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銃で緑は取り戻せない
東京で伊藤和也君・追悼写真展開催

菜の花は自然の肥料。緑を回復させるために植えた菜の花がダラエヌール渓谷に広がる。(伊藤和也君撮影)

2008年8月26日、1人の日本人青年が武装グループの凶弾に倒れた。アフガニスタンのダラエヌール渓谷で農業支援に従事していた伊藤和也君、31歳である。
伊藤君がアフガンで活動を始めたのは2003年の12月のこと。「アフガンを緑豊かな大地に戻す手伝いがしたい」と志望動機に書いている。
以来5年。用水路工事で護岸の植樹を担当したほか、高校と短大で専攻した農業の知識を生かすため、活動の拠点を農業支援の場に移して、茶、サツマイモ、などの栽培に協力した。当初は自分の農業知識がすぐにも役立つという気負いもあったようだが、過酷な気候風土は容赦しない。2005年に植えたサツマイモはコガネムシの幼虫によって全滅。2006年は育つかと思うと夏場に降った雹(ひょう)で壊滅した。
一時はかなりへこたれたらしい。そんな伊藤君が現地との距離を一気に縮めたのが写真だ。初めは作物の成長の記録に撮っていたものだが、子どもたちにせがまれ、1人ひとりを写すようになる。やがて親たちとの距離も縮まった。
2007年、苗床の温度管理を徹底し、1月も早く畑に移植したサツマイモの苗はすくすくと育ち、秋には1㎏もある巨大なサツマイモが収穫された。かぼちゃのような大きさのイモは現地の人々のおなかを満たし、「こんな作物が育てば、この国のほとんどの問題は解決する」と語られるほどだった。
「この村で家族をもち、住み続けよう」
いつか伊藤君も考えるようになっていた。そんな矢先の凶弾であった。
伊藤和也君の追悼写真展「アフガンに緑の大地を」は、12月10日から16日の間、東京・渋谷で開催され、12日には岡田克也外務大臣夫妻も訪れた。
八郎潟にほぼ匹敵するダラエヌール渓谷は、この5年間でペシャワール会*が進めた用水路が広がり、荒地は緑を取り戻そうとしている。

*ペシャワール会:パキスタンで医療活動に取り組んでいた医師の中村哲氏を支援するために1983年に結成された非政府組織(NGO)。パキスタンに国境を接するアフガニスタン北東部にも活動を広げる。