部弾力運用を行いましたが、慢性的な職業ストレスに対する認識は依然として厳しく、なかなか認定件数は伸びませんでした。やがて最高裁判所で国が敗訴するケースが2件ほど生まれ、2001(平成13)年にようやく認定基準の大幅な改定となりました。残業による疲労の蓄積が脳卒中や心筋梗塞の引き金になりうると初めて認められました。

Q:新しい基準をもう少し詳しくお話いただけますか。
上畑 2001年の認定基準で初めて「長時間にわたる過重労働」が認められました。長時間労働の目安として、発症前1カ月でおおむね100時間を超える時間外労働か、または発症前2カ月間ないしは6カ月間にわたって1カ月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合としています。
これによってそれまで年間80件前後だった認定数が300件に増えました。ただ、この新認定基準にも問題がないわけではありません。わが国の労働時間の統計は、残業代を払った労働時間を正規の残業時間としていることから、最近のように報酬無しのサービス残業の扱いがしばしば問題になっています。これについては、経済企画庁の研究者の報告も「年間の総労働時間はもうひとつある」と統計に疑問を投げかけています。国は現在、残業は月45時間を超えないことを目安にすべきだと言っています。

Q:過労死のほかに過労自死、つまり自殺も無視できない状況です。特に最近の発表では30代・40代の自殺が増えているとのことですが、こうした社会の風潮をどのように見ていますか。
上畑 警察庁の統計では、1998(平成10)年から3万人を超えました。初めは私も一時的なものと考えていましたが、今年で11年連続3万人を超えています。最初のころは40代や50代の男性が多かったのですが、今年は30代もほぼ5千人の大台に届きそうな勢いです。長時間労働やストレスのほかに、上司などからのパワーハラスメントが増えているようですね。バブル後、わが国でも成果主義が採りいれられ、職場環境がぎすぎすしていることもひとつの要因なのでしょう。

Q:過労死あるいは過労自死から自分を守るにはどのような方法がありますか。
上畑 まず、ただ働きの労働をなくすことでしょうね。企業も労働組合もモラールが低下していますが、残業にお金がかかるということが浸透すれば、もう少しきちんと対応するはずです。欧米で過労死が少ないのは、企業戦士という風潮が少ないことに加え、残業をすれば費用がかかるという前提が生きているからです。それと休暇をきちんと採れるようにすることも大切です。80年代に、ある企業の産業医を勤めていましたが、企業の健康保険組合の理事の方々と、従業員にどうしたら健康に仕事をしてもらえるかというテーマで議論しました。結論は、年1回の健康診断で異常は見つかるが入院するほどでもないという人たちに、ゆったり休養をとってもらおうということでした。野沢温泉(長野県)の旅館や村にも協力をいただき、1週間、酒とタバコ無しの保養実践セミナーを開催しました。健康な青い山を眺めながら、温泉に浸るだけで参加者は見違えるように元気になりました。
バブルが弾け、多くの企業が福利厚生などの余裕をなくしていますが、よいことは続けたらと思います。
ついこの間、台湾に招かれ、過労死について講演をしました。台湾と韓国の方が参加していましたが、どちらの国でも過労死は増えつつあるようです。真面目に働きすぎるということ自体、東洋的な風土が影響しているのかも知れません。こうした国々との連携も大切にしたいものです。

上畑鉄之丞
1965年、岡山大学医学部卒業。同大学院修了後(医学博士)、73年に杏林大学医学部衛生学教室助教授(1987年3月まで)。1987年に国立公衆衛生院に移り、室長、部長を経て、次長に就任。2002年から聖徳大学教授を務める(2007年まで)。2005年に過労死・自死相談センターを設立。現在、国立公衆衛生院名誉教授、日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長。著書に『過労死』(労働経済社)、『過労死とのたたかい』(新日本出版社)、『過労死の研究』(日本プランニングセンター)、『過労死サバイバル』(中央法規)ほか。