企業とNGO/NPO
待ったなしの自然災害に備える
民間防災および被災地支援ネットワークの教訓から台風と豪雨の季節が迫っている。箱根や口永良部島では火山性の噴火もやむ気配がない。災害列島に住む私たちには自らを守る備えとともに、被害に遭った人々への支援の輪が欠かせない。いつ、どこで発生するか分からない自然災害に、いかに備えるべきか。台風被害に遭った伊豆大島の教訓から地域と企業の連携を探ってみた。
備えが十分ではなかった伊豆大島の教訓
ボランティアセンターの立ち上げに必要なヒト・モノ・カネ
伊豆大島は、東京から120㎞の太平洋上に浮かぶ島です。島の中央にある三原山(標高758m)はしばしば噴火し、1986年に島民約1万人がおよそ1カ月の島外での避難生活を強いられました。
最近では2013年10月に襲った台風26号により、三原山の外輪山中腹が幅約950 mにわたって崩落し、土石流となって村落を襲いました。死者36名、行方不明者3名の人的被害に加え、400軒近い住家に被害をもたらせました。
災害時には、ヒト・モノ・カネの3つが必要といわれます。ヒトでは活動してくれるボランティアの登録、災害ボランティアセンターを運営するスタッフの確保、運営・コーディネートのノウハウ。モノではスコップや一輪車などの資機材、最近では情報発信のツールとしてホームページやSNSの立ち上げも欠かせません。カネは、災害VCを運営する財源、被災者を支援する財源となります。
大島の場合、この3つの備えが不十分でした。社会福祉協議会(以下、社協)は常勤職員5人だけで、資機材の備蓄もありませんでした。大島町役場も同様でした。大島町は小さな自治体ですから、お金もありませんでした。
町には防災計画は一応あったのですが、災害ボランティアの項目には、「ボランティアの活力を有効に活用する」とあるだけで、社協と町の取り決めもありませんでした。
そういう中で台風26号による土砂災害が起きたわけです。発災直後、被災状況を把握し、被災者の動向を確認して、災害ボランティアセンターを立ち上げないといけないということになりました。
東京ボランティア・市民活動センター (東京都社会福祉協議会)に「助けてください」と声を掛け、発災から24時間後には先遣の方が到着しまし。
その後、さまざまな企業・団体・NGO/ NPOなどから人や資機材や資金の支援をいただきました。「民間防災および被災地支援ネットワーク」(CVN)の会員では富士ゼロックスさんからコピー機を寄付いただきました。多くのご寄付も頂戴しました。災害ボランティアセンターの立ち上げから約1年で約1,300万円強のご寄付がありました。
外からの支援が大きなエネルギーに
この間、いろいろな団体からのボランティア参加・協働がありました。ボランティアの多くは余暇を利用して参加しますので、土日の参加者が多いのですが、発災から1週間くらいは2次災害の危険もありますし、離島なので船便や宿泊場所の確保も必要ですから、最初の1週間は低調でした。11月に入ってからは毎週末に最大500人くらい来てくれました。大きな山が4つくらいできました。
一般のボランティアの方は、いつ何人来るのか読めませんが、地域にはニーズがあり、非常にありがたい存在でした。ボランティアのマッチング活動も有効だったと思っています。
大島では事前の備えがなく、地元のスタッフも少なかったので、災害ボランティアセンターの運営でも外部の力を借りました。総務、広報、ニーズ把握、資機材管理、ボランティア班のリーダーにも外部の社協団体の方ととともに、災害の対応に慣れたボランティアの方が担ってくれました。
大島社協には今回の災害までホームページもありませんでした。当然ながら、瓦版などの提出物もつくっていません。外部の支援者が来て1週間後にはホームページや提出物の発行もできるようになりました。広報活動もスムーズに進むようになりました。
災害の規模によってどのような資機材が必要になるかというノウハウも私たちにはありませんでした。これからどういう作業が必要になるとか、このあと1週間で何人くらいのボランティアが来るというような見通しを立てることもノウハウがないとできません。経験のある方がリーダーになることで、的確な支援策が立てられ、資機材の手配が進みました。
大島町は地元の中では密接な人間関係ができていますから、声掛けはスムーズにできるのですが、ニーズの把握では不十分でした。東日本大震災などで支援経験のある方たちが、被災者宅を一軒一軒まわってニーズを聞いてまとめ、それが大いに役に立ちました。
こうすればよかったという反省
災害支援では、各団体の得意な支援と、現地のニーズをいかにマッチングさせるかが大切です。どなたでも参加できるオープンなミーティングを毎日行いました。それでも一部の方々の声を反映できなかったという反省があります。ステークホルダーの声を吸い上げる良い機会だったのにという反省です。
災害ボランティアセンターは、まず緊急支援を行います。伊豆大島のような土砂災害の場合は、家屋からの泥出しであったり、家財道具の運び出し、庭の泥出し、がれきの撤去などです。その後、生活再建、地域の復興に向けた支援活動が続きます。
課題の1つに地域のネットワークの再構築がありました。地元の人を主役にした活動をやっていこうということでした。現在は被災地域や仮設住宅に瓦版の配布を地元のボランティアの手を借りてやっています。
地域外の方々でなければできない活動もあります。いまも巡回の移動図書館が仮設住宅などを回っています。外部の力も有効に活用すべきだと思います。
災害ボランティアセンターを運営していると日々がバタバタと過ぎていきます。外部の専門的なスキルをもつプロポノ的な支援を活用できたら、新しい出会い、新しい発見があったのではと思っています。
航空会社の災害支援
融雪用ボイラーでお風呂を(中越地震・東日本大震災)
大島町への支援は、全日空として初めての組織的な災害支援活動となりました。これまで何もやって来なかったわけではありません。さかのぼると中越地震のときにお風呂の支援をやりましたし、東日本大震災のときにも要請があって2カ月くらい避難所でお風呂を供給する活動を行いました。
冬の飛行場を知っている方ならお分かりでしょう。雪が飛行機に積もると飛行機は飛べなくなります。ボイラーでお湯を沸かす装置があります。お湯が再凍結することのないように、そのお湯に凍結防止剤を混ぜて飛行機に積もった雪や氷を溶かします。
航空会社はどんな支援ができるのかということで、整理してみました。➀企業からの寄付金、➁社員の募金/お客様の募金、➂マイルの寄付、➃渡航支援/輸送支援、➄支援物資の提供、➅災害派遣ボランティアです。
東日本大震災では、支援物資の提供も行いました。被災した仙台空港を1日も早く復旧させたいということで、10トントラックにスコップや一輪車、そしてガソリンを運びました。
最初にお話ししたお風呂のボランティアは、大型車の運転ができる人間でないと行けません。社員をボランティアに募ったところ10倍くらいの倍率になりました。お湯を沸かすだけでなく、掃除も必要ですし、女性の被災者に対するケアも行いました。
支援のための基準づくりから始める
大島町では災害派遣のボランティアを初めて行いました。組織的な災害支援は初めてとあって経理部からはちゃんとした基準をつくれといわれました。
まず、ANAグループの飛行機が飛んでいるところ。大島町の場合、1日1便ですが全日空が飛んでいます(編集部注)。2014年8月、広島で大きな土砂災害がありました。広島は当社のドル箱路線といわれているところです。これから飛行機が飛ぶという新規路線の計画があるところも有望です。
もう1つは、激甚な災害かどうかという判断です。社会的な関心度の高さもあります。こんなことを勘案しながら、ヒト・モノ・カネの支援を決めています。
ヒトを派遣する場合、激甚災害であるというのが大きなファクターになります。大島町では、それに加えて災害ボランティアセンターがいち早く立ち上がりました。ANAグループ社の場合、ジャパン・プラットフォーム(JPF)という災害支援組織との連携があります。そこからの派遣要請もありました。ただし、二次災害が起きるようなところにはヒトを送るのは困難です。
災害ボランティアセンターが立ち上がって、派遣者に対する安全面の確保もある程度めどがついたところで、人を送ることになります。あとは現地で泊まれるかどうか、大島町の災害は10月に起きました。10〜11月ですと、屋外では寒いので、せめて屋根が欲しいという要望をしました。あとは食べ物の確保でした。
私どもにはボランティア休暇という制度はありません。運航乗務員、キャビンアテンダント、整備、グランドスタッフなど従業員のほとんどがシフト勤務で働いていますから、派遣には業務の調整が必要です。ただし、参加者のボランティアに対する気持ちは優先するようにしています
災害が発生すると、災害支援組織であるJPFから被災地のニーズとスケジュールと移動手段などの情報が入ります。なぜかというと、私たちのボランティアは飛行機の空き便で飛ぶのです。皆さんは大島町には船で行かれたと思うのですが、船だと逆にお金がかかるので、飛行機の空き便を利用します。
行政、支援地域のニーズの吸い上げを
こういうことをやりたいと思ってボランティアに参加しても、できないこともあります。災害組織の方たちとの連携が不可欠なのです。現地の災害ボランティアセンターは必要です。広島の土砂災害ではいち早く支援実施のニュースリリースを出しましたが、救援物資・義援金はお届けしたものの、ボランティアの派遣については、現地の支店の人たちが少し参加した程度でした。
なぜかというと現地の災害ボランティアセンターがうまく立ち上がらず、広島市と支援団体のマッチングがいまひとつうまくいかなかったようです。広島は出身者も多く、現地に行きたいという声はかなりありました。残念ながら、全国からの派遣につながりませんでした。
被災地では行政と連携して、素早く災害ボランティアセンターを立ち上げてほしいと願っています。企業単独で現地のニーズのつくりこみはできません。地元のニーズをキャッチアップしていただければ、できうることがより具体的になります。
先ほど大島町の鈴木さんから災害ボランティアセンターの運営の話がありました。私たちが現地に行ったときはサロンができて、ご老人のケアが始まりました。キャビンアテンダントの皆さんがサロンのお年寄りへのケアに汗を流しました。
こうしたこともあり、大島町とは福祉祭りへの参加など災害後もお付き合いが続いています。(2015年8月)
●民間防災および被災地支援ネットワーク(CVN)について
東日本大震災への社員派遣など復興支援に携わった企業、NPO、中間支援組織などを中心に立ち上がったネットワーク。企業、NGO/NPO、行政などのセクターの垣根を越えた信頼関係と連携のシステムの構築を目指し、2ヵ月に1度の定例会を実施しています。現在までに100以上の企業・団体に参加いただき、復興支援と来たるべき災害に備えた取り組みを続けています。
http://cvnet.jp/
お問い合わせ
民間防災および被災地支援ネットワーク事務局電話:03-3363-7967(ピースボート災害ボランティアセンター内)
[編集部注:本記事は6月末に取材したものです。全日本空輸は、8月19日に羽田―大島便は10月25日をもって運休すると発表しています。]
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