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シネマ&ブックレビュー
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生物多様性の保全はどこまで可能か

『捕食者なき世界』
著者/ウィリアム・ソウルゼンバーグ 訳者/野中香方子 (文藝春秋 1,900円)


全国各地でクマ出没が相次いでいる。クマに襲われて人間が死亡したり、ケガをする被害がニュースをにぎわしている。原因の1つは猛暑によるえさ不足や里山の荒廃だという。クマを定期的に捕獲していた猟師が高齢化などで減ったことも一因のようだ。

クマの実数はつかめていないが、シカやイノシシは増加の傾向にあるといわれる。シカやイノシシなどによる農作物被害は昨年度1年で約222億円にのぼるといわれる。大分県豊後大野市ではシカ、サル、イノシシを減らすため、絶滅したニホンオオカミに近い種を中国から輸出して山林に放す計画さえある。


崩れた捕食者と被捕食者の関係

『捕食者なき世界』は、世界で繰り広げられてきた捕食者(肉食動物)と被捕食者(被肉食動物)の微妙なバランスがいかにして崩れたかを追い、生物多様性の保全が綱渡りの状況に追いたてられている様を明らかにした。

大分県豊後大野市のような状況は、米国でも見られる。新大陸への入植者や先住民が毛皮目当てに乱獲したオジロジカは、1800年代の後半には急速に減少。やがて商業目的の狩猟は法律で禁止され、オジロジカを根絶やしにした州のいくつかはシカをよそからつれてきて野に放ち、すき放題にさせた。一方、肉食獣駆除を仕事とする猟師たちはシカの敵であるオオカミやピューマなどを消滅させた。

殺戮の対象から保護の対象に代わったシカは、各地で森林や希少食物を食い荒らし、その結果、クマなどが食べる木の実も森から消えた。やがてクマも消えたのである。シカの繁殖はライム病というダニを媒介とし人間の体の自由を奪う細菌性感染症を引き起こすまでになった。シカと人間はやがて全面戦争を迎えるとささやかれている。


陸から海へ。ラッコが守る海の森の危機

魚の繁殖には藻場と呼ばれるような海草の森が大きな役割を果たしている。海の熱帯雨林とも呼ばれるコンブの森がラッコによって守られているという話は目からうろこであった。生物学者たちの実験では、ある小さな湾で海底をびっしり覆っていたウニを捕食動物に代わって回収したところ、その場所が肉厚のコンブが密集する海のジャングルに変わった。多くの魚が集まり、それを狙う小動物や肉食獣も集まるようになったのである。

やがてラッコのいる島とラッコのいない島の生態系の違いによって、ラッコがウニを食べることでウニに食べられていたコンブが成長し、北太平洋沿岸の最も豊かな生態系が守られていることがわかる。ところが、別の島ではラッコがシャチに襲われて激減していた。シャチはクジラをも襲う頂点捕食者だが、捕鯨によって奪われた食料をラッコで補っているというのだ。シャチ1頭が1日に必要とするカロリーは16万から24万カロリー。ラッコなら1日に4匹から5匹が必要となる。このままではコンブの森も再び危機を迎えるかもしれない。


頂点捕食者を保護するか、根絶するか

クジラをめぐる人間とシャチの争奪論争は、まだ決着を見ていない。クジラのえさが人間の食料となる魚であることを思えば、クジラと人間の関係もホエールウオッチングにとどまるとは思えない。そもそも生物多様性の危機は、人間が食べられる存在から、食べる存在に変わったときから始まった。人間という小さな動物が、捕食の頂点に立つことで、生物多様性の歯車は大きく狂い始めたのである。

米国では、頂点捕食動物が人間の手を介して、追い出された場所に戻ってきているという。10年ほど前にカナダから呼び戻された数10頭のオオカミがいまでは1,000頭以上に増えてロッキー山脈北部をうろついている。野生との共存は待ったなしの状況だが、どこまで可能なのだろうか。