« CSRマガジントップへ
Home > 海外最前線レポート > 海外CSR情報
韓国現地レポート
〜小さなグローバル企業。韓国中小企業の強さの秘密とは〜
第5回 韓国で話題の女性起業家が登場
取材・原稿:申 美花(シン ミファ)氏


今回登場頂くのは韓国で今話題の若い女性経営者ジャン・ジョンユン氏だ。
19歳で屋台の焼き鳥屋の経営からスタートした彼女は、現在韓国内で70カ所、海外4拠点(インドネシア、マレーシア、中国、日本)のフランチャイズ・チェーン店を運営、年間売上50億ウォン(約3億8千万円)を稼ぎ出す起業家として注目されている。120万人を超える青年失業者(定職につけない若者)が深刻な社会問題となっている韓国内で、彼女のサクセスストーリが若者に大きな勇気を与えているのだ。私も韓国でテレビ出演する彼女をみた瞬間に魅力を感じ、即座にインタービュを申し込んだ。


名物「ホイル巻の焼き鳥」を持つジャン・ジョンユン社長(左)と
フランチャイズ店「コジと友達」でのメニュー(右)

プロローグ:スッピンで現れた女性CEO

取材当日、私は彼女の会社のエレベーター前で、小学校でのボランティア活動から急いで戻ってきた彼女とばったり出会った。彼女は気さくに「取材の前にお化粧しようと新しく買ってきました」10代が使う安いブランドのBBクリームを見せてくれた。「とても良い製品ですよ」と自慢げに言う彼女の顔には全く化粧っ気がないばかりか、アクセサリーもつけず、服や靴もブランド物は全く身につけていない。

「毎月4億円近くの売上を挙げる会社のCEO、しかも若くて綺麗な未婚の女性が何故着飾らないのですか?」と尋ねると、「価値のないものに何故お金を使うのですか。ブランド品を身につけるのは、自分に自信がないからではないでしょうか」と彼女に反問されてしまった。
こうして始まったインタビューは、生き生きとした彼女の魅力と、これからの韓国女性の明るい未来像を感じさせるものとなった。


1.「お金を稼ぐ」原体験となった高校3年生の牛乳配達

ジョンユン氏が働くきっかけは、高校3年生の時、大学センター試験を終えた18歳で始めた牛乳配達だった。韓国では、配達する管轄地域の営業権を購入し、お客様を増やすと自分の儲けになる。そのため、彼女はアルバイトではなく、最初から母親に営業権を購入してもらって牛乳配達を始めた。

当時、韓国では担当者が変わると牛乳配達を断る家庭が多かった。彼女はその問題を「イチゴ牛乳攻略作戦」で乗り越えていく。土曜日には配達のない日曜日の分まで用意し、いつもの牛乳以外に、子どもがいる家庭にはイチゴ牛乳、子どもがいない家庭にはブドウジュースや、オレンジジュースを勧める。
“販売品目を多様化する”彼女の戦略は的中し、配達を断られないばかりか、独自のオーダメイド式牛乳配達によって、彼女は何と1ヶ月200万ウォン(約15万円)の純利益を稼いだ。この経験から、彼女は「お金儲けは難しいことではない。良く考えながらやればいい」と自信をつけたのだった。

さらに彼女は牛乳配達をしながら “お金を稼ぐ”ための2つの強烈な原体験に接した。

最初は牛乳配達の帰り道に交通事故でけがをした小犬を発見したことだった。
すぐに動物病院に連れていくも、獣医は制服姿の彼女と捨て犬を見て、手術代を先払いしろという。手術代は払えたものの、入院費用までは手が出ず、そのまま家に連れて帰る途中、麻酔からさめた犬がまっすぐ彼女の目を見つめた時、彼女は鳥肌が立ったという。
牛乳配達のお金で小さな生命が生き返った、その興奮極まった瞬間を忘れることができない。「お金の力」で生死が決まることを実感した彼女は、「自分で稼ぐ」人生を決心したのである。

2つ目は、ある家にいつものように配達してふと振り返ると、10歳ぐらいの少年が2本の牛乳を盗んで逃げる瞬間だった。必死の思いで追いかけると、少年はぼろぼろの長屋に入っていく。彼女を見た少年は驚いて牛乳を落とし「ごめんなさい。二度とやりません。」と涙ながらに詫びたという。家の中には病気で寝ている祖母と小さな妹が寝ていた。真冬にも関わらず暖房もない。親はどこへ行っているか分からないとのことだった。少年は学校にも行かず妹のためにお金持ちの家が並ぶ町まで出かけ、毎日牛乳を盗んでいたのだ。

彼女はその少年に自分が持っていたお金を全て差し出し、逃げるように部屋を出た。自分が追いかけてきたことが恥ずかしくて涙が溢れ、前が見えなくなった。この瞬間に彼女は「お金を儲けよう。儲けてあの子のような人々がせめて満足に食べられるよう、何とかしたい。たくさん儲けて社会に還元するんだ」と決心することになる。


2.母校である有名女子高校の前で始めた鳥串焼きの屋台

その後、大学に入学した彼女だが、実はどうしてもイギリスへ語学留学に行きたかった。
しかし親はタクシーの運転手、姉と弟もいて留学費用をねだれる家庭事情ではない。
そんな時に彼女は姉が通う大学の焼き鳥屋台にはいつも行列ができていることを知る。

彼女は即座に大学を休学し、母に300万ウォン(約23万円)を借りて、リヤカー、オーブン、材料などを購入し、名門女子高である自分の母校の前に店を構えた。登下校する後輩たちに焼き鳥を売り始める彼女に、高校時代の担任教師は唖然とし「お前、ここで何をしているんだ?」と問いかけてきた。恥ずかしかったが、勇気を出して「先生、どうしてもお金をためて留学したいので焼き鳥一本買ってください!」と強く言った瞬間、彼女は「人間は追い込まれると性格も変わる」と実感したそうだ。

幸いにも後輩たちが下校時に焼き鳥を買ってくれるようになったが、今度は屋台の取り締りがある。隠れん坊のように逃げ回っていると、せっかくの常連さんを逃してしまう。
そこで彼女が考えたのが「赤いパラソル」である。取り締りから逃げるためにあちこちに屋台の場所を移しても、お客様は遠くからでも「赤いパラソル」を目印に彼女の屋台を見つけることができた。いわば「赤いパラソル」は名もない彼女の屋台のブランドとなった。

「屋台で商売する際に何が一番大変か、知っていますか?」と突然に彼女が質問してきた。 「実はトイレです。客のフリをして何度も同じお店のトイレを借りるのも限界があるし、一番入りやすいゲームセンターを何軒も順番で回りました。でもやはり忙しい時には我慢しなければならないので、とうとう膀胱炎にかかって大変でした。」


3.計算もできない、料理もできないのに店は大繁盛!?

“商品の差別化”も彼女は怠らなかった。
当時、屋台の焼き鳥は1羽をぶつ切りして串に刺すので、一口ごとに骨を口の中からペッと吐き出しながら食べるのが普通だった。何とも不便だと思った彼女は、早速鶏肉の加工工場を訪ねて、骨をすべて取り除いたものを供給してほしいと相談した。当然加工する手間がかかり原価が上がるが、それでも何百ウォン(何拾円)ぐらいは残る、彼女が思い切って始めた“屋台の骨なし焼き鳥”は大当たりとなった。

さらに彼女の工夫は続く。女性客を見ていると、串焼きは最初の1,2個目は良いが、3個目あたりから串を横にして肉を引っ張って食べなければならない。若い女性にはどうしても食べにくく、口の周りもソースだらけ、リップスティックの色も消えてしまう。そのため、多くの女性が途中から串を折ろうとするが、竹で出来た串は丈夫なのでなかなか折れない。
「どうすればお客様がより楽に食べられるのか」と考え続けた彼女は、とうとう、ある日、串を思いきって取ってしまう。“ホイル巻き”が生まれた革命的な瞬間である。

こうした一つひとつの出来事から、彼女は顧客と交流しながらベストな製品を作り上げる「製品開発の醍醐味」を肌で感じることが出来た。
同時に屋台の売り上げも順調に増加した。1個1,000ウォン(約80円)の焼き鳥が1日1,000本、1カ月の売り上げが3,000万ウォン(約230万円)、純利益が多い時で1,000万ウォン(約80万円)となった。その結果、屋台を初めてから6カ月で約3,600万ウォン(約300万円)を貯め、彼女は最初の夢であったイギリス留学へと旅立ったのだった。

しかし彼女が母親と弟に屋台を任せると、4か月間で屋台の売上は落ちる一方だった。すぐに彼女が帰国して屋台に復帰すると売上は急カーブで再上昇、そんなある日、突然、彼女の屋台の目の前に30坪のチキン専門店が登場した。

「これ以上、他に移るのは無理がある。店舗を探そう!」と彼女は決心。しかし今まで儲けたお金は留学費用に全て費やして、手元にはお金がない。まとまった現金も不動産も持たない彼女が銀行からお金を借りることは不可能だ。彼女は周囲の反対を押し切って消費者金融から3000万ウォン(約230万円)を借り、近くの4坪の店舗を賃貸で手に入れたのだった。


4.独特な視点が活きる販売戦略

狭い店舗だが、インテリアを明るく、自分や働く人間の服装も鮮やかなオレンジ色にした。その理由は「もしかしたら、ここを訪れる人の中に、将来自分の旦那さま、または姑になる人がいるかもしれません。その人たちに自分がズボラな格好で記憶に残るのは嫌ですからね」。 また、店の前で並ぶお客様にはコーラを無料で配った。脂っこい焼き鳥を食べた後に、さっぱりした飲み物をというわけだ。その分コストもかかれば、飲み終わったコップも洗わなければならなかったが、客たちは意外なサービスに大喜びだった。
寒い冬に考えたのは韓国名物の「ボンデギ(さなぎの幼虫)」だ。ボンデギは味付け前に何回も繰り返してキレイに洗わないと、味が苦くなってしまう。腕が痛くなるほど徹底的に洗って大釜にお塩を入れればOK。この抜群の味のボンデギを彼女の店では「ボンデギ狩り」という面白いネーミングで楊枝と一緒に出し、並んで待つ間にいくらでも食べられるようにした。実はボンデギは表面がツルツルするので、楊枝で刺しにくい。お客様は寒いなか並ぶのを我慢するどころか「焼き鳥はゆっくりでいいよ」と真剣な顔で「ボンデギ狩り」に熱中する人もいるほどだったと言う。


5.聞き上手で最高の味を実現

彼女にビジネス成功の秘訣を聞いた。「私はとても料理が下手ですが、お客様が教えてくださる通りに従ったことが今日の成功につながったと思います。」と彼女は語った。

例えば、母校の前で焼き鳥を売った時も後輩たちとこんなやり取りがあった。
「オンニ(お姉さん)は愛想はいいけど、焼き鳥の味は他の屋台よりまずいよ。でも他よりきれいだから、ここで食べているんだ」「あら、そうだったの。そしたらどうすればおいしくなるのかね」「このソースにもう少しお砂糖を入れて、コチュジャンも入れるんだよ。それから玉ねぎの汁ももう少し・・・」素直に翌日からその通りにソースを作って売ると、助言してくれた後輩もソースを味わって大喜び!次には大勢のお友達を連れてきてくれた。

またある時は、常連の食べ終わった若い男性がいきなり彼女の手に紙を渡して帰っていく。
「やっと自分にも運命的な出会いが訪れた!」間違いなくプロポーズの手紙だとドキドキしながら彼女が紙を広げると、そこには男性の父親が10年間チキン専門店を経営したことと、秘伝のソースの作り方が書かれていた。

こうした全てを参考に、彼女は独自の味づくりを実現してきた。ソースはもちろん、肉の間におもちを入れた「もちもち串焼き」、カルビの薬味に辛みを加えた「口が燃える串焼き」も、お客様の意見を取り入れて作ったメニューである。
屋台がデパートや大型スーパーより絶対的に有利な点、それはお客様からのフィードバックをその場でいただけることだ。人は庶民的な屋台に親近感も感じ、ほめ言葉は大げさに、忠告はやさしく言ってくれると彼女は言う。

だから彼女はCEOになった今も売り場に立つと必ずお客様に聞く。
「もっと美味しく作るためにはどうすればよいでしょうか?」


(2010年11月取材 (後半に続く→)

ジャン・ジョンユン社長が経営する串焼き店舗「コジと友達」(韓国サイト) http://www.ccozi.co.kr/


申 美花(シン ミファ)氏
1986年文科省奨学生として来日。慶應義塾大学商学博士。立正大学経営学部非常勤講師、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科非常勤講師などを兼任。著書は共著として『Live from Seoul』、『日本企業の経営革新―事業再構築のマネジメント』など。日本と韓国企業における経営全般でのコンサルティング事業にも長年の経験を有する。現在、SBI大学院大学准教授。
Email: