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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学

長坂寿久の映画考現学-4
『グリーン・ゾーン』
(ポール・グリーングラス監督、2010年、米国映画)


イラク戦争から7年。イラク戦争がもたらした現状の実態を探る

戦場から隔離され守られた「グリーン・ゾーン」からの発想によってイラク戦争は開始され、進んでいった。
私たち日本人がイラクの実態について知ることを拒否するならば、それは、まさに「グリーン・ゾーン」の中でイラクの人々が見えないアメリカ軍と同じだ。そして、現実の日本に目を向ければ、多くの私たち日本人もまた「グリーン・ゾーン」から思考し、米軍基地を沖縄(や横須賀)に追いやり、基地周辺の人々の生活への想像力を失っている。

今年はイラク戦争が始まって7年。イラクはアメリカ軍の侵攻によって、どのように変貌したのか。イラク戦争とは何か。侵略されたイラク人側にとっての戦争の実態を、私たちは、いささかでも知っておかねばならない。
〔以下は「ニュー・インターナナショナリスト日本版」No.120/2010年5月号等から適宜抜粋〕。

●100万人以上が殺され、500万人が難民へ

2010年6月11日の米国防総省発表によると、米軍のイラク侵攻以後の死者数は、4407人、負傷者数は3万1844人。これに対して、2003年以降07年までの間に、イラクでは100万人ものイラク人が殺されていると推計されている。(注)
(注)ロバーツ博士グループ(米ジョンズ・ホプキンス大、コロンビア大、イラクのアム・ムスタンシリア大の合同調査チーム)の推計によると、2003年以降の死者数は、2006年6月時点で65万5000人。また、2007年で100万人を超えると推定。イラク政府保健省発表によるイラク人の死者数は、2006年11月時点では15万人。
難民となったイラク人は、500万人以上。うち200万人以上が国外に逃れ、300万人近くが家を追われて国内の他の場所に移住し国内難民となっている。これは人口の5分の1にあたる。2006年と2007年に国内難民となった150万人のうち、33%(50万人)が「スラム地区に住み、不法占拠状態にある」。5万人のイラク人難民が売春業につくことを余儀なくされている。
米国が侵攻後に受け入れたイラク人難民は800人にも達していない。それに対し、スウェーデンは1万8000人、オーストラリアは6000人近くを受け入れている。
800万人のイラク人が緊急支援を必要とし、人口のほぼ半数が絶対的貧困の中にいる。400万人が十分な食糧を得ておらず、緊急に人道支援が必要な状態におかれている。


●先進的な保健医療システムの崩壊
幼児死亡率はサハラ以南アフリカ並に悪化している。国連制裁が導入された1990年に比べ150%も増えている。2005年には5歳以下の子どもの死亡数は12万2000人で、うち半数以上が生まれて1カ月以下の新生児であった。
栄養失調の子どもは、アメリカ侵攻前の2003年の19%から2007年には28%へ増加している。清潔な水がないので汚水に手を伸ばすため、5歳以下の子どもたちの多くが汚水を介した感染症によって命を落としている。
かつてイラクの保健医療システムはアラブ諸国の中でも最高レベルとされてきたが、今はすっかり遅れてしまっている。基本的な医薬品は慢性的に不足しており、治安は悪化し、ゴミや下水処理施設は破壊されたままである。生活必需品の値上がりは激しく、電気は1日4時間しか使えない。水も不安定である。
孤児が増え、未亡人が増え、住まいを奪われている人々が増えている。イラクの孤児数は、2007年に500万人という。小学校に通っている子どもの比率は、2005年の80%から2008年には50%へ低下している。失業率は50%近くに上っている。

●水不足と劣化ウラン弾による小児ガンの増加・・・
前述したとおり、映画では路上でイラク人がポリバケツをかざして水を求め騒いでいるのに出会う。イラク人の70%が飲料水に困っている。適切な水を入手できないイラク人の数は、2003年の50%から70%に増加している。現在の水不足はとくに深刻で、イラクの大部分が4年に及ぶ干ばつで苦しんでいる。北部では、水不足により2005年以来10万人以上が家を捨て、さらに3万6000人にその危機が迫っているという。きれいな水がないため、前述のように汚水から病気に感染する。5歳未満児の死因のトップは水を介する感染症である。
小児ガンも劇的に増えている。アメリカ軍が使用してきた劣化ウラン弾や爆弾に含まれるその他の有毒な物質が原因となっている。未だ公式には因果関係はないとされているが、実態的に小児ガンを含めガンにかかる人が急増している。
女性の被害も深刻である。英国のNGOオックスファムの調査では、回答者の女性の55%が2003年以降家を追われ、55%が2003年以降暴力を振るわれた経験をもつ。そのうち25.4%が街中での偶発的な暴力の被害者で、22%は家庭内の虐待、14%は民兵による暴力、10%は計画的な暴力や誘拐、9%は性的暴力、8%は多国籍軍による暴力の被害者であった。40%の女性たちは、身の危険を感じることなしに保健医療機関へ行くことができないと答え、子どもを持つ女性の30%が子どもの通学時に治安上の問題があると答え、31%が住んでいる地域で自由な移動(市場に行ったりするなど)には治安上のリスクがあり不可能だと答えた。

●宗派争いと治安の悪化
アメリカ侵攻後、宗派による勢力争いが激化してしまった。イラクにおける宗派争い昔からではなく、ごく最近のことだと多くの人が指摘している。
宗派対立の激化により、有力者や地域住民が民兵組織をもつようになり、犯罪も増加した。生活する上での「恐怖」はいつも近くにあるようになった。警察や地域住民の民兵組織のみならず、若い犯罪者集団に突然家を襲われることもある 。歩いて通学するのが危険すぎるため、通学を止めた子どもたちも多い。大学教授、芸術家、医師などが集団暗殺されたり、過激な民兵によって命を脅かされている。2003年以降、2000人もの医師が殺され、1万2000人の医師が避難した。宗派対立の激化によって、さまざまな宗派が住む地域において民族浄化が行われ、避難民をつくり出す要因となっている。 アメリカの侵入は平和をもたらすどころか、宗派間対立を固定化してしまったのである。 アメリカ軍は、かつて20万人も駐留した時もあったが、現在は10万人駐留している(今年(2010年)の夏には多くが撤退予定)。


●アメリカ兵のPTSD
イラク戦争は、圧倒的にイラク人を苦しめたと同時に、数多くのアメリカ兵が戦死に至り、生き残った多くのアメリカ兵は、今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいる。
イラクとアフガニスタンからの帰還兵のうち20%がPTSDや重度の鬱病を訴えているという(ランド研究所08年調査)。2009年に自殺した米兵は、同年にイラクとアフガニスタンで戦死した兵士より多い(雑誌コングレョショナル・クオーター)。2005年には毎週120人の元兵士が自殺を図った。最も自殺率が高いのは対テロ戦争に従事した20〜24歳の退役兵で、自殺率は同じ年齢層の市民の2〜4倍に達している(CBSニュース07年調査)〔これらは『ニューズウィーク』日本語版2010年5月26日付から引用〕。

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現代において、戦争を起こすのは「国家」である。「国家」とは政治家のことである。政治家は企業(経済界)と結託して戦争への道を選択していく。政治家と企業の暴走をチェックする新しい民主主義システムの構築が問われているのである。

企業のCSR担当者への一言:イラクの人々への貢献
アフガニスタンの復興支援の一環として、荒廃した乾燥地に運河を堀り、水を引いて農業適地の復活を行う灌漑事業や農業支援を行っている中村哲医師の活動(ペシャワール会)についてはご存知の方も多いと思います。企業のCSR活動として、こうした紛争地域への医療支援などの開発協力支援は非常に重要な意味をもっています。イラクやアフガニスタンなどの紛争地域への支援は、企業の社会問題意識が非常に高いことを物語り、CSR報告書の評価機関からも高い評価を得ることになるでしょう。

イラクやアフガニスタンで活動している主な日本のNGOとしては、(社)日本国際民間協力会、NPO法人ジェン、認定NPO法人ピースウィインズ・ジャパン、認定NPO国境なき子どもたち、社団法人セーブ・ザ・チルドレン、認定NPO法人国際ボランティアセンター、日本イラク医療支援ネットワーク等々があります。企業がこれらNGOと組んで、そのNGOを支援する活動は非常に有意義なものです。その際、企業としてこうした活動に従業員も積極的に参加するような仕組みが作られているともっとよいと思います。



長坂 寿久(ながさか としひさ)
拓殖大学国際学部教授(国際関係論)。現日本貿易振興機構(ジェトロ)にてシドニー、ニューヨーク、アムステルダム駐在を経て1999年より現職。2009年に長年にわたるオランダ研究と日蘭交流への貢献により、オランダ ライデン大学等より『蘭日賞』を受賞。主要著書として「オランダモデル-制度疲労なき成熟社会」(日本経済新聞社、2000)「オランダを知るための60章」(2007)「NPO発、『市民社会力』−新しい世界モデルへ」(2007)「日本のフェアトレード」(2008)「世界と日本のフェアトレード市場」(2009、いずれも明石書店)等に加えて、映画評論としては「映画で読む21世紀」(明石書店、2002)「映画で読むアメリカ」(朝日文庫、1995)「映画、見てますか〈part1-2〉−スクリーンから読む異文化理解」(文藝春秋、1996)、など。