インバウンド観光を“地域おこし”に

東日本大震災から5年目の東北、そして九州での取組み

[熊本地震により、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。]

※熊本地震情報(Google)
※現地、熊本支援チーム公式ページはコチラ[寄附・物資支援窓口情報あり]


ゆかた姿で地元の人々と交流する(長崎)

ゆかた姿で地元の人々と交流する(長崎)

海外観光客数が年間2,000万人に迫る勢いだ。一方、迎える側の取り組みでは地域格差も見られる。世界に開かれた地域になるために、何を仕掛ければよいのか、ジャパン・ソサエティー(NY)とNPO法人ETIC.が開催したローカル・イノベーターズ・フォーラム2016からレポートしたい。

日本の暮らしを体験し、交流する(以上すべて長崎)

日本の暮らしを体験し、交流する(以上すべて長崎)


インバウンド観光3

[スピーカー(右から)]
◎宮川舞さん(南三陸町産業振興課観光振興係 係長、宮城県南三陸町在住)
◎小関哲さん(ナガサキアイランズスクール代表、長崎県平戸島在住)
◎須永浩一さん(ヤフー株式会社 社長室、 ツール・ド・東北実行委員会 運営ディレクター、一般社団法人リボーンアートフェスティバル理事、宮城県石巻市在住)
◎司会 山内亮太さん(南三陸観光協会/南三陸まちづくり未来事業プロデューサー、宮城県南三陸町在住)

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観光交流で“生きがいづくり”――宮城・南三陸町

山内:インバウンド観光を地域経済活性化の切り札にしようという動きがあります。オリンピックが開催される2020年には年間2千万人を達成しようという目標もあります。地域での取り組みから報告してもらいます。(2015年3月30日、政府は2020年に4千万人という倍増目標を明らかにした)

最初は観光振興策を地域全体で見直し、観光を「地域づくりの手段」「生きがいづくり」と位置づける、南三陸町の観光振興の取り組みから報告ください。

宮川:南三陸町では2007年から観光キャンペーンを始めました。震災が起き、積み上げてきて良かったと思うのは、観光をとおして地域づくりに参画する住民が増えたことです。

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震災から5年経った南三陸町は、ようやく宅地の整備が終わり、住宅、学校、市場が再建されつつあります。養殖漁業の盛んな街ですが、津波が去った翌日から魚が獲れるわけではありません。海にもう一度種を仕掛け、3年目ぐらいからようやく出荷ができるという状況です。

町の課題には人口減少があります。昨年の国勢調査で南三陸町は全国3位の人口減少率となりました。震災当時17,000人だった人口は、13,000人を切っています。子どもがいてやり直しのきく世帯が転出しています。

観光交流は、1つは「町の誇りを取り戻すため」。2つめは「南三陸町らしさを見失わないため」。3つめは「地域づくりの手段として」継続させてきました。

震災後、震災タクシー、語り部、イベントなどの取り組みはすべて民間主導で進めています。こうした取り組みを通じて、「面白そうだね」「南三陸町は元気があるね」といわれるようになりました。

海外との交流では、台湾が3分の1の資金を出した病院の再建があります。台湾の人たちがどれほど大震災を心配してくれたかがよく分かります。

台湾も地震が多いので、南三陸の経験を学ばせてほしいということで、台湾から高校生たちが震災学習に来るようになりました。もう1つ台湾の大学生が日本企業に就職するために、日本の生活体験をするという体験学習です。今年から台湾の大学生のインターンシップを受け入れます。南三陸にとっては交流の懸け橋、台湾にとっては就職前の日本での生活体験が目的です。

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山内:民泊を進めていますが、少し紹介してくれませんか。

宮川:民泊には15年ほど前から取り組んでいます。中山間地域の活性化にグリーンツーリズムを利用するため、民泊が生まれました。1泊2日でも人と人の間には情が生まれたり、縁が生まれたりします。学生参加者の中には、大人になって再び訪ねてくる人もいます。

震災前、120軒の民泊受入先がありました。震災で半分以上が被災し一旦ストップしましたが、残った30軒が中心となって再スタートしています。先進的に取り組んでいるお母さんたちの会が中心となって、自分たちの感動体験を地域に広めています。

海外の教育旅行受け入れで地域おこし――長崎・平戸

山内:次は25歳で故郷に帰郷し、地域の自然や人々の暮らしをテーマとした教育旅行で国際事業コーディネーターとして関わってきた小関さんから報告願います。

小関:私はいま36歳ですが、16歳から海外で学び「九州弁と英語のバイリンガル」になりました。京都で学生時代を送っていた頃、アレックス・カーさんという知日派外国人のお手伝いで訪日外国人向け研修のお世話をするようになり、この世界に入りました。

インバウンド観光7

その後、自然の近くで生きていきたいとの思いで故郷の長崎に戻ったのですが、小さな仕事を続けていくうちにアメリカのある団体の依頼があり、「教育」「交流」の要素が強い国際企画のお世話をするようになりました。

アメリカには第2次大戦の欧州戦線の指揮官で、その後大統領になったアイゼンハワーがつくった教育旅行プログラムがあります。毎年2~3万人の若者を2週間の体験旅行に送り出すというものですが、渡航費を含め一人70万円くらいの費用だと聞いています。体験や学習に、しっかり時間とお金をかけるということでしょう。

実は60年の歴史があるこのプログラムで世界48コースの中から私たちがお世話をする「平戸・小値賀・長崎」のコースが、世界で最も高い評価を受けたこともあります。6泊7日の滞在ですが、この団体だけで述べ7千泊以上してくれました。

インバウンド観光8

こうした「プログラム重視型」の旅行を経済効果でみると、プログラム・交通費・宿泊・食費・買い物などを含めて1人1泊1.5万円から2万円ぐらいの金額を地域で消費している計算です。「教育」や「交流」が主目的とはいえ、これまでの10年間で約1万泊、金額にして1.5億~2億円ぐらいの経済効果があったわけです。

参加者は、どこの田舎にもある古き良き日本の風景、地域の人々との交流を喜んでいるのです。ホームステイで信頼関係ができた後に訪れる長崎原爆資料館では被爆者の話を聞き、かつて戦火を交えた国の若者同士で交流ワークショップも行います。

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この事業は地域の志ある若者を育てる良い機会になっています。地元の高校生や大学生が刺激を受け、努力をして海外の大学に進み、後に通訳として地域に戻ってくるといううれしい出来事も生まれています。

「英語ができないと駄目だ」というイメージが先行していますが、中途半端な英語はむしろ必要ありません。「国際感覚のある人」は1名いれば十分で、あとは海外で学ぶ学生などを呼んできて手伝ってもらいます。

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「地域を起こしたい」という気持ちを持った地元の人々が「責任者」「当事者」としてしっかり存在し、英語ができる助っ人たちの心をつかんで、しっかり使いこなすことの方が重要です。

私たちの地域では、最初、外国人は苦手と言っていたような人たちも、いまでは海外からの訪問客を楽しみに待っています。

訪問客を見送る

訪問客を見送る

山内:海外からのお客様の受け入れの仕組みはどうなっているのでしょうか。

小関:ある日突然電話が鳴り、知日派外国人の方や大手旅行会社の方から「こういうお客様が来るので力を貸してくれないか?」と言われるパターンが最も多いです。人づての情報と人脈、信用が一番の要素です。

アイゼンハワーが創設したアメリカの高校生の修学旅行は、日本の大手旅行会社が取り扱っている中では比較的大きな団体ですが、それでも年に数百人~数千人規模に過ぎません。もっとシステマティックに海外から人を呼ぶ方策が必要かもしれません。

現在、日本を訪れる外国人は、「自分の意思と情報」によって自力で来ている人たちがほとんどです。日本側から戦略的に仕掛けて呼んできたお客さんはごく少数にすぎません。

日本の小さなコミュニティーが世界に通用する良いプログラムをしっかり準備して、各国の旅行会社を回り「良質な時間と体験を私たちは提供できます」と宣伝することができれば、まだまだたくさんの人を呼べるはずです。

※この記事に使用されている写真はナガサキアイランドスクールの小関哲さんのご厚意でお借りしたものです。感謝申し上げます。


イベントで外から人を呼び込む――宮城・石巻

山内:須永さんは、ヤフーのコンシューマ事業統括本部ビジネス開発部部長などを務めたあと、東日本大震災が起きた2011年12月に「復興デパートメント」プロジェクトを立ち上げ、その後、社会貢献本部長として「ツール・ド・東北」などのイベントを立ち上げています。

須永:ヤフージャパンは2012年に、「インターネットやITで社会課題を解決していこう」というミッションを確認しています。

2011年11月に「復興デパートメント」を始め、翌年の4月に復興支援室を立ち上げ、その年の7月に私を含む5名が石巻に転居して、「ヤフー石巻復興ベース」を開設しました。

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2013年から課題解決策の1つとして、スポーツイベントによる経済効果、来訪者増をねらいとする自転車イベント「ツール・ド・東北」を地元の河北新報社と一緒に主催しています。

津波の被害は、東北の沿岸400キロに及びました。そこを見てもらうには、自転車だったら行けると考えたのがきっかけです。石巻から南三陸を通って、気仙沼まで行って帰ってくる210キロのコースです。

「ツール・ド・東北」には3つの柱を考えました。

1つは「一過性のイベントではなく、復興への道のりを感じてもらい多くの人と共に歩むため、10年続けることを目指す」こと。2つめは「サイクリストだけでなく、ボランティアや地元の方々、応援者、そしてインターネットでの参加者など、すべての人と力を合わせてイベントを作り上げていく」こと。3つめは「収益を積み立て、自転車を活用した東北の観光振興やサイクリング環境の整備助成にあてていくこと」です。

210キロを走る「ツール・ド・東北」には、通過する土地ごとに目玉があります。各土地の名産品を知ってもらうため、「エイドステーション」を現地の人たちに出してもらいました。

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また、応援参加者と地元商店街をインターネット×リアルでつなぐ「ツール・ド・東北応縁団」をつくり、参加証の中に店舗のロゴのステッカーを入れ、あなたのスポンサーはここですよ、ぜひ応援に行ってください、と呼びかけました。

参加者が地元の一般家庭に宿泊する民泊は、当初旅館法に抵触してできませんでした。「規制改革会議」に出席させてもらい、規制緩和をお願いしました。

「ツール・ド・東北」の昨年の参加者は3,500人です。東京マラソンの10分の1にすぎません。総来場者は2日間で約15,000人です。参加者の中にはキャロライン・ケネディ駐日大使もいます。経済波及効果は昨年で8億7千万円位と見ています。

瀬戸内海のしまなみ海道には、年間12万5~7千人が自転車に乗るために世界から来るそうです。西の「しまなみ」、東の「ツール・ド・東北」と呼ばれるようになって、被災地を自転車で走って目で見て肌で感じてほしいと思います。

東北でいうと、2019年にラクビーワールドカップが釜石で行われます。民泊やツーリズムで盛り上がりたいと思っています。東京オリンピックでも、いくつかの競技が東北で計画されています。

通年のサイクルツーリズムとなると旅行会社だったり、ガイドする人だったり、通訳だったり、ウェブサイトだったり、申し込みのツールをデザインする人が必要になります。それができる起業家が地元に現れてほしいと思っています。

山内:それぞれのお話に対する感想をお聞かせください。

宮川:教育旅行をやってきましたが、インターンシップを受け入れても1シーズン10人とか15人規模にすぎません。小関さんの教育旅行は大人数です。南三陸にも交流事業に関わって行こうという若者がいるので、そうした人材を生かしていきたいと思いました。

「ツール・ド・東北」のコースに南三陸町も入っています。大規模なイベントは小さな自治体単独ではできません。地域の自治体は資源や情報を出し、人を育てていくことが役割です。

山内:経済効果の話も出ましたが、人づくりにしろ、地域資源の活用にしろ、お金を稼がないと続かないところもあり、そのバランスをどう考えて行くかが大切になります。

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小関:自分が関わった外国人受け入れの仕事はたまたまうまくいったわけですが、このノウハウを東北の復興に役立てる方法があればお手伝いします。

宮川さんや須永さんの話を聞いて思ったのは、行政や大企業はやはり大きなリソースを使って仕事をしているということ。組織の力は凄いとあらためて思いました。

須永:小関さんの話で思い出しました。震災直後の4月に宮城県の亘理町という所でボランティアをしました。いわゆる泥かきです。公園にテントを張って5日間がんばっても、わずかしか進みません。会社の力を使わないと無理だと思いました。

会社を巻き込んでいまの部署ができました。それぞれの立ち位置で力を発揮できることがあり、行政の宮川さんと民間の小関さんができることが違うのは当然です。社会問題の解決には、いろいろな人が協力すべきです。

宮川:交流事業から得るものはお金だけではありません。被災地の人々はこの土地で生きていくという誇りが欲しいのです。交流から得られる誇りは地域の大きな力になります。

山内:良いキーワードが出ました。この町で生き抜いていく誇り――これをどうつくっていくかですね。インバウンドはその手段です。(2016年4月)

※この記事は講演会の模様をCSRマガジン編集部で要約いたしました。文責は当編集部にあります。


[震災から5年目を迎えるにあたって]

NPO法人ETIC.とNPO法人クロスフィールズ(所在地:東京都品川区・代表理事:小沼大地)、株式会社ラーニング・イニシアティブ(所在地:東京都港区・代表取締役:北島大器)は、企業による継続的な東北支援を後押しするために、国内企業20社へのヒアリング、海外の10事例という調査実績や、30社以上の企業を動員する企業向け研究会やフィールドスタディでなどを実施。この結果、企業が東北をはじめとする地域課題と関わる際の3つの課題と対策を以下のようにまとめました。

1. 持続的な価値創造のために求められている、地域における企業活動の内容が変容してきている。

東日本大震災の発災直後は、物資の支援や義援金の提供、人的支援など、具体的な東北支援が求められていた。発災後半年が経った頃から、地域と企業双方にとって意味のある支援の形が模索されるようになり、現在は、地域と企業が共生し合い、共創し合うことへの挑戦が始まっている。

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2. 地域での可能性を発見するためには地域での具体的な試行錯誤が不可欠。

地域の課題は地域に行ってみないと見えてこない。また、CSR活動を行いたい企業のみで成立するものではなく、地元企業や団体との議論やコミュニケーションも必須。地域での企業の活動には「産む過程」と「育てる過程」の2つのフェーズがあり、それぞれのフェーズでトライアンドエラーが必須となる。

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3. 企業において、地域での活動を「始めること」と「続けること」にはそれぞれ異なった難しさがある。

企業が地域で活動する場合、地域の誰(どの企業・団体)とパートナーシップを組むのか、どんな課題があるのかを模索するところから始めなければならない。これまでの企業文化では理解するのが難しいような、地域のカルチャーや物の進め方を理解する必要もある。はじめた後も継続することが大切で、企業の場合、短期・中期での結果を求められることがほとんどだが、地域課題は5年、10年、それ以上の年月がかかって初めて成果が出るものもある。また、地域の課題解決が最終的には企業にとってもプラスになるようなプロジェクトでないと、継続そのものが難しくなる。

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ジャパン・ソサエティー(NY)

1907年にニューヨークで創立された全米最大の日米交流団体。日米の相互理解と友好関係構築を目的に、政治、経済、文化、教育など幅広い分野で講演、展示、舞台公演、人材育成などを手がける。


NPO法人ETIC.

1993年設立、2000年にNPO法人化。起業家型リーダーの育成を通した社会・地域づくりをミッションとする。日本初の長期実践型インターンシップのこと業化や若手社会起業家への創業支援を通じこれまで2,500名を超える学生のインターンをコーディネート、150名を超える起業家を輩出。またその仕組みを全国30地域の連携組織へ広げている。東日本大震災後、東北のリーダーを支えるための「右腕プログラム」を立ち上げ、これまでに118のプロジェクトに対して、214名の右腕人材を派遣している。


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