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三浦雄一郎さんが 国連WFP協会の親善大使に

プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんが、国連WFP協会の親善大使に着任した。今後、国連WFPが実施する学校給食プログラムの現場を視察するなど、広報活動や募金活動に協力していく予定。三浦さんの次男である三浦豪太さんも同協会の顧問となり、このほど任命式を兼ねたトークショーが行われた。

国連WFP協会の安藤宏基会長(左)から親善大使の任命状を受ける三浦雄一郎さん

国連WFP協会の安藤宏基会長(左)から親善大使の任命状を受ける三浦雄一郎さん

2013年に史上最高齢の80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんは、食べることの大切さを身をもって知る一人。また行動する知識人としても国際的に活躍しており、飢餓問題への関心が高く、国連WFPの食糧支援の重要性に強く共感してきた。

この度、東京・渋谷区の国連大学エリザベス・ローズ会議場で就任を記念したトークショーと任命式が行われた。任命式では国連WFP協会 会長の安藤宏基さんから三浦さんに親善大使の任命状が手渡された。トークショーでは当協会顧問で次男の三浦豪太さんも交え、親善大使としての抱負を語った。司会は、国連WFP協会理事でクリエイティブディレクターの本田亮さんが務めた。

トークショーに参加した3人。真ん中は三浦雄一郎さん 、右は豪太さん、左は司会の本田亮さん

トークショーに参加した3人。真ん中は三浦雄一郎さん 、右は豪太さん、左は司会の本田亮さん


命をつなぐ食の力が エベレスト登頂の夢を育む

司会: 三浦さんは70歳、75歳、80歳と3回もエベレストに挑戦し、成功させています。まさに超人的なご活躍ですが、限界を感じることはないのでしょうか。

三浦: 私は60歳代の前半でメタボになりました。当時は息切れが激しく、500メートルほどの山にも登れませんでした。70歳で世界最高峰のエベレストに登るという目標を立てて、徐々にトレーニングをしました。2003年5月にエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たすことができました。二男・豪太との日本人初の親子同時登頂でした。その後、2008年5月、2013年5月にもエベレスト登頂に挑み、成功しました。

司会: 豪太さんはこんなお父さんをそばで見ていて、この記録を破ろうとか思っているのでしょうか。

豪太: いま、私は45歳ですが、日本の平均年齢は80歳前後ですから、その年齢でエベレストに登れるかといえば、全く未知の領域です。ただ長生きするというだけでなく、挑戦する気持ちが大切なのだと思っています。

司会: 三浦さんの話を聞いているだけで元気がでるというか、希望が湧いてきます。

三浦: 実は私の父親、豪太の祖父にあたる人は、99歳でモンブランに登り、氷河をスキーで滑降しました。100歳でアメリカのロッキー山脈にも行きました。あきらめちゃいけない……まだまだ可能性があるということです。

司会: すごいファミリーですね。

三浦: 家族からすれば、ごく普通の父親であり、おじいちゃんでした。

司会: 三浦さんがお父様の影響を受け、豪太さんも三浦さんの影響を受けられてこられたわけですか。

三浦: メタボになったときは半分あきらめかけた時期もあります。私の父親がモンブランに挑戦したとき、私自身は医師から余命3年という宣告を受けていました。

司会: 信じられません。ここまで復活しているわけですから。


‟食べる”が困難を乗り越えるエネルギーに

司会: エベレスト登頂成功の一番大きな要因は何だったのでしょうか。

三浦: 1つは絶対あきらめないという気持ちです。それを支えたのが食べ物です。しっかり食べるということを心掛けました。

司会: それをサポートしたのが豪太さんですね。

豪太: エベレストは世界一高い山ですから、酸素などの資材とともにどのような食料を運ぶかが大きなテーマとなります。父親は山にいても食事だけは一工夫ほしいというタイプです。私にとってはそれが大きなプレッシャーでした。ただ、登山では登るぞという張りつめた感覚をどう緩めるかということも大切です。食事はおろそかにできません。

三浦: 2003年のときは世界最高所の鍋をやろうと言いました。2008年のときは世界最高所の手巻き寿司をやろうと言いました。2013年はベースキャンプでお茶会をしようと提案しました(笑い)。

豪太: お茶会というのは道具も必要になります。それは無駄だろうと私は反発しました(笑い)。1グラムでも軽くしなければいけないわけですから……。ところがお茶会には思わぬ効果がありました。スタッフの緊張感を和ませてくれ、一緒に山に登るという意識を共有する場になりました。

司会: 思わぬところで効果があったと……。

豪太: 食事はパワーの源ですが、心に対する栄養にもなります。この余裕がないと人間関係もギスギスします。

司会: 三浦さんの場合は山でもスタッフと一緒に摂る食事を大切にされたわけですね。


アフリカとネパールで‟食”の大切さを知る

司会: 国連WFPの親善大使をお受けになったきっかけは何でしょうか。

三浦: 豪太が11歳の頃に家族でアフリカのキリマンジャロに行きました。豪太は高山病になりながらもなんとか頂上まで登りました。そのとき一緒に登ったポーターは農家の方で、コーヒーやバナナを栽培しているということですが、子どもたちを見ると栄養不足でガリガリでした。私は昭和7年生まれです。子どもの頃は戦争で、毎日ひもじい思いをしましたが、戦争が終わると米軍からの配給もあり、どうにか生きていけたわけです。

司会: エベレストがあるネパールの子どもたちの体格が小さいことに気づかれたでしょうか。60%の子どもはいまも発育不良だと聞いています。

三浦: そういう感じがしました。ネパールには36の部族がありカースト制も残っています。カーストの低い部族はいまでもほとんど裸足に近い暮らしぶりです。家族ぐるみでなんとか食べているという部族もいます。

司会: エベレストの登山では、登山の案内役や荷役を担うシェルパ族の支えも欠かせません。今回の旅では何人くらいのシェルパが同行したのでしょうか。

豪太: 今回は18人のシェルパが一緒でした。うち山頂まで同行した者が8人。コックさんも2人いました。

司会: 三浦さんは単位制・通信高等学校であるクラーク国際高等学校の校長もされています。そのご縁で、ヒマラヤ地方に小学校を建設されています。

三浦: クラーク学園で子どもたちが募金を集め、現地に小学校を建設しました。親のいない子どもたち200人を預かっています。学校に給食制度があると子どもたちは一生懸命に学校に来ます。

司会: 2008年に17歳でエベレスト登頂を果たした女性登山家ニムドマ・シェルパさんも国連WFPの学校給食で育った方です。三浦さんとお会いしたそうですね。

三浦: 10代でエベレストに登った女性ですね。立派な方でした。でも、彼女も国連WFPの食糧支援を受けていなかったら、登山家になれなかったかもしれません。

豪太: ニムドマさんもシェルパ族です。シェルパ族にもカースト制があり、女性の活動に制約があります。エベレスト登頂に挑んだニムドマさんの行動は、社会的にも大きなインパクトです。ネパールの女性に勇気を与えたと思います。

ネパール人女性登山家ニムドマ・シェルパさんの話題に触れる三浦雄一郎さん

ネパール人女性登山家ニムドマ・シェルパさんの話題に触れる三浦雄一郎さん

司会: 世界人口74億人のうち、およそ9人に1人となる8億500万人が飢えで苦しんでいます。また、学校に通えない子どもたちは5,800万人を数えています。学校給食は少なくとも学校に行く動機になりえます。

豪太: 先の東日本大震災では、私たちも東北の方に何かできないかと考え、寝袋やガスコンロを被災地に送ろうとしました。ところが現地では津波の影響で輸送手段がほとんど失われ、陸の孤島状態が続きました。‟届ける”ことの難しさをあらためて痛感しました。

三浦: 国連WFPは、食糧不足に苦しむ人びとに食糧を迅速にかつ確実に届けるノウハウがあると聞いています。

司会: 世界の70を超える国々で飛行機60機、船40隻、トラック4,000台/毎月を稼働させて食糧支援を続けています。象やラクダ、ロバを使っているところもあります(笑い)。世界の5カ所に備蓄庫も運営しています。

豪太: 助けたいという気持ちさえあれば、困った人たちに手を差し伸べる手段があるということですね。

司会: 災害などの場合、48時間以内に届けることをモットーとしています。一方で、食糧と教育の機会を提供する学校給食プログラムといった中長期的な支援も活動の柱の一つとなっています。

三浦: は人間の生命を支える大切なものです。途上国にも出かけ、子どもたちの飢えを解消する学校給食の現場にも足を運ぼうと考えています。皆様の応援をよろしくお願いします。(2015年4月)

WFP三浦雄一郎4


三浦雄一郎: 国連WFP協会親善大使 / プロスキーヤー・冒険家

1932年、青森市生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)樹立。2008年75歳で2度目、2013年80歳で3度目のエベレスト登頂。世界最高年齢登頂記録更新を果たす。記録映画、写真集、著書多数。 クラーク記念国際高等学校校長。

三浦豪太: 国連WFP協会顧問 / プロスキーヤー・冒険家

1969年、神奈川県鎌倉市生まれ。1991年よりフリースタイルスキー、モーグル競技へ転向、以来10年にわたり全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。長野オリンピック13位、ワールドカップ5位入賞など日本モーグル界の牽引的存在となる。 2001年5月、米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業後、冬季オリンピックやフリースタイルワールドカップ解説、執筆活動、プロスキーヤーとして活躍するかたわら2003年、父・三浦雄一郎とともにエベレスト登頂、初の日本人親子同時登頂記録を達成する。2013年、父をサポートして2度目のエベレスト登頂、親子での2度登頂は世界初。 博士(医学)/PhD.

国連WFP協会

www.wfp.org/jp


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