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シネマ&ブックレビュー
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この1年、わたしの日本映画


下半期はピンク映画がちょっとしたマイブームだった。というのも、2008年は、若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』が、第58回ベルリン国際映画祭でNETPAC賞と国際芸術映画評論連盟賞を受賞し、続いて黒沢清監督の『トウキョウソナタ』が、第61回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門の審査員賞を受賞。今年は、滝田洋二郎監督の『おくりびと』が、第81回米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞し、根岸吉太郎監督の『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』が、第33回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞。こうして国内外で(と言うより、正確には逆輸入という形で)高い評価を得ている監督たちが揃いも揃って、過去にピンク映画を演出した経歴があるという符号は、なんだかとっても魅力的だ。

ピンク映画は予算的に見ても、“濡れ場”が必須という点から見ても、制約だらけのジャンルだ。ものの本によると、作品1本における予算は300万円(これでも高い方らしい。もちろん出演者たちのギャラも含む)程度で撮影期間は3日ほど。こうなると、撮り直しはよっぽどのことがない限りしないだろうし(現にわたしが観た作品群はほぼアフレコで、役者の口と音声がまったく合っていなかった)、時代設定は現在に偏らざるを得ないし(きっと衣装は自前だろう)、どの作品も似たり寄ったりになるきらいは、こんな背景があってのことだろう。しかし、こうした制約だらけの過酷な状況下にあっても、出来た演出あるいは脚本の作品は、低予算・短期間の粗さや役者たちのダメダメな演技をもってしても、作品を輝かせているところがすごい。前述の監督たちの評価は、ピンク映画での鍛錬の賜物だということが窺い知れるし、滝田洋二郎監督の『痴漢電車 極秘本番』などは、すでに彼のカラーが濃厚に出ていて、いまや名匠となってしまった監督たちのルーツを探る意味でも非常に興味深いジャンルと言える。

しかしその一方で、<物語>に“濡れ場”を設定しなくてはならないという制約からか、男女の恋人同士が自然な流れで性交する展開以外の常套手段は、犯罪のオンパレードだ。痴漢、強姦、虐待、DV、覗き、下着泥棒、セクハラ、盗撮盗聴、不法侵入、誘拐、拉致、監禁……。続けざまにピンク映画を何本も観たせいもあるのだろうけれど、なぜ<男>というジェンダーの性的なファンタジーは犯罪絡みなのだろうと思う。これで欲情する<男>というジェンダーのメカニズムってなんだろう。いまでもネットを通じて集まった者たちが集団痴漢行為を働くというニュースは目新しくないし、毎朝「女性専用車両」がこの東京(まち)を走っているという事実を、日本の<男>はもっと恥じていいし、恥ずべきだと思うのはわたしだけだろうか。車両内における迷惑行為・痴漢被害を防ぐために、<男>と女性を分けるという措置しか採れない国が日本というところなのである。なんでも男女平等度を示す「世界経済フォーラム」のジェンダーギャップ指数(GGI)で、日本は134カ国中75位らしいが、本当だろうか。体感的には、もっと低いような気がする。

そういえば、黒沢清監督のピンク映画作品の助監督を務めた経歴を持つ周防正行監督が痴漢冤罪の『それでもボクはやってない』を演出し、数々の「痴漢電車」シリーズを世に送り出した滝田洋二郎監督の『おくりびと』が海外で評価されるというのも何かの暗示なのだろうか。

誰か「女性専用車両」の映画を撮って、海外の映画祭に出品してくんないだろうか。だってカンヌ映画祭で評価された『殯の森』や、『おくりびと』――の西洋人から見た時代錯誤なエキゾチシズムによって過大評価されている作品――なんかよりも、よっぽど現代日本を表現しているものになるだろうから。


タカスノブヒロ 1971年、東京都生まれ。フリーランスライター。