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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学


長坂寿久の映画考現学-3
『マイレージ・マイライフ(原題UP IN THE AIR)』
(ジェイソン・ライトマン監督、2009年)


「日本的経営」をいかに放棄したか――世界の動きに逆行する差別増大の動き

こうした、労働時間差による差別の禁止への取組みは、人種差別、障がい者差別、男女差別に次ぐ、21世紀の新しい雇用平等化への取組みとなっている。
オランダでの導入後、まずEU(欧州連合)の欧州委員会で決議(指令)され、各国はこのオランダ型の雇用システムへ向けて(労働時間差差別を禁止する)法律を導入していくことになった。そしてさらに、ILO(国際労働機関)でも、同様に労働時間差差別を禁止する決議が行われた。

つまり、90年代後半から20世紀に入っての世界の雇用問題の本質的潮流は「労働時間差による差別」の撤廃への取組みであった。これが「ワークシェアリング」問題の核心なのである。しかし、日本はこの当時、こうした世界の動きとまったく逆方向の労働政策を選んだのである。

日本の雇用制度は、90年代から21世紀に入って、次のように展開してきた。
1986年、中曽根内閣の時に、通訳や医師などの特定の職業に対して派遣を認める「派遣雇用法」を導入した。こうした特殊な専門職については、正規雇用とは異なる派遣雇用方式を認めることにとくに大きな反対は表面化しなかった。この時、まさに現在に至る小さな穴が周到に開けられてしまったのだが、労働組合セクターからのきちんとした反対運動は起こらなかった。

それから10年後、オランダが労働時間差の差別を禁止した1996年、日本は製造業と建築、医療など数分野以外では、この派遣制度を原則自由化することにした。そして、2004年、小泉政権によってついに製造業への派遣も自由化してしまったのである。

この2004年は、日本の戦後の経済成長をもたらした、いわゆる「日本的経営」が完全に、そして法的にも放棄された年として、後世の歴史家によって記述されるであろう。別の言い方をすれば、日本の雇用のセーフティネットが根本的に破壊された年として知られることになるであろう。

それまでの日本は、年功序列、終身雇用、手厚い福利厚生制度、新卒採用など、いわゆる「日本的経営」システムにより、企業自身が雇用のセーフティネットを担ってきた。景気が悪くなってもできるだけ首を切らず、雇用を確保・持続するように企業は努力してきた。そこに日本企業の強みがあるともいわれてきた。

この、製造業にも派遣を認めることによって起こった象徴的事態は、日本の雇用者の40%近くが非正規労働者(期間社員/派遣社員/請負社員)となってしまったことである。男子・正規社員をベースに構築されてきた雇用システムの外側に、非正規労働者という層を作り出すことによって、労働コストを低く抑えようという政策をとったのである。そこには、中国の台頭に対応するためという、経営的要請があったといえよう。現在、正規雇用者とそれ以外の人々との格差・差別はますます拡大し、固定化されている。この派遣労働の導入が、「日本的経営」を終焉させ、日本のセーフティネットを破壊し、日本社会の結び目を事実上崩壊させてしまうことになった。

ここに至るまでの長い期間、「主婦のパート労働」という労働差別問題があった。税制、年金制度による政府政策と、企業の福利厚生制度が、主婦がフルタイムの正規労働で働くと家族所得が不利になるように設計され、企業にとって都合のよい雇用調整労働力の位置に取り残されてきた。それが、「同一労働・同一賃金」を阻む温床をも作ってきたのである。


新しいセーフティネットの構築へ

指摘したいのは、中国などとの競争に対応するためには、もはやセーフティネットを提供できないという事態になった時、それに代わって政府がセーフティネットを構築せよという主張が企業(経済界)側からなされるべきだったということである。自社の労働者を解雇するのであれば、経営者としてそれ位の道義的責任を持つべきであったし、国際的問題意識にも敏感であるべきであろう。
逆に政府側は、派遣を製造業にも認めてほしいという産業界からの要請を受け入れるならば、当然ながら政府自らが企業に代わってセーフティネットを構築する政策措置をとるべきであった。さらに不思議なのは、一体労働組合セクターは何をしていたのだろうか。

しかし、実際には、そうした配慮は一切議論も提示もされなかった。欧米先進国では雇用の一層の平等化を通じて雇用の柔軟性を強化しようとしている時に、日本は一層差別を強化する方向に舵取りをしたままで、口を拭うことになったのである。何とも不思議なことだと感じざるをえない。

そこにリーマンショックが起きた。国際金融システムが事実上崩壊し、“大恐慌以来”の不況がきてしまった。年越し派遣村の存在自体がそうした日本の差別的雇用システムの存在を象徴するものとなったのである。

現在、雇用のセーフティネットの再構築について議論が行われている。失業手当の支給要件となる雇用期間は1年間よりもっと短くしよう、等々の検討も始まっている。また、この4月には派遣法改正案の審議が開始した。しかし修正案には抜け穴となる恐れのある例外条件がつけられており、早くも骨抜き作業が始まっている。

同時に、残念ながら、2009年版の企業のCSRレポートを読むと、自社の経営に貢献しているこれら非正規の従業員について言及している企業がきわめて少ない。むしろ少ないことが、日本企業のCSRレポートの特徴となっていると言ってもよいくらいだろう。
企業は正規職員のみを人材かつ人事コストとして人事部で受け持っているが、派遣や請負の非正規社員は生産コスト(経費)の一つにすぎないとしか見ていないのだろうか。さらに言えば、請負や派遣社員の数を人事部が把握さえしていない企業も少なくないと思える。それが日本の実態であるようだ。
このことに、私たちは、もっと関心を持ってよい。


企業のCSR担当者への一言:非正規社員についての記述
CSR報告書の中に、従業員政策に関する項目があり、ワークライフバランスについて記述されています。しかし、派遣や請負などの非正規社員についてその数を把握し、彼らのワークライフバランスについても配慮したCSR報告はほとんど見あたりません。この点について社内でしっかり議論する必要があると思います。



長坂 寿久(ながさか としひさ)
拓殖大学国際学部教授(国際関係論)。現日本貿易振興機構(ジェトロ)にてシドニー、ニューヨーク、アムステルダム駐在を経て1999年より現職。2009年に長年にわたるオランダ研究と日蘭交流への貢献により、オランダ ライデン大学等より『蘭日賞』を受賞。主要著書として「オランダモデル-制度疲労なき成熟社会」(日本経済新聞社、2000)「オランダを知るための60章」(2007)「NPO発、『市民社会力』−新しい世界モデルへ」(2007)「日本のフェアトレード」(2008)「世界と日本のフェアトレード市場」(2009、いずれも明石書店)等に加えて、映画評論としては「映画で読む21世紀」(明石書店、2002)「映画で読むアメリカ」(朝日文庫、1995)「映画、見てますか〈part1-2〉−スクリーンから読む異文化理解」(文藝春秋、1996)、など。