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公益財団法人旭硝子財団 2010ブループラネット賞受賞者
私たち自身、そして未来の世代のために出来ること
ジェームス・ハンセン博士(米国)、ロバート・ワトソン博士(英国)に聞く [Part 2]


2011年新年冒頭は、公益財団法人旭硝子財団 2010ブループラネット賞受賞者である世界的な二人の科学者、ジェームス・ハンセン博士(米国)とロバート・ワトソン博士(英国)へのインタビューを2回にわけてお届けする。 両博士は科学的な業績はもちろん、長年にわたり積極的に政策提言を行ってきた。二人に共通するのは、業界団体からの抵抗や多様な価値観の対立など様々な現実に直面しつつ、問題解決への道筋を説き続ける科学者としての熱い使命感だ。
Part 2では、IPCC議長、クリントンン政権下で環境保全副部長などを歴任したロバート・ワトソン博士に話を伺った。


各国がフェアかつ平等な立場で合意形成していくために、
人々に正しい知見を提示することが科学者の役割

ロバート・ワトソン博士に聞く


ロバート・ワトソン博士
Dr. Robert Watson (英国) [1948年3月21日生まれ]
英国 環境・食糧・農村地域省(DEFRA) チーフアドバイザー
イーストアングリア大学 ティンダールセンター 環境科学議長

NASA、IPCCなど世界的機関にて科学と政策を結びつける重要な役割を果たし、成層圏オゾン減少や地球温暖化等の環境問題に対し世界各国政府の具体的対策推進を導く大きな貢献をした。
注:IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)

発展途上国の農業従事者が自立できる世界的な仕組みが必要

Q. 欧州では環境問題と持続可能な形での食糧生産は具体的施策においてどのように関連づけられているのでしょうか?
ワトソン:まず農業従事者に対して、温室効果ガス削減、水や土壌の保護、生物多様性の保護をするというポイントを推進する施策がとられています。欧州では農業の従事者に対して---従来からの農産物の生産に対する助成だけでなく---生物多様性や環境を保全する農業への助成が行われています。これを農業従事者側から見ると、農業生産を通じて2つの収入源---食糧を生産することと、水・土壌の保全による見返り--- があるということになります。このように農業従事者に具体的なメリットを与えることで、環境に良い取り組みを推進していくということになります。


私たちが知っているべき基本知識 1
気候変動〜食糧問題〜貧困問題はすべてつながっている。

(上記はワトソン博士のブループラネット賞受賞記念講演資料)
気候変動はオゾン層の破壊、大気汚染、砂漠化、水・森林・生物多様性など多方面に影響する。
さらに気候変動は農業生産に、そして逆に農業の在り方は環境へと影響をおよぼす。例えば、耕作や灌漑の手法が塩類化や土壌侵食の原因となる可能性があり、また肥料や農業生産形態によっては温室効果ガスの排出を増大させ、緑地や森林での生物多様性に影響を及ぼす。そして環境の劣化は巡り巡って農業生産性を低下させていく。
気候変動問題に適応できないことが既に貧困を助長する要因だ。私たちは気候変動=環境問題と単独でとらえがちだが、実は環境、食糧・水問題、貧困問題はすべて密接につながっている。

Q. 博士は世界的なレベルでの政策改革を行いながら、生態系サービスを維持・拡充するための正当な対価を農業従事者に支払うべきであると主張されています。
ワトソン:我々は世界レベルでオープンな貿易システムを維持することを基本的な考え方として、OECD諸国における生産補助金の撤廃、加工品に対する傾斜関税の撤廃を推進していくべきだと考えています。先進国から途上国に非常に低価格で、いわばダンピングによって食糧を提供することによって、途上国における零細農業従事者の競争力がどんどん失われてしまっていることも大きな問題です。


Q. 実は途上国では40%近い食糧が倉庫や保存技術の問題で腐ってしまっている、必ずしも単純に農産物が不足しているのではないという博士のお話が印象的でした。
ワトソン:サハラ砂漠以南の途上国においては、零細農業従事者がまずどのように適切な種を選択し購入するか、収穫物の保存技術、輸送方法や道路の整備、それらを行うための資金調達・マイクロファイナンス(貧困層向け小規模金融サービス)といった基本的な農業に対する知識の移転、教育を彼らが受けられるようにすることが非常に重要です。

きちんとした生産がおこなわれれば、発展途上国の農民は自分たちが生産した農産物を市場に出すことができるし、腐らせてしまうという無駄も起きません。
こうした農業技術の移転・教育の面で日本も含めた先進国が支援することで、発展途上国が自立を勝ち取っていくことが何よりも重要だと思います。

私たちが知っているべき基本知識 2
気候変動〜食糧問題〜貧困問題はすべてつながっている。

(上記はハンセン博士のブループラネット賞受賞記念講演資料)
近年の食糧価格の高騰は、以下のような様々な理由に基づいている。
◆変わりやすい気象に起因する不作 
◆米国のトウモロコシなど、バイオ燃料の利用の増加
◆急速な成長途上にある経済圏における需要の増加
◆エネルギー価格の高騰と、それによる機械や肥料の費用の増加
◆備蓄が少ない時期における商品市場での投機
◆一部の大口輸出国による、国内供給を保護するための輸出禁止措置
今後25-50年間で発展途上国を中心に食糧需要が倍増すると予想される。今や、農業は生産面だけでなく、経済的、社会的、環境的な幅広い枠組みの中で多機能的に位置付けるべきである。一方、今日の飢餓問題の大部分は、農業生態学を中心とする現在の技術(無耕作/低耕作、総合的な害虫管理、総合的な天然資源管理等)を活用することで対処が可能である。先進国から途上国に対する農業というビジネスにおける総合的な技術移転・教育支援が求められている。


環境と経済の発展は決して対立するものではない

Q. 一方で、気候変動を緩和するためのターゲットである二酸化炭素の排出削減については、今後の見通しを厳しく予想されています。
ワトソン:大気圏における温室効果ガスの水準は、エアロゾルの相殺効果を考慮すると、現在約385ppmCO2eq(ppm CO2eqは100万分の1の二酸化炭素当量)で、既に全地球的温度変化は産業革命以前よりも約0.75℃上昇しています。2000年から2100年にかけてさらに1.2〜6.4℃の上昇が予測されています。仮に400〜450ppm CO2egで2℃高くなる可能性は50%、最悪650ppmCO2egに達すると4℃高くなる可能性が50%、6℃高くなる可能性が5%です。

私自身は、各国政府による二酸化炭素排出削減に向けた技術的な取り組みが不十分である現状を鑑みると、400ppmCO2eqさえ維持することは難しい、500ppmCO2eqにも迫る勢いであると、かなり厳しい見方をしています。


Q. 私たち一般の人間が政策の様々なオプションを考えるために、あえてハンセン博士との政策の違いがあるとすればお伺いできますか?
ワトソン:私とハンセン博士は気候変動の科学的側面、環境問題が人間の活動が主因となっていること、そして温室効果ガスを削減しなければ気候変動の変化を止めることができないこと、そして化石燃料の使用を止めて再生可能エネルギー、クリーンエネルギーを主体とする低炭素社会に移行しなければならない、これらの点で完全に意見が一致しています。さらには化石燃料の価格を他のクリーンエネルギーが競合できる価格としなければ、何も変わらないという点も完全に同意しています。

具体的な政策としてハンセン博士は政府のサポートにより、炭素に対する何らかの課税を主体に考えられています。この手法は、実際にどうやって実現するかという点が非常に大きなテーマとなります。私自身は同じターゲットに向けて、その他の手法も加えてマーケットメカニズムを変革していく方法をと考えています。

またハンセン博士は5−10年以内に化石燃料を完全にストップするという考えですが、私自身はインドや中国にはまだ低価格な化石燃料が存在するという仮定のもと、二酸化炭素の隔離貯蔵、CCS(Carbon Dioxide Capture and Storage)に注目しています。CCS技術の発達によっては、石炭を当面は使っても良いという選択肢もあるかもしれません。
このように、いわば、私のほうが若干広い選択肢でこの問題を見ているかもしれません。

編集部注:二酸化炭素の回収・貯蔵(CCS:Carbon Capture and Storage)
大気中に放出、または放出する直前の二酸化炭素を集めて地中・水中などに封じ込める技術。英国を中心とする欧州では、CCSによって化石燃料発電の際の二酸化炭素の大気中濃度を削減(ある報告によれば90%近く)できることから、地球温暖化対策と化石燃料の継続利用による電力の安定供給の2つの観点でCCSを重要技術と位置付けている。2010年には中国でもCCSプロジェクトがスタートしている。

また私からも“二酸化炭素を排出する企業・団体等に何等かの社会的対価を課す”ことに関して、補足して申し上げたいのは、決して経済と環境は対立しないということです。

現在、人々は化石燃料の方が安いと考えていますが、しかし、そこには本来課せられるべきコストが含まれていません。化石燃料の使用により環境に大きな悪影響を及ぼすことは、例えばそこに働く従業員の健康を損ねる可能性(医療コスト)、食糧コストの上昇、環境保全そのものにかかる費用など、実際はさまざまな社会的費用を発生させています。将来の経済の安定成長のためには、こうしたコストをきちんと見える形にして、正しい経済メカニズムのもと(人々の健康を損ねるなどの致命的な負担を負うことなく)健全な形で社会が発展することが不可欠です。


Q. 近年、先進国と途上国間の価値観の相違から合意形成が非常に難しくなっています。ワトソン博士はIPCC(注)議長など、異なる価値観を持つ人々をまとめあげリーダーシップを発揮されてきたわけですが、そこでの信念とは?
ワトソン:各国の合意形成に向けて最も重要な基本は、“フェアで平等な立場で決めていく”姿勢を貫くことです。
最近のCOP10(生物多様性条約第10回締約会議)等のケースでも、全ての国が環境保全という同じ大きなターゲットに向かいつつも、発展途上国は開発を継続し経済成長を止めずにやっていきたい、先進国においてはこれ以上の環境面での損失を増やしたくないというそれぞれ重きを置く点が違っているわけです。

その場合、重要であるのは、きちんと地球上における生物多様性に重要な影響を与える価値を科学的に洗い出し、全員が正確に生物多様性のグローバルな価値を認識することです。
そのうえで、生物多様性の保全を可能にする社会的、経済的メカニズムが何であるかということを見ていくべきであると思います。

科学者である私たちの仕事は、ある知識・知見に対して評価アセスメントを行うことです。IPCCでは、さまざまな領域の専門家が関わり、(例えば気候変動に対する様々な要因分析の見方を)一つの評価として意見をまとめ、社会に提示していきます。

一方で各国間が条約をまとめる時には、非常に政治的な意図がかかわってきます。その際には、我々が提示した知識・知見(科学的事実)に基づいて発展途上国および先進国にとって何が経済的に平等かという観点から議論されることが非常に重要となります。

われわれ科学者の役割は政策をつくることではありません。しかし、マス・メデイアを通じて将来に影響を与えるであろう科学的事実を一般の方に提示し、何らかのアクションをとった場合と何もしなかった場合の将来の可能性を示唆する、人々が政策を選択する際の正しい知識を提供することが科学者の重要な役割だと考えています。

2010年10月取材