識者に聞く
暗闇から真実が見える
第5回アメリカン・エキスプレス・サービス・アカデミーから
NPO法人エティック(東京都渋谷区)とアメリカン・エキスプレス財団(本部:ニューヨーク)による「アメリカン・エキスプレス・サービス・アカデミー」が開催された。本研修は「サービス」に特化した社会起業家向けの研修プログラムで、5年目となる今年は東京・大阪の2か所で60名の社会起業家たちが参加。日本初のビジネスを立ち上げたダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの志村真介さんが東京会場で講演に立った。
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは?
光を完全に遮断した空間の中で、8人前後のグループを組んで会場に入り、暗闇のエキスパートである視覚障がい者のアテンドのもと、暗闇の中でさまざまな体験をするというドイツ発祥のプロジェクト。体験を通じて視覚以外の感覚の可能性と心地よさを呼び覚まし、人間本来のコミュニケーションの大切さ、あたたかさを再確認します。
このプロジェクトによって視覚障がい者に仕事を見つけることができるほか、暗闇の中で他人同士が心を開くきっかけをつくります。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が日本で初めて開かれたのは1999年。今では1日100人の人が訪れる常設の展覧会に成長しました。展覧会を支えているのは、40人の視覚障がい者たちです。
出会いは小さな囲み記事
私が「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を知ったのは1993年のことです。日本経済新聞の夕刊に載った小さな囲み記事で、ウィーンの自然博物館で「闇の中の対話」と題する特別展が話題となっているというものでした。暗闇で何も見えない展覧会が有料で行われ、視覚障がい者がその案内をしているというのです。これは凄いと思いました。
日経新聞に連絡し、このプロジェクトの発案者であるアンドレアス・ハイネッケさんに手紙を書きました。日経新聞の300万人の読者の中にも同じ記事を見た人はいるでしょうが、この記事で人生が劇的に変わったのは私くらいかもしれません。
アンドレアス・ハイネッケさんは、母はユダヤ人、父はドイツ人という複雑な背景をもった人ですが、「人は対等なのに、なぜ小さな差でいじめたり区別したりするのか?」と考えながら育ちました。その後、異なる文化を融合するには、「ダイアログ=対話」が有効だと知りました。
ハイネッケさんは、以前ラジオ局で働いていましたが、ある日、事故で失明した青年と出会い、見えないからこそ得られる豊かな感覚や世界があることを知ります。多くの人に見えない世界を知ってもらいたい、視覚障がい者の働く場が広がればと27年前にこの展覧会を始めました。
真っ暗闇をつくるということ
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、今では世界32か国・約130都市で開催され、これまでに800万人が参加しています。2014年は世界で19の催しがあり、60万人が参加しました。うち、26,000人は企業研修の参加者です。これらのイベントにより、年間およそ600人の視覚障がい者が仕事を手にしています。日本ではこの16年間で約16万3千人が参加しています。
真っ暗闇をつくるのは簡単なようで実は大変です。一番大変だったのは非常誘導灯です。あれを消すには消防法の壁をクリアしなければなりません。許可をもらうため何回も足しげく所轄の消防署に通いました。そしてあるとき視覚障がい者のスタッフに同行してもらいました。非常誘導灯は「すべての人が安全に避難するためにある」と言っても「見えない」視覚障がい者には通用しないのです。その後、許可してくださった消防署の人もイベントに参加してくれました。
人間にとって暗闇は恐怖以外の何物でもありません。サルから人になると火をつくるようになり、やがて暗い所をできるだけ明るくしていきました。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の取り組みは、この暗闇を平和利用することにあります。体験者の多くは最初怖かったと言いながら、「隣に人がいて良かった。互いの手のぬくもりが温かかった」と感想を述べています。
実は最初の10年間、チケットを売り出すといつも3時間ぐらいで完売しました。そこで2009年に常設館を決意しました。
常設館の苦戦から学んだもの
常設館がなかった10年間、イベントの最終日は私にとって苦痛以外の何物でもありませんでした。なぜかというと、暗闇の中で大活躍した視覚障がい者たちは次の日から単なる障がい者に戻らなければならないからです。
視覚障がい者の皆さんは、人に助けられた経験はあっても、人を助けた経験は非常に少ないのです。リーダーシップを取った経験もほとんどありません。ところがこのプロジェクでは、健常者の先頭に立ってアテンドし、最後は「ありがとう」と言われる豊かな体験をします。
そんな彼らもイベントが終わった次の日から仕事がありません。ただの障がい者に戻ってしまうわけです。暗闇ではヒーローで、明るい所だとただの障がい者なのです。これを繰り返してはいけないという思いで東京・外苑前に常設館をつくりました。
ところが常設館ができて初めの3週間は稼働率120%だったものが、波が引くようにお客様が来なくなりました。いつでも行けると思ったお客さんは、いつも来ない状況になったのです。そのために固定費の重みがどっとかかってきます。
それを乗り越えるために考案されたのが「企業向けのビジネス研修」の受け入れであり、季節によってコンテンツを変える日本式の運営でした。最近は企業が合併する機会も多く、企業文化のコミュニケーションギャップに悩む企業が増えています。企業文化の垣根を取り払いコミュニケーションやチームワークが良くなるように活用されています。
また、2年前からは積水ハウスさんが大阪で一緒にやろうと誘ってくれました。大阪の同社のオープンイノベーション施設で、「対話のある家」という共創プロジェクトがスタートしました。
社会からの評価を受けて
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンは、2014年度の「社会デザイン賞」学会奨励賞を頂戴しました。コミュニケーションや助け合いの大切さ伝える取り組みが評価されたのです。また、野村総合研究所が最近発表した「2030年のビジネスモデル」という調査でもビジネスモデルの先進的な事例の1つとして採用されました。
災害列島でもある日本は、国土の強靭化で、「壊れない建物」とか「壊れない高速道路」といってきましたが、一番の課題は「人間が復元する能力」「へこたれない力」にあります。
東日本大震災の1週間後に私たちはイベントを再開しました。予想を超える反響がありました。「暗闇の中で学び直したい」という人々の正直な気持ちだったと思います。まさにポジティブな喪失体験、前向きに災害と向き合うということでした。
最近、私のことを「ソーシャル・イノベーター」だと評価してくださる人がいますが、こうした仕事で短期的な利益を出すことは難しいことです。やがてもっと優秀な人材がこの分野に入ってきて、きちんと利益を出せるようにしてほしいと願っています。
※この記事は、2015年6月12日に開催された「アメリカン・エキスプレス・サービス・アカデミー」東京会場におけるNPO法人ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表志村真介さんの講演をご本人の了解を得て載録したものです。誌面の都合によりかなり要約してありますことをご了承ください。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン
http://www.dialoginthedark.com/
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