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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学


長坂寿久の映画考現学-3
『マイレージ・マイライフ(原題UP IN THE AIR)』
(ジェイソン・ライトマン監督、2009年)


[年越し派遣村とは何だったのか]

どの国でも雇用問題は深刻な事態であり、危機をもたらす。しかし、あの2008年末から09年の「年越し派遣村」のようなことは日本以外の先進国では起こり得ないだろうと思う。

なぜ日本だけで、こんな差別的かつ悲惨な事態が起こっているのか。
それは日本がいかに雇用差別の際立った国であるかということを示している。しかも、その差別構造を、21世紀に入っても、世界の雇用平等化への動きと全く逆行して、一層拡大させてきているのである。

例えば欧州では、失業すると失業手当が支給される。何らかの状況で失業手当がもらえない場合は、ほとんど自動的に生活保護手当をもらうことができる。
日本では、失業手当が給付されにくいように制度が設計されていて(1年以上の継続雇用が必要条件)、さらに企業はそれを悪用(働いている人が1年を迎えようとすると、一旦雇用を打ち切って、その後再び新規として雇用するなど)している。そのため差別的な雇用を受けている人々はとくにその対象となって解雇されやすく、直ちに従業員宿舎を追い出される上に、困り果てて生活保護を申請すると、「あなたまだ働けるでしょ!」と窓口で冷たく扱われて給付を受けられず、派遣村にしか行くところがないという状況が起こる。

ILO(国際労働機関)によれば、日本の失業者の内、失業保険を受け取れない人は全体の77%(210万人)とのことである(09年3月発表)。ちなみに中国は84%。この数字も問題である。
年越し派遣村が必要となるような事態は、「雇用調整」の対象としやすい非正規労働者の増大がその基盤にある。しかも、日本の非正規労働者は、給与等の面ですでに大きく差別されている。日本の50〜54歳の労働者の平均賃金は、正規社員が39万3900円であるのに対し、非正規は19万1300円で、正規給与者の49%に過ぎない(08年)。
こうした日本の雇用制度を世界の動きと対比すると、いかに逆行した方向へと変化してきたかが分かる。


[雇用差別への取組みの歴史]

私たちはさまざまな形で雇用差別を生み出してきた。と同時にそうした雇用差別をなくすために多くの努力を払い、闘い、雇用平等へと道をひらいてもきた。

戦後の歴史をみても、人種による雇用差別への取組みがあった。公民権運動などを経て、人種による雇用差別禁止を法制化し、徐々に改善をしてきた。障がい者に対する雇用差別への取り組みも行われてきた。日本では事業主が障がい者を雇用する義務を負う「障害者雇用促進法」(1976年)が導入され、従業員の1.8%以上(法的雇用率)の障がい者雇用を行うよう規定されている。

70〜80年代になると、ジェンダーによる雇用差別への取組みが国際的にも大きなインパクトを与えた。アメリカでの女性解放運動は、男女雇用平等化の運動となり、やがて80年代には世界へ広がっていき、各国で平等化への法律が導入され、男女雇用平等は常識となっていった。

もちろん、依然として人種差別も男女差別も実際的には残っているが、昔に比べると大きく改善されてきたといえよう。かつて、人種差別も男女差別も“常識”の時代があったが、今や人種の平等も男女平等も、国際的な常識となっている。こうした雇用平等を勝ち取るには、大変な運動と闘いと犠牲が伴った。また、人々の意識を変えることにも大きな努力が必要であった。しかし、私たちは一旦平等が“常識”になれば、それを当たり前のこととして受け入れ、当然と思いつつ暮らすようになっている。「常識」は変えていくことができるという経験を忘れてはならない。


労働時間差差別への取組み

〜〜21世紀の働き方としてのオランダ型ワークシェアリング
人種や性差による雇用差別問題への取組みに続いて、90年代後半から始まり、21世紀に入って国際的に取り組まれているのが「労働時間差」による差別への取組みである。フルタイム労働とパートタイム労働の労働時間差による差別への取組みであり、実質的には「同一労働同一賃金」の導入である。それによって多様な働き方が可能になり、個人の選択の幅を広げることにつながっている。

この世界最初の法的措置は、1996年オランダで行われた。有名な「政労使の三者合意」により、人種差別、男女差別などの差別禁止をする法律に、労働時間差による差別の禁止が盛り込まれた。これが「オランダ型ワークシェアリング」といわれるものである。

この新しい雇用平等化への取り組みは、オランダに経済的活力とともに、もっと重要な新しい働き方をもたらした。アメリカの女性解放運動は男女雇用平等による女性の自己実現という道を開いたが、キャリアを求めるためには男性と同じように働く必要があった。アメリカの女性たちは、キャリアか個人的幸福(結婚や出産)かなどの選択に苦しんでいる。あるいは男性(夫)の協力が十分得られず、家族の崩壊をもたらすケースも増えた。

しかし、オランダ型では、キャリアか出産かの選択に苦しむ必要がなくなったのである。 育児期間には週5日労働(週休2日)のフルタイムから、週休3日あるいは4日のパートタイム労働へ変わることによって、キャリアを継続させながら出産・育児を可能にできる。そして、出産あるいは育児が終われば、もう一度フルタイム労働に戻ることもできる。日本でも「ライフワーク・バランス」という言葉だけが定着するようになったが、この型を現実化した雇用モデルが、「オランダ型ワークシェアリング」なのである。

オランダ型は、女性の自己実現を目指すだけでなく、全ての人にとっての、夢の実現可能型といえる。たとえば、画家への夢をいだく青年は、パートタイムで働きながら、週3日か4日画家の学校へ行く数年間が選べるかもしれない。子育てを終えて共通の趣味を楽しみたいカップルは、必要な収入を得られるだけの勤務時間にライフスタイルを変えられるかもしれない。オランダ型はひとりひとりがキャリアの面で自己実現しつつ、それ以外の自分や家族を大切にしうる、21世紀的働き方を実現したものとなっている。

オランダでこうしたことが可能であったのは、雇用差別制度がそれまで比較的少なく、日本のように、フルタイムは正規職員、パートタイムは非正規という構造的差別が小さかったことが背景にあるであろう。