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司会 次は湯浅さんにお願いします。湯浅さんは、昨年末の派遣村で活躍されました。自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長です。新政権のもとで雇用・貧困対策に関わるという話もあります。

 

滑り台社会の“安全網”

湯浅誠

(自立生活サポートセンター・もやい事務局長)
私は1995年から路上問題に関わってきました。いまは近年にない危機的状況だと思っています。東京都内の路上生活者に対する炊き出しは、去年の2倍ぐらいとなっています。支援団体の間ではお米が足りなくなるということで新聞にも載りました。私は「もやい」という団体に絡んでいます。路上であれ、ネットカフェ難民であれ、アパート住まいであれ、あらゆる相談を受けていますが、相談の数は昨年の3倍に増えています。

「食べられない」「安心して寝起きできない」という人たちが増えているというのが現状です。かつて同じことがあったのは1990年代の後半。私も1995年から活動を始めたのですが、私が始めたとき、渋谷に野宿の人は100人弱しかいませんでした。ところが1999年には600人にまで増えました。わずか4年の間に6倍に増えたわけです。毎年1.5倍ずつのペースです。

放置から自立支援へ

当時の行政の対応は基本的に放置でした。人々は路上で自分たちの生活を築きました。寝る場所のない人は段ボールハウスを建て、段ボールの人はテントを建て、テントの人は小屋を建てました。みんなで食事をつくり、みんなで分け合うという基盤をつくってきたわけです。1999年かに2000年には大都市だけの問題ではなく、全国の問題になりました。
そのときの対応の1つは自立支援事業であり、2002年にできたホームレス自立支援法です。これらの法律は一定の役割を果たしたと思います。

一方、生活保護は90年代までは非常に間口が狭いものでした。2000年には少し開かれていきました。路上からの生活保護申請が多くのエリアで可能になりました。法律では可能だったものが事実上、排除されてきたのです。さまざまなNPOなどの活動もあり一定の成果がありました。しかし、世の中全体の貧困が進む中で、必ずしも状況は改善されていきませんでした。それに追い討ちをかけたのが、リーマンショック以降の不況です。

“しいられた滞留”から“しいられた移動”へ

これまでは人々は路上にとどまらざるを得ませんでした。これを“しいられた滞留”と私は呼んできました。いまは逆に路上にとどまることすら許されません。これを“しいられた移動”と呼んでいます。

現在、大都市圏では公園対策が進んだ結果、公園にはテントが建てられなくなりました。かつて300とか500規模のテントが建っていた場所でもいまは20〜30だけです。新規に立てることは許されなくなっています。でも、路上に落ちてきた人はどこかで寝起きをしなければいけません。移動しながら、寝る場所も探さないといけなくなっています。

東京墨田区では区立の公園にも24時間体制でガードマンが巡回します。身体を横にしていると起していきます。テントも建てられない、横になることもできない。人々は排除圧力の弱い所に向かっていきます。墨田区の近くでは浅草の仲見世街に多くの路上生活者が寝起きするようになりました。当然、商店街との軋轢が高まります。野宿者同士の争いや商店街との争いで、路上生活者はくたくたになっています。

自立支援事業はいまどこの施設もいっぱいです。相談に行っても2ヵ月後とかになります。その間の居場所は自分で探すことになります。人間、移動するにはエネルギーが必要です。路上で滞留していた時期に比べると、いまはエネルギーが多くかかるようになっているわけです。

もう1つの傾向は多様化です。90年代の後半、野宿者といえば中高年の単身の男性でした。日雇い労働者が失業を機会に野宿に至るというケースです。健康な中高年の男性が失業だけを原因に野宿になってしまうわけです。それは逆に労働市場の外に、失業保険や生活保護という安全網が効いていないことを示していました。

企業から放り出されたら路上生活者

日本の社会は、滑り台社会になっています。企業から放り出されたら、家族の支えがない限り、一気に路上生活者になってしまうわけです。このような形態を私は野宿の東アジア的形態だと呼んでいます。健康な中高年男性が失業を機会に野宿する。このような傾向は日本や韓国や香港でしか知りません。

3歳の子どもを連れた3人世帯が昨年末に隅田川のほとりで保護されました。一家で転々としている人たち。あるいは若年で保護される人たち。状況も複雑になっています。日本のホームレスもグローバル化してきたのかもしれません。

派遣切りとホームレスは対立する概念か

社会的な危機感が生まれているかというと必ずしもそうではありません。昨年末、派遣村というのをやりました。派遣切りされた人たちの現状を社会に訴え、可視化しましたが、社会からは派遣切りされた人たちの中にホームレスが混じっているということで心無い非難を浴びました。派遣切りされた人たちはかわいそうだけど、ホームレスはかわいそうではないという声さえありました。

私たちは昔ながらの偏見をいまだに打破できないでいます。今回、政権が交代し、昨年末と同じようなことを二度と起さない、ホームレスと派遣切りを選別しない、住宅の確保やセーフティネットへの対応がとられるかどうか、というところに注目をしていかなければなりません。