企業とNGO/NPO

ネパール大地震の被災地を行く

〜三浦雄一郎さんが国連WFPの支援現場を視察〜

防災の日の9月1日、国連WFPの主催で「三浦雄一郎が見たネパール震災〜国連WFPの支援現場〜」という集いが開かれた。4月25日に発生したネパール大地震から約3か月、被災地の姿は国連WFP協会親善大使でもある三浦雄一郎さんにどのように写ったのだろうか。

被災地の人々に迎えられる三浦雄一郎さん(写真提供JAWFP)

被災地の人々に迎えられる
三浦雄一郎さん(写真提供JAWFP)

国民の1割以上が被災したネパール大地震

ネパールの人口は2,600万人。国民の多くが標高の高い山岳地帯に住んでいます。2015年4月25日、そのネパールを マグニチュード7.8の大地震が襲いました。およそ2万人が負傷し、1万人近い人々が亡くなっています。なお、ネパール政府によれば、今回の大震災の被災者は300万人に及ぶとしています。

村々の多くは険しい山間地に点在し、道路が寸断した村にはヘリコプターの輸送が欠かせない(写真提供JAWFP)

村々の多くは険しい山間地に点在し、道路が寸断した村にはヘリコプターの輸送が欠かせない(写真提供JAWFP)

震災から3か月後の7月19日、国連WFP協会親善大使を務める三浦雄一郎さんがネパールへと出発しました。エベレスト登頂3回、ネパールには30回以上も訪れている三浦さんの目に、震災後のネパールはどのように見えたでしょうか。

ネパールには2つの文化遺産と2つの自然遺産など4つの世界遺産があります。この地震では、首都カトマンズのダルバール広場周辺に点在する寺院群などが倒壊し、修復作業が始まっています。観光が重要な産業のひとつだけに、一日も早い復興が望まれます。

学校が壊れたため、子どもたちの多くは今もテントで勉強をしています。家屋の倒壊で自宅に住めなくなった被災者の多くもテント村での生活を余儀なくされています。大地震に耐えた家屋も木材による補強とビニールシートでどうにか雨露をしのいでいる状況です。

すばやい緊急支援で人々の命を救う

元国連WFPアジア地域局長/国連WFP協会顧問 忍足(おしだり)謙郎さん

元国連WFPアジア地域局長/国連WFP協会顧問
忍足(おしだり)謙郎さん

今回の集いでは、元国連WFPアジア地域局長の忍足謙郎さんも報告に立ちました。国連WFPは、5年ほど前からカトマンズ地方の地震に備えており、1年ほど前にはカトマンズ空港に「人道支援物流拠点」を構築、震災1カ月前にこの物流拠点を完成させていました。こうした備えは重要な取り組みにも関わらず、寄付を集めるのが最も難しい活動だと忍足さんは語ります。

国連WFPは世界の貧困地域に年間300万トンの食糧を届けるため、飛行機70機、船舶20隻、トラック5,000台を運用する物流のプロを自負しています。

日本では年間800万トンの食糧が廃棄されています。国連WFPが世界に援助する300万トンの2倍以上にあたります。

国連WFP協会は地震発生直後から7月末までに多くの個人や企業・団体の皆さまより寄付された支援金、累計2億円をネパールへ送金

し、被災地の食糧支援や復興支援活動に役立てています。

ネパールの人々に希望の光を

当日の会場では三浦さんの視察の模様が映像で流されました。

【視察1日目】

最初に国連WFPネパール事務所で説明を受けました。大地震の発生とともに、国連WFPネパール事務所のスタッフは各地の被害状況を調査、特に山岳地帯の村々の被害状況が大きいことを把握し、緊急食糧支援を開始したのです。

その後、国連WFPがカトマンズ空港のそばで運営する「人道支援物流拠点」を視察しました。ネパールに空輸されてくる救援物資を受け入れ、仕分け、発送する物流の一大拠点です。食糧や毛布などの支援物資もここを経由して各地に送られました。国連WFPの物資だけでなく、120を越えるNGO/NPOなどの支援団体がネパール支援のために震災直後からこの拠点を利用してきました。

国連WFPがカトマンズ空港で運営する「人道支援物流拠点」(写真提供JAWFP)

国連WFPがカトマンズ空港で運営する「人道支援物流拠点」(写真提供JAWFP)

【視察2日目】

2日目は復興支援が始まった2つの村を視察しました。カトマンズから約4時間のプラノザンガジョリ村では、国連WFPの支援活動の一環として、地震で崩壊した学校のガレキ除去作業に保護者たちが参加し、国連WFPはその労働に対して現金を配布していました。

1日6時間、13日間の労働の対価として村人たちは8,000ネパールルピーを受け取ります。石を一つひとつ手渡しで運ぶ地道な作業が続いています。復興への強い思いが込められています。

手渡しでガレキ撤去に汗を流す(写真提供JAWFP)

手渡しでガレキ撤去に汗を流す(写真提供JAWFP)

もう一つのダカルガウン村でも、道路整備の復興作業に地域の人々が参加していました。「復興は親の責任」と言いながら、炎天下の中で力強く働くお母さんや、前向きに生きる人々が多く、印象的でした。こちらも13日間の労働の対価として8,000ネパールルピーが支給されていました。三浦さんも現地の皆さんに8,000ネパールルピーのクーポンを手渡ししました。

道路整備に参加する村人たち(写真提供JAWFP)

道路整備に参加する村人たち(写真提供JAWFP)

【視察3日目】

中型ヘリコプターで山岳地帯の孤立した村に向かいました。途中の村々には倒壊した家が今も見られます。震源地であり、最も被害が大きかったゴルカ郡にある村の食糧配布現場を視察。標高3,000m以上あるこの山岳地帯の村へは車で辿り着くことができないためヘリコプターや、動物(ラバ)、人(ポーター)の力によって食糧が運ばれていました。

日本からの支援物資を山間地の人々に届ける(写真提供JAWFP)

日本からの支援物資を山間地の人々に届ける(写真提供JAWFP)

次に訪れた中継地の村では、各世帯に配給するため、40キロの米、5キロの豆、2キロの食用油を仕分け中でした。

命をつなぐ食糧の仕分け作業(写真提供JAWFP)

命をつなぐ食糧の仕分け作業(写真提供JAWFP)

【視察4日目】

小型ヘリコプターで山岳地帯の孤立した村々を訪れました。標高2,300mにあるガウリシャンカル村では、地震による地滑りで道が遮断され孤立していました。国連WFPは地震発生の5日後から地元のポーターの協力やヘリコプターで、この村にも食糧などを届けてきました。ある女性は倒壊した家屋を指差しながら、「小さな物音がするだけで、また地震が来るのではないかと怖くなる」と話してくれました。

WFP三浦さんネパール10

孤立した村を訪ねる(写真提供JAWFP)

孤立した村を訪ねる(写真提供JAWFP)

【視察5日目】

視察最終日には、7サミットウーマンチームというネパール人による登山家グループと会いました。地震発生直後からネパールの復興の力になりたいと、国連WFPの緊急支援に参加しています。「私たちは今、国連WFPで働けていることがとても幸せです。助けを求めている人がいる限り、被災して傷ついた人々の力になりたい」と語ってくれました。

国連WFPの学校給食で育った女性登山家のニムドマ・シェルパさんにも会うことができました。「食糧などの配給が平等に行き渡っているか、困ったことはないか」などの聞き取り調査をしているそうです。雨季なので修復された道が崩れ、再び孤立する村があると語っていました。

WFP三浦さんネパール12

ニムドマさんをはじめ女性登山家たちと歓談する三浦さん(写真提供JAWFP)

ニムドマさんをはじめ女性登山家たちと歓談する三浦さん(写真提供JAWFP)

《トークショー》

国連WFPの役割の大きさを実感

司会:今回の視察は三浦さんのご希望もあって実現したと聞いています。

三浦:ネパールには50年以上、お世話になっています。1970年にエベレストをスキーで滑降して以来のつきあいです。70歳、75歳、80歳の節目にエベレストに登れたのは、ネパール人のシェルパの力があったからです。

大きな地震に見舞われたネパールで、国連WFPが先頭に立って復興に向けた支援活動をしていると聞き、現地を訪ねたいと思いました。

司会:三浦さんが初めてネパールに行かれたのが1968年、WFPがネパール支援を開始したのは1964年。どちらも1960年代からネパールに関わっています。

三浦:地震の直後、息子の豪太のところにお世話になったシェルパから電話が入りました。地震で大変なことになっているという連絡です。カトマンズにはエベレストに登るためのテントや寝袋、食事をつくる機材などが置いてありました。これらを供出して使ってもらいました。

ネパール視察の模様を語る三浦雄一郎さんと司会の外岡(とのおか)瑞紀さん(左)

ネパール視察の模様を語る三浦雄一郎さんと司会の外岡(とのおか)瑞紀さん(左)

司会:震災から3か月経った現地は三浦さんの目にどのように写りましたか。

三浦:ネパールの8割は山岳地帯です。山々の間に人々が暮らしているわけです。移動のため、ヘリコプターから見た光景はすさまじいものでした。至るところで家が壊れ、ブルーシートで覆われていました。山が崩れて道も寸断されています。私が訪ねたのはちょうど雨季だったため、川を濁流が流れていました。

司会:今回の視察で特に印象に残ったことは……。

三浦:地域の皆さんが手渡しでガレキなどの撤去を行うなど、復興に向けて懸命に作業を行っていました。困難な状況の中で、復興に向けて一生懸命に取り組む被災者の姿に胸を打たれました。
国連WFPはこの作業の対価としてクーポンを配布し、経済面でも地域の活性化に役立てていました。

司会:現地の方とお話もされていましたが、どのような声が聞かれたでしょうか。

三浦:国連WFPの援助に対する感謝の言葉が多く聞かれました。ある村人からは、「こちらから差し上げるものはありませんが、という感謝の言葉だけは差し上げたい」と語ってくれました。

食糧と家さえあれば何もいらないという声もありました。素朴な人々の願いに何としても応えたいと思いました。

司会:ネパールの復興に私たち日本人はどのようなことができると思われましたか。

三浦:観光で生計を立てている方が多い国です。カトマンズ盆地の世界遺産の修復は始まっていますし、ヒマラヤのゴールデンルートと呼ばれるトレッキングコースの整備も急速に進んでいます。観光・登山・トレッキングでこの国を訪れることも復興支援になるかもしれません。(2015年9月)

三浦雄一郎さんのプロフィール

1932年、青森市生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセにて当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)、その記録映画はアカデミー賞受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を達成。2003年エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)。2008年75歳で2度目、2013年80歳で3度目のエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録)。クラーク記念国際高等学校校長。2015年1月に国連WFP協会親善大使に着任。

※トークショーの司会は国連WFP協会広報担当の外岡瑞紀さんが行いました。内容については当編集部で要約しており、文責は当編集部にあります。

国連WFP とは】

www.wfp.org/jp国連WFP は、国連機関であるWFP 国連世界食糧計画と、それを支援する認定NPO 法人である国連WFP 協会という2 つの団体の総称です。国連WFP 協会は、募金活動、企業・団体との連携を進め、日本における支援の輪を広げています。
WFP三浦さんネパール15

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