企業とNGO/NPO

そこに住む人たちが、誇りの持てる“まちづくり”を支援したい

日本紛争予防センターの山田彩乃さんに聞く

シリア内戦の拡大と難民の拡散が世界の関心を集めている。だが、第二次大戦以降、世界では500以上の紛争が起きている。世界で一番新しいアフリカの国、南スーダンもそのひとつ。認定NPO法人日本紛争予防センターの南スーダン担当・山田彩乃さんに現地の模様を聞いた。

JCCPの南スーダンチームとともに(ナイロビ事務所で)(c)JCCP

JCCPの南スーダンチームとともに(ナイロビ事務所で)(c)JCCP

内線状態が続く南スーダンで草の根レベルの支援を行う

Q.紛争が激化する南スーダンの支援をしているとうかがいました。

山田: 私は2016年1月から、特定非営利活動法人 日本紛争予防センター(JCCP)の職員をしています。JCCPでは、紛争の起こった地域で再発を予防したり、紛争の起こりそうな地域で紛争を発生しないようにするため、①治安の維持、➁住民の自立支援、➂対立する2つ以上のグループの和解促進などの活動を行っています。

私はその中で、南スーダン支援活動のプログラム・オフィサー(プロジェクトの立案、進行・管理、ドナーへの報告などの担当者)の役割を担ってきました。

南スーダンは2011年に独立を達成したものの、2013年に再び内戦状態に陥ると現在まで紛争と小康状態を繰り返しています。日本でもニュースになったように、今年7月には再び首都ジュバで政府軍と反政府勢力の間での戦闘が発生し、多数の死傷者が発生する事態となっています。

Q.現地ではどのような支援を行ってきたのでしょうか。

山田: 南スーダンでは、一般の人たちに向けた支援を継続しています。政治や民族といった大きな次元での争いに簡単に左右されない草の根レベルでの強い社会基盤をつくることが大切だと考えてのことです。

これまでに行ってきた支援は大きく2つあります。1つが、2013年の紛争再発前まで行った、若者への職業訓練です。

独立が目前に迫る2010年から開始し、若者を対象にサービス業に特化した訓練を行いました。過去20年にわたる紛争によってサービス業の経験者が非常に少なくなっていたことと、一方で外国人の増加などに伴い、レストランやホテルでサービススタッフの需要が急増していたためです。JCCPは特にストリートチルドレンなど教育を十分に受ける機会のなかった子を中心的に訓練し、面接練習などきめ細かい就職支援も行いました。

当時、若者の就職率は50%を大きく下回っていたのですが、JCCPの訓練生の就職率は80%近くあり、現地でも注目される事業となりました。

職業訓練で料理づくりを学ぶ(南スーダン)  (C)JCCP

職業訓練で料理づくりを学ぶ(南スーダン) (C)JCCP

もう1つが、2013年12月の紛争再発後、現在まで継続している緊急支援事業です。多くの人が難民や国内避難民になり、日々の生活もままならない中で、将来のための職業訓練をしている余裕はなくなりました。そこで、治安の改善や人々の日々の暮らしを支援するために、生活必需品の配布、女性や子供への暴力予防、被害者支援といった事業を行ってきました。ひとたび紛争が起こると、社会的に弱い立場にある女性や子供たちにしわ寄せがいってしまうためです。

直近では、学校における野菜栽培を通じた、国内避難民と受け入れ側住民との対立緩和事業を行っています。避難が長期化するにつれて、国内避難民と受け入れ側住民との間でトラブルが頻繁に起こったため、JCCPが得意とする、共同作業を通じた平和構築に取り組むこととしました。今回は、両者の感情のもつれの主な要因である食料問題に関するものを題材としました。

順調に活動を行っていた中で、7月の戦闘が発生しました。事業地に6,000人以上の国内避難民が新たにやってきて、事業の中心である学校で寝泊まりをしたため、通常通りの運営ができない状況となりました。


Q.戦闘発生前にはどのような成果が出ていたのでしょうか?

山田: 野菜栽培活動は、小学校に設立したサイエンス・クラブを中心に行いました。そこには40人の募集に対して134人の子供が集まり、野菜栽培への関心の高さがうかがわれました。そして、保護者らも巻き込み、約200名で国内避難民と受け入れ側住民の双方が共同作業を行う基盤ができました。

野菜栽培の研修風景(南スーダン) (C)JCCP

野菜栽培の研修風景(南スーダン) (C)JCCP

作業の前に研修を行います。地元の大学講師、農業省など専門家に協力してもらい、野菜栽培の実技研修をしました。同時に、JCCPによる紛争管理研修を行うことで、共同作業の最中に起こる問題を平和的に解決する知識をつけることができます。その上で作業を行うので、双方の対話と融和を効果的に深めることができると考えました。今回は、十分な作業を行う前に紛争が発生し、通常通りの事業ができない状況になってしまいましたが、身につけた知識はこれからも生かしてもらえると思います。


Q.今後の支援はどのように継続される予定ですか。

山田: 南スーダンへの邦人の立ち入りは難しい状況ですが、JCCPは現地のスタッフと提携団体により支援を続けます。私は彼らと連携し、東京から事業管理を行います。

8月からは新しく国内避難民になった人たちに食料と生活必需品の配布を行います。彼らの多くは今、支援不足により生きていくのがやっとの状態で、一日の大半を避難先の学校の床に横たわって過ごしている人も多いと現地職員が証言しています。一刻も早く彼らに支援を届け、その後は時期を見計らって、民族間の対立緩和事業を再開していく予定です。

物資配布が始まるまでの間も、サイエンス・クラブの子供たちが中心となって、多数の国内避難民により汚れてしまった学校の復帰のために清掃活動をしたり、有志による野菜栽培の継続をしたりと、状況に合わせた柔軟な支援を心がけています。

これからも現地の方の状況に合わせ、彼らに寄り添えるような支援を、現地職員とともに行っていきたいと考えています。


小学生で抱いた小さな志を育て、今に至る

Q.山田さんはユニークな経歴の持ち主だと聞いたのですが、まず社会人になるまでの経歴について聞いてもよろしいでしょうか。

山田: 小学生の頃、ある番組で、誇張された「かわいそうなアフリカ」を見て、将来はアフリカの人たちの役に立てるようになりたいと思いました。そのときは医者を志しました。

中学生の時に9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起き、この世界には絶対的な不平等や格差があることを知りました。自分が医者になるだけでは問題の根本にアプローチできないと感じ、そこから自分はどうすればいいか、悩むようになります。

1つのヒントが、大学生のときにカンボジアで出会った、スラム街に住む男性の言葉でした。それは、「この街が良くならないのはこの街に住んでいる人たちがこの街を好きじゃないからだ」という何気ない一言でした。住んでいる場所、周りの環境が貧困や不平等といったものに大きな影響を与えることを知りました。

そうした体験に基づいて、「住む人が誇りのもてる街づくり」がしたいと思うようになり、地元の企業であり、地域の街づくりに少なからぬ貢献をしているJR東海に入社することになりました。


Q.社会人としての暮らしはいかがでしたか。

山田: 人事・労務を担当する部署に配属され、オフィスワークをしていましたが、心の中にずっと、「アフリカで仕事がしたい」という思いがありました。それに踏み出した直接のきっかけは、2011年3月の東日本大震災でした。

震災後、すぐにボランティアに向かいたいと思ったのですが、周りの人に「ボランティアなんて暇な人のやることだ」と一笑されました。私は、その言葉に強い違和感をもちながらも、何の知識も経験もない自分が、と思い反論することができませんでした。

そのとき、所属や肩書がなくても、自分の知識や技術をもって人の役に立てる人間になりたいと強く思い、そのための一歩として、青年海外協力隊に応募しました。震災1か月後のことです。


Q.青年海外協力隊として、どのような活動をされたのですか。

山田: 入社丸3年たった2012年4月から、アフリカのザンビア共和国に派遣されました。職種は村落開発普及員(現:コミュニティ開発)で、チルンド郡役所という、ジンバブエとの国境に近い小さな町の自治体に配属されました。

小中学生たちとゴミ拾い活動を展開中(ザンビア)

小中学生たちとゴミ拾い活動を展開中(ザンビア)

そこでは街づくりの担当になりました。赴任した直後に自治体がなくなり、再編成されるまでの約1年間、よそ者の私が一人で街づくりをすることとなりました。

また、ザンビアでは政府の力が強く、住民の意見を反映させる仕組みや習慣がありません。新自治体に徐々に集まってきた役人たちは、地元の住民と民族が異なることからコミュニケーションがうまく取れず、そこが比較的貧しい地域であったために、どこか見下すような態度も見られました。

以上の点から、私は、活動の目標を「まちづくりへの住民参画の促進」に定めました。その地域のことは、そこに住む人が一番よく知っています。よそ者の私や役人が、本当に地域のためになるまちづくりを推進するためには、地域の人の協力が欠かせないと思いました。

私の短い任期の間に、できるだけきっかけや新しいアイデア、成功事例、失敗事例をつくって、実際に見てもらって、私が去った後、地元の人や同僚である役人がまちづくりをしていくうえで、少しでも貢献できることがあればという思いでした。

半年間は町の調査にあたりました。その結果、①インフラ、➁雇用・経済、➂公衆衛生が地域の課題だとわかり、2年の任期を考慮し、雇用・経済と公衆衛生に取り組むことにしました。

1つめの雇用・経済に関しては、住民が自分たちの力で問題や課題を解決していけるよう社会的技術や能力を獲得できるよう支援を行いました。職業訓練校や読み書き教室の立ち上げ、シングルマザーの方へのビジネス支援(帳簿付けや託児所運営)など、リクエストのあったことに応える形で事業を実施していきました。

中でも思い出深いのは、教会での読み書き教室の立ち上げです。これは、私が現地で行った最初の事業です。新自治体ができることで、これまで現地語で開示されていた情報が、公用語である英語になると聞いた、地元のお母さんたちが子供や家族を守るために、「英語の読み書きをできるようにしたい」とリクエストして始まりました。

読み書き教室で。授業に使う黒板も手づくり(ザンビア)

読み書き教室で。授業に使う黒板も手づくり(ザンビア)

“できることは自分たちで”にこだわり、近所の退職した校長先生が授業を担当し、黒板も自分たちでつくりました。チョークやノートを買うお金は、空き時間に小物づくりをすることで賄いました。この教室が地元で評判となり、前述のようなリクエストが次々と地元の人から届くようになりました。このように、私の活動は地元の人に支えられて行うことができました。

2つめの公衆衛生に関しては、より直接的な住民参画を目指し、官民連携で意思決定や政策提言をする委員会を立ち上げました。日本語に訳すと「環境対策委員会」でしょうか。主なテーマは、官民で連携しやすい「ごみ問題」とし、政府関係者と住民代表者約50名で解決に取り組みました。

具体的には、ごみ箱の設置場所と回収ルートの決定、ゴミ拾いやイベント実施を通じた啓発活動などです。

これにより、住民参画の前例をつくることを目指しました。実施2年目からは、自治体内にこの委員会のための予算項目が追加されるなど、根付いてきた実感はありますが、政府と住民の間の溝が埋まるまでは、まだまだ長い道のりであると感じます。


Q.ザンビアの経験は日本に帰国してから生かされましたか……。

山田: 協力隊参加前は平凡な社員で、ただ日々の仕事をこなしていました。帰国後は、進んで改善案を提案するなど、自ら積極的に仕事に取り組むようになったためか、自然と上司に褒められたり、時には叱られることも増えていき、仕事が面白くなりました。同じ部署に戻ったのですが、自分が変わると環境はこんなに違って見えるのかと驚きました。

辞めると言ったときはがっかりさせてしまいましたが、迷惑をかけたにもかかわらず、最終的に背中を押してくれた上司や同僚の方々には心から感謝しています。


Q.転職先の日本紛争予防センターとはどのようなつながりがあったのでしょうか。

山田: JCCPの瀬谷ルミ子理事長の著書『職業は武装解除』を読み、JCCPを知りました。JCCPの「紛争の被害者を平和の担い手に」という考え方、日本で唯一紛争解決に直接アプローチしている団体であることに魅力を感じ、ちょうど募集していた現在のポジションに応募しました。

現地の状況はまだ予断を許しませんが、他の支援団体や政府関係者などと歩調を合わせながら、一日も早く南スーダンに平和が訪れるよう、現地の人たちと共に活動を続けていきたいと思います。

南スーダンの子どもたちと (C)JCCP

南スーダンの子どもたちと (C)JCCP


ザンビアの主食「シマ」を食べる山田彩乃さん。

ザンビアの主食「シマ」を食べる
山田彩乃さん。

特定非営利活動法人 日本紛争予防センター(JCCP)

http://www.jccp.gr.jp/index.html


【CSRマガジン編集部から】
山田彩乃さんへの取材は、以前「ザンビア支援に汗を流す」で取り上げた上野和憲さんのご紹介で実現しました。東京府中市のホテルコンチネンタルのレストランFILLY(フィリ―)で「ザンビアフェア」をやっており、ザンビア料理のランチセットやデザートを楽しみながらの取材となりました。なお、ザンビアフェアの企画は、父親がザンビア人で母親が日本人のハーフであるチパラブェ・ムウェニャさんなどが計画しました。日本の大学を卒業したチパラブェさんは日本語も堪能で、今後もザンビアと日本の懸け橋になりたいと語ってくれました。

ザンビア料理とデザート(上)。ザンビアフェアを企画したチパラブェ・ムウェニャさん。手にしているのはチパラブェさんらが開発したザンビア産のコーヒー。

ザンビア料理とデザート(上)。ザンビアフェアを企画したチパラブェ・ムウェニャさん。
手にしているのはチパラブェさんらが開発したザンビア産のコーヒー。


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