今は昔の証券市場では、「社会貢献」は投資家にとって保有株式の売りのきっかけになったものである。つまり当時の株主から見れば、そんなことに精を出すくらいなら、もっと儲けてくれというわけである。経済学者ミルトン・フリードマンも企業価値向上に役立たない社会貢献に対しては、どちらかと言えば否定的な見解をもっていたようだ。利益をあげて税金さえ払っていれば、企業は社会貢献しているという意見も多かった。企業が利益の極大化を図るだけの存在だとすれば、確かにそうしたことに使う費用は無駄な費用に見える。
しかし、ここ40年くらいで世界の経済社会環境は大きく変わってきた。現在では、企業はその経営の根幹に、いわゆる「CSR(企業の社会的責任)」を取り入れざるを得ない状況になった。その変化を促してきた背景には、大きく3つのものが考えられる。世界(および日本)経済の変化、社会的な変化、そして証券市場における(投資家との関係=「IR(Investors Relations)」に関する)変化である。そこで本稿ではそれらについて、日本を中心にここ30−40年の世界の変化について振り返って考えてみたい。
ここ40年間の世界経済の変化を大まかに振り返ると、70年代に入ってのオイルショックをきっかけに世界経済の成長が急速に鈍化、日本の場合は80年代・90年代のバブルとその崩壊によって金融危機となり、未だに低迷が続いている。そしてベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結、21世紀に入ってからはITバブルとその崩壊、そして最近の米国を中心にしたリーマン・ショックによる世界規模での金融危機へと、先進国経済が大きく低成長に陥る中、中国を中心としたBRICSなどの新興国経済が大きく勃興してきた姿が見える。つまり、世界が大きく多様化してしまい、この極めてダイナミックな変化が今後も続くであろうということである。特に9.11以降はあらゆるものに対する価値観が変わってしまい、先を見通そうにも全く予断を許さない世界となってしまった。先日のコペンハーゲンでのCOP15会合での様子を見ても、世界が一様でなくなってしまったことがよくわかる。
これらの変化の背景には、世界のIT化とそれによる情報の共有がある。情報に国境がなくなってしまったのである。つまり、少なくともコミュニケーションについては国内外の区別が消滅したわけである。
したがって、企業経営にもたらすこの変化の意味は、常に多様な価値観の相手を念頭に置いて情報発信を行う必要があるということである。その対象は国内だけではないということであり、企業競争についても同様である。
例えば、男女共存社会という考え方は、60年代以降、世界のあらゆる先進国で起こった変化であり、その影響が日本にももたらされた。市民運動や消費者運動、コミュニティ活動なども然りである。
そうした社会変化の中で、70年代頃から、企業も社会の一員(「企業市民」)であるという考え方が唱えられるようになった。日本では公害問題や消費者問題から、こうした取り組みが企業の中でも少しずつ重視されるようになっていった。最初はクレーム処理から始まって、後に専門の広報部門が設置され始めるようになったのもこの時代である。IRについても、企業の成長資金を海外から調達しなければならない会社が外国人投資家に向けて行うようになったのは、丁度この頃からである。ただIRの場合、専門部署が設置されるようになるのは少し遅れて80年代後半以降である(ちなみに筆者は1989年を「IR元年」と命名した)。
企業による、このような全方位のコミュニケーション活動が大事な理由は、それによって相手の意見や考え方を知ることによって、上に見たような大きな変化を見逃さず、早め早めに対応していけることにある。経営や社内組織を、環境変化に応じて再編成し、新しい時代を不断に先取りしていけるのである。
企業が社会の中で市民として活動することを促進したのは、一般生活者の力もあるが、実は投資家からの後押しも重要な役割を果たしてきた。特に欧米では、一般消費者の資金を運用する公的な基金などが大きな力となった。例えば、米国の公的基金などは、80年代には既に(公害を出す、または人種差別国で活動しているような)反社会的な企業には投資しないよう、運用を任せる会社に対して「ネガティブ・リスト」というものを渡して指示していた。現在では「倫理的投資」とも呼ばれている。
こうした活動の延長に、株主による「コーポレート・ガバナンス」がある。既に投資をしてしまっている企業で悪いパフォーマンスが続く場合に、その企業の経営に助言を与えたり、経営者を変えるよう働きかけたりするのもその一環である。また、ガバナンスのよい企業に投資を増やしたり、CSRのよい企業に投資を増やしたりするのも、そのような動きを促進するポジティブな方法である。
日本の場合、資本市場が未成熟であるためか、実は外国人投資家がいなければ成り立たない市場(売買の6割が外国人)なのである。資本主義の国なのに、自国の国民だけで成り立たない資本市場というのは、どこか間違っていると言わざるを得ない。現在、世界で一人負けの株価水準をもたらしているのは、そのせいである。本当は税制の仕組みなど、国を挙げて自国の資本市場を盛り上げる必要があるのだ。
昔は個人投資家中心の市場だった時代もあり、戦前の方が資本主義的だったとも言える。しかし、いつの間にか、株式投資を抑制するような税制、銀行や企業同士の株式持合い、各種規制などによって、不活発な株式市場になってしまったのだ。だから外国人投資家がよりよい経営のために意見を出しても、十把ひとからげで「ハゲタカ」などという蔑称で呼ばれたりするのは、日本人として彼らに対して大変申し訳ないことをしていると思うべきではないだろうか。
そこに企業本来の存在意義が表れてくるという意味で、IR活動やCSR活動は実は経営そのものなのである。長期的なゴーイング・コンサーンとして、企業活動を持続的に拡大維持していくには、まずは企業市民として社会の中で事業活動をしているという認識が大切であろう。そして現代の投資家はそれを充分に理解している。
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鶴野史朗 株式会社アイ・アールジャパン 名誉相談役 他に、NPO法人日本IRプランナーズ協会理事長、一橋大学広報関係顧問、産業構造審議会経営・知的資産小委員会 委員、(株)一柳アソシエイツ顧問などを兼務 ボストン・コンサルティング・グループなどの勤務を経て、1984年に株式会社アイ・アールジャパンを設立、2008年より名誉相談役に就任。共編・著に『日本企業のための国際財務戦略』(日本経済新聞社)、『実践インベスター・リレーションズ』(日本経済新聞社)、『欧米銀行の情報開示』(商事法務研究会)など。 |