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社会意識の高いフィルムフェスティバル

 オーストラリアでは、リール・チェンジ・フェスティバル(Reel Change Festival)が『気候変動とそれが人権と貧困にもたらす影響』にはっきりと焦点を当てている。このリール・チェンジ・フェスティバルは、ヒューマンライツ・アーツ・アンド・フィルムフェスティバル(Human Rights Arts and Film Festival: HRAFF)と、オクスファム・オーストラリア(英国発祥の貧困者救済機関)によるメイク・ポバティ・ヒストリー(Make Poverty History)の主導により開催されているものだ。昨年11月のキャンベラを皮切りに、今年3月のブリスベンまでフェスティバルは各国の首都を巡回し、遠くは南太平洋、米国、そしてグリーンランドなどから70以上の作品のエントリーを集めた。
 HRAFFの共同ディレクターであるエヴリン・タドロス女史によれば、このフェスティバルの狙いは、より多くの人々に、人権と気候変動の問題をとっつきやすいものとすることであったという。「この問題を明確に取り上げた人権フェスティバルは他にはそう多くはないと思います――つまり、これはきわめて限られたテーマで、まさに核心をついた映画を見つけるのは非常に困難でした」とタドロス氏は語っている。
人権の本質や、異なる政治的・社会的立場に議論が陥らないよう、HRAFFの担当者たちは注意したという。「私たちは特定の政治的見解を押しつけることはしませんし、またこのことこそが私たちにとっては重要なのです。私たちはあらゆる見解に対してオープンでありたいと思っていますし、いずれの政治政党とも手を組もうとは考えていません。私たちの目的は、人権にかかわる映画を上映し、観客にそれを判断してもらうことなのです」とタドロス氏は述べている。
 フェスティバルは、人権問題という無味乾燥なテーマにこれまで無関心だった人々に向けて、この問題に耳を傾けてもらえるよう立ち上げられた。「創造的な芸術形式、とりわけ映画という形式を利用したいと考えた理由は、映画が人気の高いメディア(媒体)だからです」とタドロス氏は語る。「映画は、個々のバックグラウンドにかかわらず人々がかかわりをもつことができるメディアです。私は法律関係のバックグラウンドをもっており、ずっと学問的枠組みの中で人権について研究をしてきました。しかし、学問的枠組みは学術用語と法律用語に非常に限定されています。」
 「映画に関して一つ言えることは、こうした類の用語はカメラの前では通用しないということです。ところが、ヒューマンストーリーならばうまくいく。ヒューマンストーリーは人々の心をもっとも動かし、その人権を侵害された人々について理解し、彼らと共感できるのです。映画は素晴らしいメディアであり、私は文化的変革を引き起こす映画の力を心から信じています。映画は人々に働きかける本当に魅力のある方法なのです。」
 ラジオ・ナショナル(Radio National)の「ムービータイム(Movie Time)」のプレゼンターであるジュリー・リグ女史は、一つの問題だけに焦点を絞ったフェスティバルにはやや注意が必要だと考えている。彼女によれば「フィルムフェスティバルは重要です。フィルムフェスティバルは最初の踏み絵であり、作品の行方を占うものになります。しかしながら、例えば、グリーン・フィルム・フェスティバル(環境問題をテーマにした映画祭)を取材するように要請されると、私は気持ちが萎えてしまうのです。私はあらゆる種類のストーリーやドキュメンタリーに興味をもっています。けれども、このように、ストーリーやドキュメンタリーが一つのグループにまとめられてしまうと、脅威的になりうるのです。すでに環境問題に傾倒している環境保護主義者はさておき、いったいだれがグリーン・フィルム・フェスティバルに出かけて行くでしょうか?あるいは自転車に関するフェスティバルならどうでしょうか?もう少し知恵を絞る必要があるのではないかと私は考えています。」


映画を通して注目を集める

 パーティシパント社役員のジョン・シュライバー氏が認めているように、映画のキャンペーンや、映画による社会問題の提起だけが、より大手の映画制作会社やフェスティバルにとっての関心事項ではない。「パーティシパント社は、映画作品のキャンペーンを一貫して行っている小さいながらも知られた制作会社に過ぎませんが、世界中のドキュメンタリー映画監督の多くは、問題に関して声明を発表することを望み、人々に問題に関与してもらうことを期待して映画作品を制作しています。たとえばロバート・グリーンワルドがそのいい例です。彼が映画を制作するときにはいつも活動家による運動としてこれに取り組んでいます」とシュライバー氏は語る。
 オーストラリアではこうした事実はとりわけ重大である。映画は、主流のメディアではほとんど取り扱ってもらえない題材に対して関心を呼び起こす方法なのだ。「映画監督として私にとって最も重要なモチベーションのひとつは、1990年代にインドネシアによって占領されていた東ティモールのようにしばしば無視されている問題、あるいはイラク紛争の『前座の見世物』と呼ばれていたアフガニスタンにおける紛争のように、他の紛争のせいで影が薄い問題などをテーマに映画を制作することです」とジャーナリストであり、ライターであり、さらにドキュメンタリー映画監督でもあるカーメラ・バラノウスカ氏は述べている。
 バラノウスカ氏は、2004年にアフガニスタンに駐屯した米国海軍によるアフガニスタンの村民に対する虐待を暴露したドキュメンタリー映画、「タリバン・カントリー(Taliban Country)」でウォークリ―賞(Walkley Awards)を受賞している。
バラノウスカ氏は東ティモールの人々による独立運動についてのドキュメンタリーを制作した数少ない映画監督の一人であり、「シーンズ・フロム・アン・オキュペーション(Scenes from an Occupation)」や「ウェルカム・トゥ・インディペンデンス(Welcome to Independence)」といった作品を制作している。大手映画制作会社、そして企業やNGOといったメジャーなスポンサーの支援なしに映画作品を作ることはそれこそ大変である。その為、メッセージ性のある映画が編集室にたどりつくことすらほとんど不可能なのである。
 見かけによらず、バラノウスカ氏は映画の中でアクティビズムという概念を避け、また、「活動家」とみなされることも好んでいないようだ。「フラニー・アームストロング、マイク・ムーア、そしてアル・ゴアのように『アクティビスト』映画監督として知られる映画監督や友人は常に存在します。ところが、映画を制作し、これを世に送り出してしまうと、それがいったいどんな影響をもたらすことになるのか定かではなくなるのです。最終的には、5人の人々に影響するにせよ5万人の人々に影響するにせよ、だれでも良好な成果を上げたいと願うものです」とバラノウスカ氏は語る。
 映画に限界はあるのだろうか?映画の最も強力な側面の一つは、上映中には事実上非難できないという点である。幕が下りるまでは議論の場が設定されていないフォーラムで映画を発表すれば、映画監督は思いのままに物語を作ることができる。たとえば台本のないパネル・ディスカッションとは異なり、映画作品を歪曲するには専門知識、レポート、そしてデータのうち気に入ったものだけを選んで利用することができ、スト―リーの視点を目立たせたり、あるいは軽んじたりするために、物語やセリフ、音楽や効果音、そして編集を好きなように変えることもできる。当然のことながら批評家はそれを指摘することができるが、観客は一度映画を見てしまえば、それは強く印象に残ってしまうものなのだ。


主張そして反論

 なかには、映画で提起されているテーマや主張に対して反論しようとしている映画監督もいる。英国のテレビ番組のプロデューサーであるマーティン・ダーキン氏が制作したドキュメンタリー「地球温暖化詐欺」は、「不都合な真実」で提起されている主張に対して反論する作品である。ダーキン氏によるこのドキュメンタリーは、人為的な地球温暖化こそ『現代最大の詐欺』であると主張している。
 一方、バラノウスカ氏も、映画は相対的に短い時間におさまっていなければならないため制限があると考えている。「映画はしばしばよりパワフルで、感情に訴え、直接的ですが、多くの場合、短時間の映画で人を説得できるほど問題は単純なものではないのです。だからこそだれもが最後は本を執筆することを選択するのです」とバラノウスカ氏は語る。
 それから、資金集めについても随分と議論されてきた。パーティシパント社のようなグループは、洗練された社会的プログラムを実行し、資金集めの専門家を擁し、政府との連絡窓口をもち、完璧に制作された作品を世界中で配給される力を持っているが、多くの映画監督、とりわけオーストラリアのドキュメンタリー作品の監督にとって、現実は非常に厳しいものなのだ。
 バラノウスカ氏によれば、「オーストラリアでの現在の資金調達のしくみは、きわめて身内びいきです。業界にまったく相手にしてもらえない40歳未満の映画監督がごろごろしているというのが現実ですし、私自身もこれに含まれるのかもしれません。残念なことにベビーブーム世代が現在のしくみを生み出したため、彼らがこれを運営し、最終的にはここから利益を得ているのです。」
 「オーストラリアで資金の流れを阻んでいる放送局や資金提供機関は、もっと責任をもち、説明すべきなのです――つまるところこの資金は納税者のお金なのですから。だれもがオーストラリアの優れた長編作品の消滅を嘆いていますが、ドキュメンタリー作品がこうした言葉で語られることはまずありません。もちろん自力で映画を制作し、これでわずかばかりの利益をあげることはできますが、これでは映画監督たちはずっと映画を取り続けることはできないのです。」
 しかし、作品のテーマや制作方法にかかわらず、人気のある出演者や注目のスタッフがかかわった映画は、やはり観客を動員できるし、人々の関心も高まるという現実がある。シュライバー氏が語るように、「誰もがハリウッドからお呼びがかかれば喜びます。それがジョージ・クルーニーからの電話でなくても、です。もしお呼びがかかれば、最初の一歩を踏み出す後押しをしてくれることに違いありません。」


(THE DIPLOMAT, May/June 2009; Editor, Dominic Rolfe; 日本語訳Trans Asia)