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シネマ&ブックレビュー
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『ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式』
(原題: Death at a Funeral)2007年/アメリカ | ドイツ | イギリス | オランダ映画


無知、偏見、差別、傲慢……。 ときどき自分の内面に巣食う無意識に気づいてハッとさせられる。数年前、成田空港からロンドンを経由して、夜間にダブリン空港に着いたとき、日本でネット予約したB&Bまでの道順が分からなくなり、さんざん右往左往した挙げ句、ランドマークになりそうな大型ホテルから宿泊先に連絡を入れた。女性が電話に出た。わたしは道順を教えてもらうつもりでかけたのだけど、結局、迎えに来てもらえることになった。

15分だか20分だか待ったところで、エントランスから小人症の女性が入って来た。海外を旅行していると、日本ではあまり遭遇する機会のないシチュエーションが、その国ではあまりにも日常化していたりして、そのカルチャーギャップにクラクラしたりすることがあるけれど、そのときもクラクラした。

わたしだけなのかも知れないけれど、日本に住んでいると、電話で話している相手が非〈健常者〉であるとかないとか、国籍が何であるとかを考えることなく、無条件にその相手が〈健常者〉であると疑ってもいない自分を思わぬ場面で〈発見〉したりする。

『ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式』という邦題の「ちょっと」という副詞の使い方が絶妙な本作にも、小人症の人を含めたさまざまな人物が登場する。しかも、その小人症はゲイであるという二重の被差別対象を設定されているばかりか、彼はそれをネタに家族に恐喝までする。

上映中「だはは」と笑声を発して抱腹絶倒できる映画もそうお目に掛かれないけど、「あー面白かった」と劇場を後にするとともに、こんなコメディがサラリと作れてしまう土壌を持った欧米諸国が羨ましかったりもする。

もちろんゲイであることが恐喝のネタになる――ということは、それを隠蔽したいという人間の心理背景があるからこそだ。しかも故マイケル・ジャクソンほどのスターが、肌を脱色したいと思わせる国だもの、差別がないなんて微塵も思わない。

でも、さまざまな非〈健常者〉やら、マイノリティが存在すら抹消されているような日本で、こんなコメディ映画を撮れるのは、いったい何十年、いや何百年先、え? 永遠に無理?

先日、新宿のビアガーデンで友だちと飲みながら、このコラムの草案を話し、「普段、街中で小人症の人たちを見かけることのない日本の病理ウンヌン」というまとめにしようと思っていると話したら、彼女が「東横線とかで、よく見かけるけど」と言った瞬間、わたしの背後を小人症の男性がほろ酔機嫌で通り過ぎて行った。

日本(この国)はわたしが思うよりも、ずっと多様な価値観を認める社会なのだろうか。どうなんだろう。わたしの葬式なんてされたくもないけど、本作のような人たちに見送られる葬式ならしてもいいかも。


タカスノブヒロ 1971年、東京都生まれ。フリーランスライター。