CSRフラッシュ

日本語でスピーチを競う

第20回大使館員日本語スピーチコンテスト

20回目を数える大使館員日本語スピーチコンテストが今年も開催された。スピーチに立ったのは15カ国16人の外交官たち。持ち時間は1人5分以内と短いながら、それぞれが思い思いの演題で、会場を沸かしてくれた。受賞者6人のスピーチをお届けしたい。

[2017年6月19日公開記事]

外務大臣杯を受けるロシア大使館のリャボワ・ビクトリアさん(左)

外務大臣杯を受けるロシア大使館のリャボワ・ビクトリアさん(左)


外務大臣賞・杯

「私の2番目のふるさと日本」

ロシア連邦大使館 リャボワ・ビクトリア

外交官スピーチ2017-2

ロシア連邦大使館に勤務して1年目になります。私が生まれたのは1990年の北海道札幌市でした。雪が深く積もっていました。つまり私は道産子で、日本は私にとって第2の祖国なのです。

私の27年の人生のうち、日本で過ごしたのは約12年になります。子供の頃、東京都港区麻布台にあった飯倉幼稚園で沢山の日本人と楽しんだ遠足、親切にしてくれた先生たちとの別れを惜しんだ幼稚園の卒園式、隣の飯倉小学校の体育館で練習する一輪車、当時の私は日本のほかに過ごす場所はないと思っていました。

大人になり外交官としての仕事を始めました。私の生活は変わりました。小学校の体育館で一輪車に乗る練習をする代わりに、プーチン大統領やラブロフ外務大臣の訪日の準備をすることになりました。日本語で自分の名前や大きくなったら何々になりたいという幼稚園の卒園式でいう言葉の代わりに、ロシア大使の通訳をしています。

私自身も変わりました。でも一番大切なことは変わりません。それは私が外国人として日本で生活をし、毎日感じることができる日本人の親切さと心の明るさです。人のことを考える日本人、いつも手伝ってくれる日本人、何かをやるとしたらきちんとやります。難しいことがあっても最後まで頑張ります。

ロシアと日本の間には、不安な点や問題があることも理解しています。でも、私にとって国と国の関係は人と人の関係でもあります。ロシア人が日本人の生活を学び、考え方を理解し、日ロ関係を発展させる方法が一番いい方法ではないかと考えています。

モスクワから東京まで飛行機で来ると成田空港に到着します。そこには大きな看板が2つあります。1つめは「ようこそ日本へ」と書いてあります。2つめは「お帰りなさい」と書いてあります。東京に来るたびに、私はどの看板を読めばいいのかと考えるのです。


文部科学大臣賞・杯

「似ているようで似ていないようで」

大韓民国大使館 ジョン・ドンゴン

外交官スピーチ2017-3

3つ申し上げたい。1つめは日本語の漢字について。両国は漢字圏ですが、日本は漢字をベースに平仮名を組み合わせています。韓国語はハングルが組み合わさっています。韓国の場合、漢字を知っていれば必ず読めます。音読みしかありません。国という字は、意味は「くに」で音読みは「こく」。さえ知っていればだれが読んでも「こく」となる。ところが日本の漢字は、日本の「日」という字の発音は「にち」とか「か」ともいう。「春日」と書いて日本の人は「かすが」と読むが、我々はなんて読むのか戸惑うのです。そこが似ていないところ。

韓国大使館のある南麻布に仙台坂があります。仙台藩主伊達政宗の下屋敷がありました。「だて」は読めません。テニスの「伊達公子」選手も「だて」と読む。日本の公文章は難しい字に振り仮名がついています。自分の母国語でありながら、人がどう読むか分からないから付けてあるのです。似てるようで似ていない。

2つめは敬語。両国の言葉は敬語が発達しています。尊敬語があり謙譲語があります。韓国語の場合、身内の目上に対しても私のお父さんお母さんと必ず尊敬語を使います。日本語は、目上の人に対しては謙譲語を使います。相手を上げて上げて、自分を下げて下げてが日本の敬語であり、それが似ていません。最近、私の奥さん・俺の奥さん・僕の奥さんという若い人たちを見ます。日本語も変わってきています。

3つめの家庭教育について。両国とも儒教に基づいている国です。儒教は中国から入って来た思想ですが、これも時代の流れで変わってきました。韓国の流れは、目上の人に対して尊敬し配慮するのが家庭教育。日本は人に迷惑をかけないが家庭教育です。

韓国大使館に来るとき日本語の面接を受けました。「日本人と韓国人の違いは何か」と質問されました。私は「目つき」と答えた。なぜかというと、日本の人は人に迷惑をかけないために自分のことを一生懸命やればよい。周りをあまり気にしないように目の焦点が近いのです。韓国人の目線は周りを気にします。知り合いはいないか、目上の人はいないか。自分の目線の焦点が広々としています。これが似てないところ。

結論をいうと、人はそれぞれ個性を持っており、似ていないところが多い。だからこそ相手の立場に立って見るような姿勢や考え方を持つよう努力するのが大切。そうすることで、より平和でより楽しい日々が過ごせるのではないでしょうか。


文化庁長官賞・杯

「鉄道旅の思い出」

中華人民共和国大使館 王 宏偉

外交官スピーチ2017-4

今日は私の鉄道旅の思い出について話します。私は中学生時代から日本語を始めましたが、先生の勧めで日本のドキュメンタリーを見ることを通じて日本語の勉強を進めました。一番印象深かったのは、NHKの「関口知宏の中国鉄道大紀行」というドキュメンタリーです。

関口知宏という日本人の男性が1人で、中国の広大な国土を鉄道で回った勇気あふれるものでした。私もいつかチャンスがあったら、1人の中国人として日本での鉄道旅を楽しみたいと思い、それが小さいときからの夢となりました。

2012年、日本で1年間の留学の機会を得ました。春休みを利用し、友だちを誘って「青春18」切符で日本での鉄道旅に出かけました。わずか2週間くらいですが、日本のいろいろな土地を回り、いろいろな物語が頭に残りました。

東京からまっすぐ北陸地方に向かいました。まず長野の「姨捨駅」を通過しました。姨捨は、おばあさんを山中に捨てる物語から来ています。その駅に着いたとき車掌さんが「ぜひ窓の外を眺めてください」といわれ、窓の外を見たらそこには広大な長野の平野が目の前に広がっていました。日本の風景の美しさが実感できました。また、長野のあと、上越市直江津に向かったが、「トンネルを抜けたら雪国であった」の風景に出会いました。川端康成さんの書いた小説と全く同じ風景でした。

名古屋から伊勢神宮に向かったときの話だが、電車の中で私の隣に座っている日本人のおばあさんが、私が外国人と知り親切に話しかけてくれ、伊勢神宮には日本人なら誰でも生涯に一度はお参りに来るという話をしてくれました。思い出に残る鉄道旅となりました。

今年は中日国交正常化45周年という記念すべき年です。中国からも多数の観光客が日本に来ています。私のように観光を通じて日本という国のイメージを変えた人も少なくないと思います。中国でも発展が進み、高速鉄道がドンドンできています。中国の鉄道の旅は関口さんのような苦労をしなくてもいろいろな所に気軽に回れると思います。チャンスがあれば中国での鉄道旅にチャレンジしてください。中国での鉄道旅を楽しみ、日中友好の物語をつくりましょう。


審査委員特別賞-1

「日ノ本の光に照らされた夢の続き」

モンゴル国大使館 エンフバト・ウヌルジャルガル

外交官スピーチ2017-5

夢を追ってその夢を叶えるために尽くしている人は、有意義な人生を送れると思います。日本留学がきっかけで自分の夢を叶えることができたある人を紹介します。その人は私が卒業した高等学校の校長先生です。先生はモンゴル国が市場経済に移行した年に研修生として日本に留学しました。

日本の教育制度について研究し、いつか日本式の学校をつくりたいという夢を持ちました。その夢を周りに語るようになり、奇跡が起きました。日本から支援がありました。先生は自分の夢をかなえ、モンゴルで初めての日本式高等学校を創設しました。「新モンゴル高等学校」と名付けました。

先生は私たちにいつもこういっていました。「人間は一人ではやり遂げることはできないが、力を合わせると偉業を成し遂げるものだ。私の夢は、海のように寛大な心を持ち太陽のようにあったかく見守ってくれた、たくさんの日本人のおかげで実現できたものです」と。先生の夢を自分の夢のように見たたくさんの日本人がいます。その皆様のお陰で、モンゴルでは日本式の高等学校が設立され、モンゴルの将来をつくる木が育っています。日ノ本の光に照らされて育った先生の夢はさらに卒業生と在校生一人ひとりの夢の種をまき続けています。

日本人の支援者の皆様は、新モンゴル高等学校の卒業生約20名に、日本での留学生活を支える奨学金を出します。私も大学の4年間その奨学金をもらいました。創設から17年目を迎える今年までに、350人の卒業生が日本の大学で学び、モンゴルと日本の懸け橋になろうとしている。

私もその一人です。小さいときから外交官になり、母国の発展のために力を尽くしたいという夢を持ってきました。日本で留学生として学んだ4年間と外交官として働いた3年間は、日本の文化・社会そして日本人の心を知るうえで貴重な体験でした。私に学ぶ機会を与えてくれた日本人の皆様、そしていつもモンゴルのことを応援してくれる日本人の皆様に、この場を借りて感謝を申し上げます。

今年はモンゴルと日本の国交樹立45周年です。この45年間は両国の総合理解と友好関係が深まりました。ただ、2つの国の経済発展には格差があり、ずっと長くモンゴルが支えられてきました。しかし、一方的に支えられ助けられるだけの関係を私たちは望んでいません。いつか日本の皆様が苦しいときに、私たちモンゴル人が日本の皆様を支えたいと思います。


審査委員特別賞-2

「インドと日本:特別なつながり」

インド大使館 カミシュク・シャルマ

外交官スピーチ2017-6

インドと日本には共通項があります。1つめは、1カ月前に近くのお寺の名前で気付きました。「大黒天」と書いてありました。大と黒の漢字をインド語に訳すと「マカ」と言う言葉になります。私はインドで子供の頃から、「マカ」という神様にお参りしています。それを日本でも続けることができるとは思いませんでした。

2つめは数カ月前、日本の映画を見ていたら「だるまさんが転んだ」という言葉を知りました。「だるまさん」は誰だろうか?と思いました。ネットで調べたら、だるまさんは「ボディーガルマン」というインド人であることが分かりました。

3つめは昨年の夏、お盆という習慣を知ったとことです。お盆はインドの「シュラム」という習慣と同じものです。それは生死や先祖に対して同じ哲学を持っている証拠にほかなりません。

この3つの共通点として挙げられるものは、インドと日本の哲学的な深い関係です。哲学は文化の基本です。人生の道案内をしてくれます。インドと日本のつながりは、そんな大事な哲学的なつながりです。日本の価値観や哲学の話しをすると、幾つかの例が上げられます。強烈な自己主張をするよりも社会や人間関係を大事にすることは日本の特性です。インド人も自分の周りの社会や人々と平和に過ごすことが好きです。こんな考え方の代表が「ガンジー」です。

日本の特性のもう1つは全身全霊で仕事に打ち込むこと。あらゆる職業の人々に頑張らなきゃいけないという気持ちを見ることができます。やりたいことや仕事に夢中になることは、禅の思想ではないかと思っています。インドで生まれた「ネハン」は中国に行って「ちゃん」になり、日本に着いたら「禅」といわれるようになった。

インドでなくなったが、日本で続いている芸術もあります。例えば雅楽という宮廷音楽と踊りは、元々インドで生まれたにもかかわらず現代の日本でしか残っていません。やはり日本はアジア文化の博物館といっても過言ではありません。哲学や価値観は芸術に表現されます。日本の表現は中国から借りた場合もあるが、基本になっている哲学はインドのものを取り入れたといえます。残念ながらインドと日本の若者はそんな大事なつながりについての意識が薄くなっています。インドと日本は歴史からお互いに習うべきことが沢山あり、特別なつながりがあると言わざるを得ません。


特別功労賞

「デバイスに支配された現在」

カザフスタン共和国大使館 ダルケノフ・アイドス

外交官スピーチ2017-7

スイッチやボタンは、どの指で押しますか? 最近の若者は親指を圧倒的に使っているように見えます。年配になると人差し指を使っています。それは一体なぜ? それはスマホのせいだと考えられます。キリンは高いところにある葉っぱを食べるために首が伸びました。人間はスマホ使い過ぎでこの親指が伸びてしまいそうです。あるカザフスタンの芸能人いわく、我々はサルから人間になったが、スマホを持った人はいつでも下に目を向けて、まるでサルに戻ってしまったかのようだと……。この話を聞いて私はハッとしました。やはり私も猿まねをやっていたのです。

先日レストランへ行った際、ある4人家族の姿に唖然としました。みんな自分のスマホに没頭し、あたたかい笑顔も会話もありません。デバイスの普及が家族の団欒さえ奪っています。実は恋人たちの場合はどうでしょうか? 最近LINEを使って自分のハートとかキスとかメールで送るが、でもチョットその意味が分かりません。私はLINEをやめて、自分の奥さんを毎日一杯チュウしています。これは大事ですよ!

スカイプというインターネット電話があります。遠いところに住んでいるおじいちゃんおばあちゃんと顔を見て話せるなどすごくいい。でもだからと言って、子供の頃から大事に育ててくれた両親の元へ顔を出さなくて良いことにはなりません。祖父母たちが孫たちと楽しい時間を過ごすことは何よりも大事です。

インターネットを利用すると友だちも簡単につくれるが、1回も顔を合わせたことがないその友だちが、困っているときは本当に手を差し伸べてくれるだろうか? 仮想社会においては友だちが沢山いるような感覚が持っている一方で、実際の社会ではおひとり様たち女子が増えています。そしてデジタルデバイスの普及した結果、書く文化がなくなってきています。若者たちは書くのが苦手でそれも大きな問題となっています。心のこもった手紙の文化をみんな捨てています。デバイストは本当に不可欠なものですが、実際の人間関係をもっと大切にしましょう。それが真のコミュニケーションです。

※外交官のスピーチは、各人のお話の内容を尊重しつつ、当編集部で一部を要約しました。文責は当編集部にあります。

外交官スピーチ2017-8

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