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[短期シリーズ:いま改めて、CSRを考える]
2010年新年 特別対談:
21世紀は企業とNGOとの“相克と協働”の時代へ [前半]


拓殖大学国際学部:
長坂 寿久 教授
社団法人アムネスティ
インターナショナル日本:
寺中 誠 事務局長

今やCSR (Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)は企業にとって当たり前のキーワードだ。その一方で、本質が理解されないまま、一種のブームとしてCSRが取り沙汰されている向きがあることも否定できない。
2010年最初のCSRマガジンでは二人の専門家に登場いただいた。対談では“企業はNGOと協働できるのか”“NGOの存在価値とは何か”“いま注目のBPOビジネスに潜む危険性”など、多様な視点で率直かつ示唆に富んだ意見交換が行われた。

CSRイコールNGOとの協働は、世界の本質的な流れ


そもそもCSRとは何かという点から、改めて伺いたいのですが?


長坂:
ひとことで言うとCSRは、企業とNGOとの“相克と協働”によって----1990年代に有名なロイヤル・ダッチ・シェル社とグリーンピース間のブレントスパー事件など様々な事件を経て---作り上げられた“新しい経営システム”論です。

CSRは社会貢献活動と比較されがちですが、従来の日本企業のスタンスは、収益を挙げることが大前提で、儲けを配分する際に社会にも還元、例えばNGOに寄付するというものでした。CSRは本業そのものに環境や社会を良くする仕組みを組み入れる、つまり“本業にNGOを組み入れる”ことです。その点について残念ながら多くの日本企業の認識が薄いようです。CSRレポートの書き方のガイドライン作成しているGRI(The Global Reporting Initiative)はNGOですし、CSR評価機関も多くはNGO出身者が作ってきました。CSR報告書の評価は、NGOとの連携やNGOからの情報が重要なポイントです。

日本は先進諸国の中でNGOセクターが最も小さく、企業がNGOに留意せずともプレッシャーを受けませんでした。まだまだ日本企業はCSRを単に欧米から来た新しい経営システムととらえ、きちんと理解していません。国際的な人権NGOの立場から、寺中さんはどのようにお考えですか?

寺中:せっかくの機会なので、あえて議論を持ちかけますと、CSRのとらえかたについて、若干、自分と違うなあと感じる部分もありました。

まず企業活動とは必ず社会に良い影響も悪い影響も与えるもの、つまり何かしら社会的な負荷を発生させている。そのことを社会に非常に大きな影響を与えるアクターである企業自身が、自らの活動の持続性を担保するうえでのリスク----社会にマイナスの影響を与えたままでは、いつかそれが企業に跳ね返ってくる可能性があるわけですから---と自覚し、そのリスクにきちんと対応するシステム。それがCSR、企業の社会的責任ではないかととらえています。

欧米では日本より市民社会の力が強く、企業の問題が発生するとすぐにNGOが反応します。日本でCSRが活発になったのも、結局は日本企業のグローバリゼーション、特に欧米とのビジネスが活発化したことが大きい。今の日本で、直接・間接の違いこそあれ、国際的な取引がない企業はありませんが、そのことに無自覚でウチは日本だけと言うような企業は今でもCSRなんてどこ吹く風です。 一方で自覚的な企業はCSRにも敏感で、市民セクターを味方につけようと接近する。あえて言うと、今はNGOセクターの対応も問われている時で、社会貢献という名目でNGOに安易に接近する企業に対しては“毒りんごかもしれない”と言った警戒感も持ちながら対応する必要があるかもしれません。

また、海外ネットワークや情報を持つ国際NGOには企業からCSRの観点で頻繁にアプローチが行われていますが、国内の草の根NGOに対するアプローチは従来の社会貢献の域---余裕があるから寄付しますといった---を全く出ないことが多い。日本で市民運動の底力を作るには、この点も変えていく必要があると思っています。

長坂:企業がCSRを意識するに至る契機が必ずしも前向きなものではなかったという点は、そのとおりだと思います。市民活動と衝突した結果、突然に企業価値を喪失するケースが出てきた、そこで何とかしなくちゃということでCSRという概念に辿り着いた。ご承知のとおり、CSRの第一人者といわれるジョン・エルキントンがCSRの基本概念として経済/環境/社会を基盤とするトリプル ボトムラインを作り上げたのも、前述のロイヤル ダッチ シェル社のコンサルティングを行ったことがきっかけです。
つまり企業の社会的負荷に対抗する市民運動によって、初めて企業自身が“自分たちは社会のステークホルダーの一つ”なのだと---それまで企業は自分たちのステークホルダー(利害関係者)が誰か、株主、従業員、顧客等のために何をするかで活動していたわけですが---気づくことができたということですね。

私が強調したいのは、CSRが(ブームではなく)本質的な動向であり、この潮流が後戻りすることはありえないということです。