企業とNGO/NPO

復興への願いを、風化させてはいけないあの震災から3年、被災地の人々に寄りそって

障がい者や高齢者への支援をつづけるAAR Japan [難民を助ける会]

東日本大震災から3年が経過した。東北の広大な被災地には復興のつち音が聞こえる地域もあれば、いまだに先が見えず不安におののく人々もいる。震災後、被災地の人々に寄りそって支援活動を展開するAAR Japan[難民を助ける会]の動きを追った。

AAR Japanでは震災後、調査、炊き出し、灯油・軽油の配布、巡回診療、避難所の子どもたちへの本や遊具の提供など、さまざまな被災地支援に関わってきた

困ったときはお互い様

Q AAR Japan のスタートは「インドシナ難民を助ける会」でしたね。

堀江:1979年に設立された「インドシナ難民を助ける会」が出発点です。当時、ベトナム戦争後の混乱がインドシナ半島全域に及び、ベトナムからボートピープルと呼ばれる難民が押し寄せていただけでなく、ラオスやカンボジアからも多くの難民が発生していました。

日本は難民の受け入れに厳しい国ですが、「困ったときはお互い様」だと創設者の故相馬雪香が難民への支援を呼びかけました。日本人の善意を世界に示そうとしたのです。

政治・思想・宗教に偏らない人道支援団体としての姿勢を貫き、日本人の手で生まれた日本初の国際NGOとなりました。2003年には国税庁より認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)の認定も受けています。

AAR Japanのみなさん(左から)堀江良彰(ほりえ・よしてる) 専務理事・事務局長、加藤亜季子(かとう・あきこ) 東北事務所長、大室和也(おおむろ・かずや) プログラムコーディネーター

Q これまではどのような活動を……。

堀江:私たちの支援は「緊急支援」「障がい者支援」「地雷・不発弾対策」「感染症対策」「啓発(国際理解教育)活動」の5つからなります。

難民支援を始めると、タイのカンボジア難民キャンプに大勢の障がい者がいることがわかりました。地雷による被害者です。自立を支援するため、車いすを贈ったり職業訓練も始めましたが、それだけでは問題の解決につながりません。そこで地雷廃絶へ向けての運動や除去活動支援、地雷回避教育も始めました。

こうした活動の広がりを踏まえ、1984年にはAAR Japan [難民を助ける会]に名称を変更しました。

アジアからアフリカ各地に支援の輪を広げると、今度はエイズやマラリア、コレラなどの感染症で苦しむ人々が大勢いることを知りました。いまでは感染症への対策も重要な柱となっています。ザンビア、南スーダン、ハイチなどで支援を行っています。

紛争地のアフガニスタンやスーダンでは地雷の被害に遭わないための教育も続けられている

障がい者や高齢者の支援に力を注ぐ

Q 東日本大震災は国際NGOの活動にも影響がありましたか。

堀江:東京の事務所で私も大きな揺れを体験しました。ただちに「緊急支援」が必要だと判断し、現地に飛ぶ手配を始めました。3月14日には第一陣が仙台市内の避難所で食料の配布を行ったのを皮切りに、岩手、宮城、福島の沿岸各地で緊急支援物資の配布を続けました。

私たちの支援は、自治体に登録されていない避難者など支援物資が届きにくい方々を優先しました。おのずと障がい者施設、高齢者施設、住宅避難者宅に絞られていきました。

被災地の状況は刻々と変わります。それに従って必要とされる物資も変わっていきました。食料、飲料水、レトルト食品、毛布、オムツ、ガソリンなど、災害直後に必要とされるものから、自転車、冷蔵庫、パソコン、介護用ベッド、暖房器具まで、その時々に必要とされる物資を探り、配布につなげました。震災の発生から1年間でのべ1,606カ所、約180,000人に支援物資を届けたことになります。

AAR Japan専務理事・事務局長の堀江良彰さん

Q 加藤さんは東北事務所長ですが、どの時点から関わられたのでしょうか。

加藤: 実は2010年1月にハイチで大規模な地震が発生し、AAR Japanはそちらでも「緊急支援」を行っていました。東北での震災がありましたが、それにより海外支援を中断させることもできないため、直後に出張しておりましたが、居ても立っても居られない気分でした。

「ハイチ支援と同時に東北の支援にも携わりたい」と本部に申し入れ、地震から1カ月後の4月半ばに日本に戻り、支援に加わりました。

宮城県に牡鹿半島という所があります。その地域に入って炊き出し作業から始めました。ハイチも地震で多くの建物が倒壊していましたが、牡鹿半島は津波で建物そのものが跡形もない状況でした。見るだけで茫然となりました。「くやしい」というのが率直な感想でした。

AAR Japan東北事務所長の加藤亜季子さん

障がい者の死亡率は健常者の2倍以上に

Q 障がい者や高齢者に支援の重点を絞ったということですが、どのような理由からですか。

加藤:海外における緊急支援の経験から、障がい者や高齢者が災害時の支援から取り残されやすいとわかっていました。そこに支援の重点を置こうと考えたのです。

実はその後わかったことですが、宮城県の沿岸部自治体で調べたところ、身体、知的、精神の各障害手帳をもっている方の犠牲者は、住民全体の死亡率に比べて2倍以上も高かったそうです。

当会の緊急支援チームは沿岸部を中心に福祉事業所の所在地を調べて訪ね歩きましたが、津波で流されたところが多く、交通網の寸断もあって、たどり着くのにも困難を極めました。障がいのある方は、通常の避難所で過ごすことが難しく、被害を逃れた一部の福祉事業所や自宅に避難し、支援を受け取れずにいるケースも少なくありませんでした。

福祉事業所や個人宅を1軒1軒訪ね歩き、野菜やレトルト食品、おむつ、簡易トイレや介護用品などを届けました。また、復興期に入ると介護ベッド、車いす、停電時に人口呼吸器などを動かすための家庭用発電機、心の安らぎを与えるぬいぐるみなども届けました。

重度の心身障がいのある方にとって停電は命に関わる深刻な問題です。人工呼吸器やたんの吸引器が使えなくなるからです。現地では余震の影響でその不安が高まっていました。2011年の秋には地元の医師等と連携がとれ、重度の心身障がいがあったり、人工呼吸器を使用している子どもがいる家庭や施設に家庭用発電機を配布し始めました。これまでの累計で258台となっています。

いまも各地で活躍する家庭用発電機

小さな声に耳を傾けながら

Q 2012年からカタール フレンド基金*で、「被災地域における地域みんなの心身の健康を守る事業」にも取り組まれていますね。

加藤:復興支援は各地で行ってきましたが、被災地が広大な地域に及ぶことから“人々の心身のケア”が一番遅れていました。なかでも障がい児、障がい者、高齢者、そして放射線量の高い地域に暮らす子どもたちへの対策が遅れがちでした。

カタール フレンド基金は、そうした私たちの思いを理解してくれました。これまでに被災地3県で「障がい児が利用できる図書室・遊具の提供」「障がい者施設の修繕」「福祉活動の拠点となる施設への食品放射能測定器等の機器の提供」「仮設住宅入居者等を対象に専門家によるエコノミークラス症候群や生活不活性病の予防検診・早期治療、マッサージやカウンセリング等の実施」「健康増進活動イベント等の実施」「放射線量が高い地域に住む子どもに野外活動に参加する機会を提供する」などのプロジェクトを進めることができました。

被災者の声に耳を傾け、寄り添う“傾聴活動”

              

Q 福祉施設でも新しい取り組みが始まっているようですね。

加藤:震災前、岩手、宮城、福島の3県では福祉事業所で障がい者の自立支援や社会参加にむけた取り組みを行ってきました。そうした事業所が津波で流されたり、福島原発事故による風評被害から取引がストップするなど、大きな影響を受けていました。

岩手県田野畑村にある障がい者の福祉作業所「ハックの家」では、水産加工食品の製造を手掛けていましたが、津波で水産加工場が流失しました。

AAR Japanでは加工場の代わりとなるパン工房と農作物加工所の整備拡大を急ぎ、沿岸の水産加工場で働いていた障がい者の雇用につなげました。震災後、自宅待機で仲間とも会えず、いつ仕事が再開できるか不安な日々を送っていた人たちが、いまは「パンをつくれるので楽しい」と語ってくれました。支援をつづけてきてよかったと思える瞬間です。

福祉作業所「ハックの家」ではパン工房も動き始めた

また、福島の福祉作業所では放射能汚染の懸念からおから販売の取引がストップするなど風評被害が広がっていました。私たちは福祉作業所に食品放射線量測定器を設置して消費者の不安を払拭するとともに、新たに豆腐製造機を設置して障がい者の雇用確保につなげていきました。

とうふ 工房けやきで

仮設住宅で暮らす方々は運動不足になりがちです。そこで盛岡市立病院と連携し、「エコノミー症候群と生活不活発病の予防検診」を行いました。受診者は1,248名を数えています。

盛岡市立病院の協力を得て行われた「エコノミー症候群と生活不活発病の予防検診」の診療風景

Q 大室さんはどのような役割を……。

大室:私はプログラムのコーディネート役ですが、理学療法士の資格があることから、仮設住宅の集会所などを借りて高齢者のリハビリ活動を行っています。また、被災者一人ひとりのお話に耳を傾ける傾聴活動にも関わっています。

理学療法士の資格をもつ大室和也さんは、仮設住宅などでマッサージや傾聴活動を行ってきた

東北の皆さんはどちらかというと口が重く、なかなか腹をわったお話を聞ける機会は少ないのですが、マッサージが終わるころになると、家族のことや自分がいま抱える悩みをポツリと語ることもあります。

大切な伴侶の方を亡くしたり、子どもや孫に犠牲者が出たり……、いまも家族と離れ離れに暮らす人も多く、決して心の中は平穏なものではありません。そうした苦しみにじっと耐えている方々に寄り添い、これからも支援を続けていきたいと思います。

マッサージをすると少しは気分もよくなるのでしょう。高齢者の皆さんからは帰り際に「またお願いね」と笑顔がでることもあります。

皆さんが応援してくれるから

Q ところで、最近あるNPOが復興資金を不正に流用したという事件が明るみになりました。善意で賄われている事業だけに、皆さんにはたいへん腹立たしいのではありませんか。

堀江:未曽有の災害ということもあって行政だけでは手が回らず、新しいNPOも数多く誕生しています。なかには人々への支援を儲け話と勘違いしているところもないとは言えません。

私たちは1円のお金も無駄にはしないよう、資金の支出にあたってはダブルのチェックを義務付け、1年間の活動は『年次報告書』という形でまとめて、資金の支援者の方々にきちんと報告しています。

最近、私もメンバーの1人である「エクセレントNPOをめざそう市民会議」が策定した『エクセレントNPOの評価基準』(言論NPO出版)という本もでました。寄付先を評価する際の参考にしてほしいと思っています。一握りのよからぬ人間の行動で、NPO活動への信頼を失うことだけはあってはならないと思います。

AAR Japanの2012年度版年次報告書。監査人の報告も添えられている

人々の善意を勇気に変えて

Q 東日本大震災から3年が経過しました。被災地ではまだ課題が山積しています。今後に向けた抱負をお聞かせください。

堀江:わが国ではNGO/NPOはまだまだ小さな組織にすぎません。また、私たちの活動に対する理解や評価も決して高いものではないと感じています。

ただ、NGO/NPOの活動には社会の公益を担う大切な役割があります。日本だけでなく、世界から私たちに対する期待が寄せられています。

AAR Japanには、2012年度だけで22,211件に及ぶ個人または団体からの寄付や協力が寄せられています。私たちの活動はたくさんの善意に支えられているのです。大変ありがたいと思っています。

これからも東北の被災地における震災復興をはじめ世界各地で困難な状況にある方々への支援を通じて、AAR Japanが目指す、「一人ひとり、個性をもった多様な人間が、自然と共存しつつ、人間の尊厳をもって、共生できる社会」の実現に向けて活動を継続していきたいと考えています。

●AAR Japan[難民を助ける会]

http://www.aarjapan.gr.jp/
電話03-5423-4511

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