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いま、ボランティアをするということ

映画「マジでガチなボランティア」里田 剛 監督に聞く

「“美談”の裏側にあった苦しみを知り、改めて協力を申し出た」

当時の里田監督は10年以上もTVデイレクターとして有名バラエテイ番組等に関わってきたTV業界から独立し、映像制作会社を設立したばかりだった。「彼らのイベントを映像に収めるのも基本は土日だけ。僕なりの彼らへのボランティア活動でした」

1年ほどたった2008年、石丸さんが綴った「マジでガチなボランティア」が出版社の公募(出版甲子園)でグランプリをとった。「ゲラを読んでドワーっと衝撃を受けたんですよ。撮影してきたイベントの裏側で本当にいろんなことがあった。大成功!のはずのイベントが実は大赤字で彼(石丸さん)が全部丸被りだったとか。」驚くと同時に、里田監督はイベントで黙々と作業する子、そうじゃない子、いろんな姿を思い出し、何があったか想像できる部分もあったという。

「彼らの活動を取り上げたマスコミのほとんどは“チャラチャラした若者が社会貢献”という単なる美談で終わらせましたけど、実際はいろんな現実があるわけですよね」

それまで、里田監督にとって彼らのイベント撮影は“本業の片手間”、依頼を断ることもあった。「でも裏では本当に大変だったんだな、悪かったなという思いで、本の宣伝に今まで撮りためた映像をまとめてみない?と持ちかけました」

それが今回の映画「マジでガチなボランティア」のおおもととなった。しかし里田監督は後になって、この段階でも彼らのことを「まだ上っ面しか見ていなかった」と痛感することになる。

現在まで彼らの活動を通じてカンボジアに小学校1校、病院1軒が建設された。カンボジアには通院習慣がない。水や時計も少なく、時間通りの服薬指導から必要だ。複数の医師や消耗品、医療機器や救急車など、学校よりも圧倒的に費用がかかる病院運営のため、彼らは初期の資金提供を行い、現在も他NGOらに協力を続けている。

「“学生でボランティア”であることの厳しさ」

「自分には映画はとれないと思ってきた」、今でも「監督でございと言えない、言いたくない」監督にとって、今回の映画化は“なりゆき”だったらしい。「YouToubeにアップロードのつもりが、偶然インデペント映画製作セミナーで見た作品がそれまで思っていた“ドキュメンタリー映画=生きるか死ぬかの思いで作るモノ”とは全然違う。失礼な話ですけど、これならGRAPHISの映像も映画になる、“とれない自分が映画をとってもイイのかもしれない”と思えた、それが第2のターニングポイントでしたね」

GRAPHISの学生たちの協力のもと、2009年にシアターツタヤで1日2回の限定公開。有名バラエテイで高視聴率をあげた経験もある里田監督だが、最初の上映会では「これまで味わった事がない気持ちを味わった」そうだ。その後もトントン拍子に2010年に渋谷シネクイントの上映が決まったものの、映画館支配人から言われたのが「もっと、作品力を挙げてほしい」という言葉だった。

「民放の情報番組を作ってきた自分にとって映像は“事象”をとるもの、でも映画は“思いを伝えるもの”だった。そこで改めて、自分は今まで彼らと正面から話したことがなかったなと。」酒の席でも「どこかで自分は社会人、相手は学生となめていた、一人の人間として向き合ってはこなかった。」それに気づいた監督はGRAPHISの学生一人ひとりにインタビューをし直した。いろんな局面で各人がどう思っていたのか、何があったのかを知るなかで、監督は“楽しんでボランティア”という言葉がどれだけ表面的な言葉だったか、学生ボランテイアであるからこその厳しさを改めて理解し、「心の底から彼(石丸さん)をコイツ偉いなと、尊敬した」という。

仕事の場合、給料、ノウハウの蓄積、生きがい、様々な目的がある。仕事を通じた社会貢献をめざす人ももちろん多いが、“社会貢献だけ”が目的ではない。仕事で苦しい時には“今は食べていくために”と言い聞かせることもできる、だから長い目で仕事を続けられる、“仕事で社会貢献”を考えることもできる。

「でも、学生のボランテイアにはやりたいか、やりたくないかしかない。飽きればやめる人間もいる。でも、カンボジアには飢えて苦しむ人たちがいる、自分が約束したお金を待っている、その狭間でずっと彼(石丸さん)はやってきたわけですよね。どうやって皆を引っ張っていくか、会社を経営するよりも、並外れた努力が必要になる。」

GRAPHISの学生たちは寄付を一銭も自分たちのために使わない。カンボジアに行く飛行機代も学生たちの自腹だ。イベント収益から費用を出すのは当然という社会人の感覚は彼らにない。自分たちが飛行機に乗るために寄付されたお金ではない。それを実現できるのも学生だからこそ、しかし、当然そこには激しい葛藤も生まれる。

「ボランティアは継続しなければ意味がない」

なぜ、彼らはそうまでしてボランティアを続けることが出来たのだろうか。その質問に、里田監督は今の日本では状況が異なりますがと断りながらこう語った。

「突き詰めていくと自分探しだと思います。海外で、心の底から感謝される、自分たちの頑張りで目の前の子供たちが学校や病院に行くことができる、そこには“ゆるぎない善”がある。平和な日本に20年間生きてきた若者が、無意識にゆるぎない善を求め、ふとしたきっかけでボランティアを始めた、その結果、彼の場合は、まさにボロボロになるわけですが、ある程度、当初の目的を達するところまでやり切ったと。」

ボランテイアには利得を見つけにくい、だからこそ学生がやる意義があると考える石丸さんは医師の国家試験を受ける年に自分が血みどろで作ったGRAPHISを後輩に譲った。今年の夏で7代目になるという。それだけ聞けば良い話だが、実際には学生だけで運営することは簡単ではなく、今も苦しい思いは続いているという。「でも、彼は絶対にGRAPHISがなくならないで欲しいという。なぜなら、ボランテイアは継続しなければ意味がない、そのためには学生が継承する組織が必要だと彼は考えているからです。」

「震災後の日本で….」

インタビューの中で、里田監督は「震災前の平和な日本の時に作ったこの映画が、今の日本の状況でどのように見てもらえるか」と何度か口にした。映画に登場するGRAPHISの若者たちも今はカンボジアへの支援をストップすべきか、その一方でカンボジアに対して既に約束した支援をどうするのか、話し合いを続けているという。

震災前の別なインタビューで監督は今回の映画を若い世代に見てほしいと語っていた。自分たちの世代は社会に向けて絶対善を叫ぶことに“てらい”があったが、今の若い世代は違う、YouTubeやmixiで人とのつながりをためらわないように、ボランティアに対するハードルは高くない、その傾向はどんどん加速化していくだろうし、今は行動していない若い世代にもこの映画を見てほしい。なぜならば「社会や国を変えることは、良くも悪くも、若者以外に出来ないから」だと。

確かに震災後、多くの日本人にボランティアは一気に身近なものとなった。今回、里田監督とのインタビューも、監督が被災者支援団体の映像ボランテイアを行っていたことを知ったのがキッカケだ。本当に誰もが「自分に出来ること、何が出来るのか」と問いかける毎日。小さなことでも大きな力になる、それは本当のことなのだが、被災状況の厳しさに日本のあらゆるところで「さらに一歩踏み出さなければ」「点の支援ではなく、線につながる支援のために、何かをしなければ」と焦燥感を感じる人が多いのではないか。若者よりも社会人、そして年齢を重ねるほどに「継続することの難しさ、厳しさ」を知っている、だから大人になるほど、最初の一歩のハードルが高くなってしまう。そんな今は、この映画を若者だけでなく、大人が踏み出す勇気をもらうために見るべきかもしれない。

ドキュメンタリー映画「マジでガチなボランティア」公式サイトはコチラ↓
http://www.majigachi.jp/

*渋谷アップリンクで2011年4月16日から/3週間限定公開
*京都みなみ会館で2011年5月末から6月頭に上映決定。
[詳しくは公式サイトの上映情報をご覧ください]

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