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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学

長坂寿久の映画考現学-6
『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』
(ウケ・ホーヘンダイク監、2008年、オランダ映画)


オランダモデルの鍵となるコーディネーター=プロセスマネジャー

オランダの場合、今回のような都市計画的プロジェクトでは、「プロセスマネジャー」(あるいはプロジェクトマネジャー)という職域をつくりあげてきた。
プロセスマネジャーには強い権限が与えられて任命され、プロジェクト推進に中心的な役割を果たす。多くのマルチステークホルダーの利害を調整し、役所の認可や必要な法的措置を含め、プロジェクトの全プロセスをまとめ上げていくプロジェクトマネジメントを行う、「協働コーディネーター」的な職務である。

こうしたオランダモデル方式を通して、オランダは前述のようにスキポール空港のような都市部にある空港(市街から9キロの近さ)での滑走路の拡張なども、成田空港のような問題を起こさずに比較的スムースにすすめてきている。

オランダの都市開発は、地域の人々の声を最初から聴取しつつ、歴史を保存しながらかつ未来的なものも導入しつつ、その調和を図りながら新しい都市創りを成功させてきている。それ故に、オランダの都市計画手法は先進的なものとして成功してきており、21世紀型方式として注目を集めてきたのである。

その点で、このアムステルダム国立美術館のケースが何故失敗したのかには極めて興味を引かれる。この失敗の本質については、しっかり調査されるべきだと思うが、私が映画を観て感じた点について、オランダモデルの視点から以下に2点を指摘したい。


オランダモデルの軽視はなぜ起きたのだろうか

1つは、このプロジェクトにおけるNGO(市民社会団体)の位置付けである。
自治体的組織である南区地区委員会やサイクリスト協会などのNGOに、何故初期段階(少なくとも設計案作成段階)から参画してもらい、意見聴取し調整しなかったのかという問題である。
ここにオランダモデルの手法を軽視する何かが働いたのではないかと推測できるのである。

この美術館は真ん中を自転車道路と歩道が貫いていて建物を横断できるようになっている。
コンセルトヘボー(オランダが誇る有名な交響楽団の本拠地のコンサートホール)から、ミュージアム広場の広い芝生を渡り、左にゴッホ美術館を観ながら、このライクスミュージアムの建物の真ん中の空間を通って北の旧市街に入っていくのは(この逆も)なんとも気持ちのいいコースであり近道である。つまり、この美術館はアムステルダム南区と旧市街を通り抜けるための交通路をまたぐ門としても機能している。それはアムステルダムの人々にとっては長い間日常生活の一部になってきたのである。

今回の改築設計図では、その要所の真ん中に美術館のエントランスを設ける案となっており、そうなると自転車の通行スペースが狭くなる、とサイクリスト協会が反対を始めたことから、てんやわんやの事件へと突入していく。

地域の自治体組織である地区委員会がこれに同調して反対し、教育文化科学省も口を出し始め、美術館のスタッフ内でも意見が分かれていく。

オランダという国で、自転車乗り(サイクリスト)を軽視することは、オランダ文化の軽視につながると、アムステルダムで生活したことのある私すら実感する。オランダの自転車の数はオランダ人口に匹敵し、オランダの精神となっている。オランダの全土に隈なく自転車道路網が整備されている。

どの道路にも、その脇には自転車道がある。オランダ人は慣れているから大丈夫だが、われわれ外国人がそれを知らずに歩道の一部に区切られている自転車道をウロウロ歩いていようものなら、チリンっ!と鳴らしながら自転車は疾走していく。オランダ人は自転車に乗ると人格が変わるかの如く自分の世界に没頭し邪魔者を驚かして排除しつつうまくすり抜けて去っていく。


自転車はオランダ社会と文化の中核

アムステルダム国立美術館は、サイクリスト(自転車乗り)たちを無視した設計図で改修工事を開始したのだから、てんやわんやになるのは当たり前だと私は思うのだが、この映画が唯一残念なのは、改修工事に反対するサイクリスト協会(自転車愛好家の団体)の主張を丁寧にひろっておらず、むしろ自分勝手な文句を言う団体という印象を与えている感じになっていることである。

つまり、映画の視点が、自転車について文化としてのオランダを語る視点がないこと、しかもプロジェクト開発にオランダモデルのアプローチに無頓着なのである。なぜ地域のNGOたち(サイクリスト協会など)の意見を聞かずに設計図をつくったのか(あるいはコンペを開始したのか)ということへの基本的視野と批判に欠けている。

当然ながらサイクリスト協会の意見は強力である。
サイクリストはオランダの市民そのものであるからだ。市民そのものであることは、当然ながら自治体的組織である地区委員会は、美術館側がしっかりした論理で説明できない限り、サイクリスト側に回ることは明らかである。地区委員会側が「国立美術館は許可を求めていない。かなり進んだ段階で計画を示しただけだ」と話しているシーンがあるから、美術館側がいかに計画段階においては地域を無視し続けてきたかが分かる。

オランダの自転車文化はオランダの象徴である。
オランダが自転車の国であることは、オランダが三角州にできたまっ平らな国であるからだが、この小さな庶民的乗りものこそオランダ文化の象徴なのである。
現在ではエコ的にも最適で、例えばオーストラリアのシドニーをはじめ世界中の多くの街が自転車に乗りましようキャンペーンを行っている。

オランダは質素さをイデオロギーとする国として発展してきた。
贅沢をしたいオランダ人はベルギーやフランスやイギリスなど他のヨーロッパの国は移っていった。その質素さの象徴が自転車である。
宝石をチャラチャラ付け、派手な服装をし、高級車(自動車)に乗り、自分が金持ちであるかのように振る舞うことは下品であり、オランダ的ではないのである(世紀末の好景気を経て、こうした質素さの文化は日に日に喪失しつつある感じもあるが)。

他のヨーロッパの国のように、巨大な建物がないことがオランダ文化でもある。 最大の建物がアムステルダルのダム広場にある、アムステルダム市役所として建てた「王宮」である。ルイ・ナポレオンがオランダを征服した時に王宮として使ったため以後こう呼ばれることになった。

サイクリストという、これほど明確なステークホルダーがアムステルダム美術館には関わっているはずなのに、彼らの参画を最初から行わなかったこと、オランダモデル的に言えば、コンペ要領を作成する以前から入れて再建案のコンセプトを作り上げて来なかったこと、つまりオランダモデルを無視(軽視)したことが問題の発端であり、ボタンの掛け違いの始まりなのであろうと思われる。

コンペに勝ったスペイン人建築家アントニオ・クルスとアントニオ・オルティスは、結局妥協案を飲まざるを得なくなり、「これは民主主義ではない。民主主義の悪用だ。民主主義はもっと崇高なものだ」ともらす。
しかし、これは逆で、市民の声を最初からしっかり聴取せず、勝手に設計図を先走ってつくってしまったことこそ(これは彼らの責任ではないが)、「これは民主主義ではない、民主主義の悪用だ。民主主義とはもっと崇高なもの」なのであることを、21世紀には気づかねばならないのである。