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シネマ&ブックレビュー
長坂寿久の映画考現学

長坂寿久の映画考現学-7
『リローカリゼーション(地域回帰)の時代へ』
未来への希望の道筋を示す映画として


『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督、2010年、ドキュメンタリー映画)渋谷ユーロスペース(2011年2月19日から)/および各地で自主上映中


この映画には「希望」がある。そして未来への道筋がある。

鎌仲(かまなか)監督の初監督作品『ヒバクシャ 世界の終わりに』(2003年)は、1998年にイラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により白血病を病んだ多くの子どもたちとの魂をゆさぶられる出会いから生まれた。そこで“人間への不正義”と同時に、自分(日本)も加害者かもしれないという、自身への本源的問いかけを見いだす。そこから鎌仲監督によるカメラの「旅」は、六ヶ所村---2004年に原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場が完成---に向かう。そして“核”が根っこにある人々の暮らしとその生き方のしがらみを訪ねる第2作『六ヶ所村ラプソディー』(2006年)を制作した。

3作目となる『ミツバチの羽音と地球の回転』で、鎌仲監督はついに自分への“一つの回答”を見つけ出したように見える。だからこの映画には希望がある。私たちに、未来への希望に向かって生きて行こうよ、と問いかけてくる。ミツバチのような小さな羽音でも、一緒に羽音を立てて地球を建て直していきませんかと、語りかける。

もちろん、映画に登場する祝島の人びとが置かれている状況は厳しい。上関原発が着々と作られていく様子に、私たちは無力感さえ感じるかもしれない。祝島の人は言う。「島民自身では、原発は止められない。僕らは、原発建設を一日でも引き延ばそうとしているんです。人びとが原発について知り、世の中が脱原発という風潮になるまで。」
そう、だからこそこの映画は、私たちへ、未来への希望を指し示しているのだ。

また一方で、この映画は「ローカリゼーション(Localization:地域化)」あるいは「リローカリゼーション(Re-localization:地域回帰」」への台頭を示しているように思う。21世紀のこれから、私たちが追求していくべき世界への発想とは「リローカリゼーション」である、そうした確信を分かち合う感動を、私はこの映画を通じて感じることができた。

[ストーリー]

瀬戸内海、山口県熊毛群上関町にある人口500人の小さなハート型の「祝島」。その対岸正面の上関田ノ浦に中国電力は原子力発電所の建設を始める。計画が持ち上がったのは28年以上前。以来、この島の人々は反対運動を続けている。

万葉集にも出てくる島の伝統文化と自然とが共存する生活を続けてきた祝島の人々の日常。埋め立て予定地の田ノ浦は、海底から淡水が湧く生物多様性の楽園であり、最高の漁場だ。そこに、「自然にやさしい発電所」と称して原発が建設されつつある。いうまでもなく、排出される温水から自然の貴重な生態系は破壊され、漁場は破壊される。ウラン濃縮などによる核廃棄物は子孫に有毒な汚染遺産として蓄え続けていくことになる。

島の人びとは原発建設への着手に対して、小船を出し、身体を張って闘う。闘う力の中核にはおばあちゃんたちがいる。

カメラは2020年までに石油に依存しない社会作りを目指し、エネルギーを自給しているスウェーデンの小さな自治体に飛ぶ・・・。