シニアエグゼクティブへの報酬に対する監視の目が世界的に厳しくなり、この状態はしばらく続きそうだ。最近では、 G20首脳が役員報酬を規制する「枠組み」に合意した。欧州、英国、米国、そしてアジア各国において、政治家たちは、有権者の怒りを鎮め、さらなる損失を低減しようと、高額報酬---とりわけ景気刺激策のために支払われるボーナス---をなんとか巻き上げ、威嚇し、懲罰的に課税しようとしている。
NY Times紙は、米国連邦制度理事会のベン・バーナンキ議長が賞与の支払に関するAIGへの訴訟を思いとどまらざるをえなかった、と報じた。今こそ、バーナンキ議長は“業績と報酬が適切に結びついた”、そして“過度にリスクに傾くことのない” 『企業倫理』を求めている。フランスでは、ニコラス・サルコジ大統領が[過度な]退職賞与を『不正なもの』と呼び、テクノロジー企業3Mではマネージャーが解雇交渉を再開するまで帰れなくなる「ボスナップ(訳者注:経営者の誘拐、キッドナップkidnapをもじっている)」が発生した。また、英国のゴードン・ブラウン首相は米国のウォール街にこのように語りかけた「私たちは金融制度を一度きれいにしなければならない。とどのつまり市場は倫理次第なのだから。」
世界中で役員報酬に政治およびマスコミが焦点をあてているが、それらの動きはすべて、コーポレート・ガバナンス(企業統治)と企業のあり方を規制する新たな時代の到来を指し示している。またはCSR(企業の社会的責任)に対する意識の変化の兆しとも見なすことができる。多くの専門家が今回の経済危機を通じてCSRが消滅するであろうと予測したが、実際のところは逆かもしれないことが経営トップの発言から徐々に明らかになりつつある。では、より良いビジネス手法への強い推進力がどこからやってくるのか?
伝統的に米国では、フリードマン経済学そして規制が緩い自由主義との結びつきがはるかに強かった。ティモシー・ガイトナー財務長官は下院の金融サービス委員会において「これまで報酬とは長期的な収益よりも短期的な利益に報いるものだった…金融活動による明らかに巨額の利益が大規模な不正行為を招く結果となった」と認めている。言い換えれば、非倫理的な行為が蔓延していたのだ。
ここまでの長官の言葉を聞くと、強欲なマーケットのプレイヤーたちに対して、サーベンス・オクスレー(SOX)法のような新たな規制の波がやってくると考えるかもしれない。しかし、委員会でのこの後のガイトナー長官のコメントはより厳しい政府による規制に待ったをかけることになりそうだ。「監督や規制では[金融危機をもたらした]問題を防ぐことはできなかった。失敗の一因は規制が広範囲であったがゆえに、規制そのものが存在していなかったことだ」とガイトナー長官は述べている。
一方で、欧州各国はより欧州的な態度を示し、 欧州委員会の企業・産業担当ギュンター・フェアホイゲン副委員長による発言は[米国とは]異なる姿勢を表している。「市場経済において企業が利益をあげなければならないのは確かです。しかし、欧州的な価値観では[利益をあげる]目的を持続的な方法で達成しなければならない、すなわち究極的には経済活動とは社会の利益に資するものでなくてはならない」とフェアホイゲン副委員長は語っている。
しかし、こうした文化に根ざしたCSRを 遵守する価値観、一方では巨額の財務損失があったとしても、その双方ともに、国家による広範囲な市場干渉を保証するものではない。フェアホイゲン副委員長 は続けてこう述べている。「今回の金融不安により、私たちの社会には予期せぬほどの利己主義とどん欲さが存在することが明らかになった。このような状況は 変えなければならない。しかし、それは立法行為によるものではない---法により倫理的な行動を施行させることはできないからだ。むしろ、[問題となる]行為が容認されず罰せられる環境を整備すべきだ。」
では「誰が」企業を罰するのだろうか?結局のところ、それはその企業の消費者でありビジネスパートナーである。企業の持続不可能な商慣習があれば彼らによって判断され、結局はそうした商慣習が顧客や株主からの信頼をつなぎとめることには結びつかないことがわかるだろう。
日本とオーストラリアなど欧米の議論を傍観者として眺めてきた国々にとっても、こうした視点は新鮮なものだ。つまり、企業に責任ある経営を促す重要な価値観であるCSRとは、政府の監視や規制によるものでなく、私たち消費者によって決まるということだ。フランスでの集団による「ボスナッピング」は問題外だが、企業のCSRを促すことこそ、どの国でも私たちの厄介な仕事になりそうだ。