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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学

長坂寿久の映画考現学-4
『グリーン・ゾーン』
(ポール・グリーングラス監督、2010年、米国映画)


『グリーン・ゾーン』の欺瞞性――もう一度騙されないために

この映画の欺瞞性とは何か。ストーリーを具体的に見ていくと、数々の疑問が湧いてくる。

●一介の小役人の小細工なのか
映画では、国務総省の現地最高幹部パウンドストーンが“嘘”を演出した形となっている。主人公ミラーがパウンドストーンに「これはお前個人の謀略か、上からの指示なのか」と追求するシーンはあるものの、言葉だけで終わり、映画はそれ以上を追求しない。
実際は、アメリカ政権組織自身が、戦争によって名を成したい前大統領のために総掛かりで演出した戦争なのだが、この映画はそうした構造的な問題を一切指摘しない。

イラク戦争がたったひとりの人間、一介の小役人の小細工で始まり、世界が騙されたとでもいいたいのだろうか。もし、そうならば、この映画はアメリカの大罪を矮小化し覆い隠す役割を果たすことになる。
イラクの人々にとって、一介の小役人にだまされて侵略され、多くの命と家と生活を失ったのではたまったものではない。アメリカも核保有国だが、そのために他国から突然侵略され、多くの人々が命を落とすことになったとしたら。そうした視点は、この映画には微塵もない。

映画ではアナザーストーリーとして、侵攻後のイラク新政府での地位を保証された閣僚アル・ラウイ将軍がフセインを裏切ってアメリカ側に協力する。ラウイ将軍はパウンドストーンにイラクが大量破壊兵器を保有していないことを伝えている。つまり、映画からは大量破壊兵器の捏造はイラクの反フセイン派とアメリカの一介の要人とが共謀で行ったとも解釈しうる。これはアメリカの罪を半減させる効果を与える。

タブーを暴いたかのようだが、責任を小役人とイラク側に転化し、それをアメリカ兵が暴くというストーリー展開となっているため、アメリカの組織もアメリカ人も傷つかない。アメリカの軍隊には不正を告発し正義に邁進する立派な連中がいっぱいいるのだと称える、つまり米軍と戦争の推奨映画にすらなっているのである。

●イラク戦争の成功――石油利権の獲得
映画では“大量破壊兵器の嘘”の理由が、一人の小役人の出世欲レベルにされてしまったが故に、アメリカがイラク戦争を行った本当の目的が隠されてしまった。
この歴史的な大嘘によって始められた理不尽な戦争によってアメリカは何を得たのだろうか。実際には、アメリカは戦争の大義を失ったものの、イラクの石油を確実に手にしたのである。

まさにアメリカの石油利権に関わる人々(ブッシュを含む前政権および石油産業関係者、それにアメリカの国益)には大成功だったのだ。そして今も、獲得した石油利権を守るために、アメリカのイラク支配が続けられている。そうした本当のアメリカの意図を、この映画はかえって矮小化し、見えなくしてしまっている。


残念ながら、映画「グリーン・ゾーン」は、アメリカはイラク戦争において何をどう間違えたのか、それを追求し描き出そうとはしていないのである。

●イラク人との対話の不在
主人公ミラーは不正(嘘)を許さない正義のヒーローだ。しかし、彼の正義性はアメリカの正義性であって、「イラク人も私と同じ人間」という人間性/人類観を踏まえているわけではない。ミラーは他人の家に突然侵入し、敵対的だと見なすイラク人を躊躇なく撃ち殺してしまう。戦争中だから当然だと、観客におかしいとは思わせないカラクリとなっている。

しかし、現代に生きる私たちは「経済のグローバリゼーション」の罠に陥っているが、同時に「情報のグローバリゼーション」によってイラクの人々も同じ人間だという「倫理のグローバリゼーション」の中に生きている。アメリカ人はダメだがイラク人なら死んでも良いとは思えないほど、すでに人間として世界を知っているはずである。戦争は国家という権力によって国民的洗脳を行い、そうした人間の倫理感を麻痺させるが、それも完全ではない。だからこそPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる兵隊がますます多くなっているのである。

この映画の最大の欠点の一つは、ミラー以外の人物像が描かれていないことである。ミラー自身も人間像ははっきりしない。大量破壊兵器が発見されれば戦争の全てが正当化される、その秘密任務をまかされるような超有能な兵隊(戦闘能力的のみならず頭脳的にも)であるはずだが、情報に不審をもち始めても、記者たちがどのような報道をしているのかについてインターネットで検索し調べることを思いつかない。自分の部屋にインターネットが使えるPCがるにも関わらず、調べようとしなことにこちらが不審になってくる。

映画では終盤、イラクを裏切ったラウイ元将軍を殺す場面で、イラク人の通訳であるフレディに、最も印象的な台詞を言わせている。
「ここは自分の国だ。あなたたちにこの国のことは決めさせない」と。 しかし、ミラーとフレディとの間に人間的会話は全く行われない。ミラーには、イラク(の人々)と対話するという姿勢は微塵もない。

そもそもフレディは何者なのか。何故フレディは祖国の将来を憂いているのか。元イラク兵らしいが、独身なのか家族がいるのか、何故自家用車をもっているのか、何故英語があんなにできるのか・・そして、何故イラク人を殺す側のミラーにつくのか、全く分からない。
だから、ミラーがラウイ元将軍を殺す場面でフレディがつぶやく、映画で最も印象的な台詞にも素直に感情移入できない。

●宗派対立――パンドラの箱を開けたアメリカ
映画は「あなたたちにこの国のことは決めさせない」とフレディに語らせているが、物語の終盤、イラク各派がこれからのイラク統治について話し合う場面では、各宗派の対立はますます激しくなり、収拾はつかない。かつては宗派対立が激しい国ではなかったイラクにおいて、アメリカの侵攻が、宗派対立というパンドラの箱を開けてしまったのである。しかし、映画ではその視点も深くは描かれていない。