企業とNGO/NPO
もし、私たちの国で戦争がなかったらシリア難民、子どもたちの明日
NPO「国境なき子どもたち(KnK)」の公開講座から東日本大震災以来、中断していたNPO法人「国境なき子どもたち(KnK)」の公開講座が20周年を機に再開した。復活1回目の講師はフォトジャーナリストの安田菜津紀さん。国民の半数が難民となっているシリアの人々、とりわけ悲惨な子どもたちの明日について語った。
[2017年7月3日公開記事]
いつかあなたと一緒に、この花を
この街の中で見れる日を楽しみにしている
2017年4月、シリアで化学兵器が使用され、大勢の子どもたちが犠牲になりました。人前で話すとき私は「怒り」という言葉を使わないようにしているが、あのニュースを見て込み上げてくる「怒り」がありました。何に対する「怒り」なのだろうと考えたときに、何もすることが出来ない、何も対処することが出来ない、自分自身に対する「怒り」なのでないかと気づきました。
そんな矢先、シリアの首都ダマスカスにいる友人から一枚の写真とともに、「いつかあなたと一緒に、この花をこの街の中で見れる日を楽しみにしている」という言葉が添えられていました。桜か梅と思われたでしょうが、アーモンドの花です。シリアの春の象徴です。
友人からの言葉を受けて、「日本から出来ることを重ねて行こう」と思うようになりました。
16歳のとき「国境なき子どもたち」が派遣する
「友情のレポーター」でカンボジアに
「国境なき子どもたち(KnK)」とのつながりは、私が高校2年生16歳のとき「国境なき子どもたち」が派遣する「友情のレポーター」の一員としてカンボジアの「トラフィクトチルドレン」と呼ばれる人身売買の被害にあった子どもたちの取材でした。貧困家庭で生まれ、お金で売り買いをされて、虐待を受けながら働かされていた同世代の子どもたち。遠い国の大変な問題でしかなかったはずなのに、私とあなたという関係性を結んだことで、一気に心の距離が縮まって行きました。私がフォトジャーナリストになるきっかけとなりました。
カンボジアには今も推定で400万個の地雷が残されています。全部除去されるのにあと何年ぐらいかかると思いますか? 地雷の除去技術は少しずつ進歩しているが、それでも1年間で4万個です。単純計算をするとこの国に100年近く地雷が残り続けることになります。
タイとの国境地帯の村に“ココナッツおじさん”と呼ばれるおじいさんがいます。このおじいさんには両足がありません。1本目の足は、内戦中にゲリラ戦から逃れる途中で地雷を踏みました。2本目の足は和平後、農作業中に畑にあった地雷を踏みました。2本目の足が吹き飛んだとき、「もう無理だな、生きていられない」と思ったそうです。生きなきゃ、生きていたいと思ったのは、妻がそばにいてくれたからだと語ります。普段は両足に義足をはめて、木によじ登ってパパイヤの実の収穫をやっています。
カンボジアに通って実感したことは、「戦争は終わった」と決められても、そこから何十年以上も争いと関係のない人たちが被害を受け続けるということです。
中東シリアとイラクにまたがる元ISの支配地域で
それでも少しずつ、カンボジアは内戦の爪痕から立ち上がろうとしています。それとは逆に、平和や復興から遠のいてしまっている場所があります。この写真はシリアの隣国イラク北部にある村ですが、ここをシリアとイラクにまたがってIS(イスラム国)が支配していました。昨年の夏ごろアメリカを中心とした有志連合の空爆が始まったとき、ISの兵士たちは何かで身を隠さないといけないと考え、油田に火を放ちました。それが奪還されたのは2016年8月で、地元の消防士が今も懸命に消火活動に当たっています。
ほとんど廃墟と化した街の、クリニックの前で一人の青年に「どうしたの?」と呼びかけてもほとんど反応を示しません。横にいた兵士が「彼はまだ16歳だ」と。あのISの支配下の生活、その後の戦闘、それに耐えられず心を病んでしまったのです。彼の肩に手をのべようとしたら、それを振り払うようにして、真っ暗なクリニックの建物に逃げ込んでいきました。
学校として使われていた施設に人々が一同に集められていました。男女は別けられていますが、隔離に近いと思います。ISの支配地域に攻め入ってきたイラク軍としては、誰がISの兵士か、誰が過激派に加担したか、誰が逃げることが出来なかった住民か、その区別がつかないので、ふるいにかける作業を行っているのです。出入りの自由がない中で、怪我をしたり、病気を抱える人たちが次々と弱っています。
ここにいる子どもたちが兵士に見えるか?
狙撃手から狙われる子どもたち
2017年、皆さんはどこで新年を迎えましたか? 私の年越しはイラクでした。元日はイラク北部のアルビルという町で過ごしました。私たちが病院に足を踏み入れたと同時に運ばれて来たのが、9歳の女の子です。狙撃手に頭を撃たれたということで、緊急搬送されてきました。よく見ると同じような世代の子どもたちが目立ちました。子どもが痛い痛いと泣いたり、その隣で父母が祈っていたり、そんな声がどんどん響き渡って来ます。「お前カメラマンか? お前、ここにいる子どもたちが兵士に見えるか? 見えないと思ったら写真を撮ってくれ」。一人のお父さんが叫びました。
2011年3月、シリアの主要都市で大規模な反政府デモが起きます。「今の政権の支配はおかしいのではないか」と。それが全国に波及し、今に至る混乱・紛争へとつながって行きました。
シリアの紛争はとても複雑です。まず政府側・反政府側。これも一概に分けられません。政権側にロシアが、反政府側にアメリカが付いています。これが長期化していくことで何が起こったかというと、どちらの力も及ばない空白地帯にISのようなゲリラ組織が入りました。
今シリアの国内の比較的安全と言われている場所、あるいはシリア国外に逃れた人たちの数は1,200万人と言われています。ちなみに内戦前のシリアの人口は約2,200万人でした。半数以上の人は、何かしらの避難生活を送っていることになります。
学生時代に体験したシリアは
一番美しく、一番人が温かい国だった
2009年、学生の頃、シリアのダマスカスに通い続けていた時期がありました。シリアという国は、私がこれまで行った中で一番美しく、一番人が温かい国であったと記憶しています。
私がいつも滞在していたジャラマナという集落で、いつも出迎えてくれていた子どもたち。この頃は、海外にも慣れていなく一人でガイドブックを片手にオロオロと歩いていました。頼んでもいないのに人々が集まり始めました。騙されるのではないかと身構えていると、そこに行きたいのならバスだ、とバス停に連れていかれ、バスに乗せられ、気づいたらバス代まで誰かが払ってくれていました。最初から難民であった人はいません。あのとき出会った子どもたちは今どうしているか? あのとき見て来た風景は今どうなっているだろうか?と思います。
故郷に思いをはせる
ヨルダンに逃れた難民たちの暮らし
南の国境を越えるとヨルダンです。ヨルダンに逃れてきた難民は正式登録されている人だけで70万人と言われています。ヨルダンの元々の人口は約700万人前後。そこに70万近くのシリア人が入りました。およそ10人に1人がシリア人です。日本にいると想像がしづらいかもしれませんが、隣国で紛争が起き1,000万人が日本に逃れてきたのに匹敵します。
ヨルダン北部、シリア国境から15キロの地に一番規模が大きいといわれるザアタリ難民キャンプがあります。「国境なき子どもたち」も活動拠点にしています。6万人を限界の人数として想定された敷地にはすでに8万人近くが住んでいます。周りは砂地で、夕方になって砂がワ~と一面を覆うことがあります。喘息持ちの子どもたちには特に厳しい環境だと思います。
開設直後は、あらゆるインフラが追い付いていませんでした。開設2年目のトイレは女性用だが扉が付いていません。布をかけて女性が使っています。テントやプレハブ内に自分たちでトイレをつくっている人もいるため、汚水が路上に漏れ出してしまうことがありました。
食料は基本的には国連からクーポンをもらって買いに行くのだが、パンなど一部配給制のものもあります。パンを得るために人々は列をつくるのだが、受け取ったパンをそのまま売りに出している親子もいました。難民がヨルダンで労働することは許されていません。いつかシリアに帰ることを考えたら少しでも現金が欲しい、こうして自分たちの食べ物を削ってお金を貯めているのです。
シリアの歌を思いっきり歌う
キャンプでの情操教育で元気を取り戻す
ザアタリ難民キャンプには幾つか学校があり、ヨルダンのカリキュラムで運営されています。ヨルダンとシリアのカリキュラムの違いを見ていくと、音楽・図工などの情操教育が含まれていません。そこで「国境なき子どもたち」が始めたのが、情操教育に向けたプログラムです。私がおじゃましたのは演劇のプログラムでしたが、盛り上がっていました。故郷のシリアの歌を思いっきり歌うこと。それは子どもも大人も故郷に思いをはせる貴重な時間なのです。
難民キャンプは電気の使える時間が限られています。後ろに座っている子どもたちは黒板がよく見えないため、前の方の地べたに座って授業を受けていました。家に帰って宿題や予習をするのも、プレハブやテントの中です。中東は一日中暑いというイメージですが、砂地は昼にグーッと気温が上がって、夜になるとガクーンと下がったりもします。人が暮らしている家では、なかなか勉強に集中出来ません。
勉強ついていけない子どもたちはドロップアウトします。学校を中退してしまう子どもたちに話を聞くと、「ヨルダンにこのまま暮らしても仕事できない。シリアだってまだ帰れない。じゃ何のために勉強するの」。親たちもどう言葉を返していいのかわかりません。ドロップアウトした子どもたちが向かう先は、荷物運びなどキャンプ内での労働力です。
差別を助長しないためにも教育が必要に
ヨルダン人の中には温かい気持ちでシリア人を迎えてくれる人はいるが、中にはシリア人が沢山来たから国が不安定になったと、偏見や差別的言葉を投げかけられることも起きています。大人同士の溝は子どもたちにも伝わっていきます。キャンプの外で暮らしている子どもたちには、午前はヨルダン人の子ども、午後はシリア人の子どもと分けて授業を行うケースもあります。通学路で子どもたち同士が会ったときに「お前たちシリアに帰れよ」ということで、ぶつかり合うこともあります。
隔離されて育っていくことで溝が埋まるどころか深まるというので、教育関係者や「国境なき子どもたち」も中心になって、一緒に補習授業をやっています。一緒に過ごすことで、同じ空間を分かち合って生きていけるとの実感を持った子どもたちが、いつか大人になって一緒に社会を築いていくのです。その鍵を握っているのが教育でないかと考えています。
日本とシリア難民を結ぶ“恩送り”
現在、私は岩手県の陸前高田市というところを拠点の一つに活動を続けています。私がお世話になっている仮設住宅は米崎小学校の校庭にあります。2016年の秋口にこの仮設住宅のお母さんおばあさんが中心となって、「シリアの子どもたちが無事に冬越え出来ますように」といって、子どもや孫が使わなくなった物資を段ボール10箱以上集めてくれました。
お母さんおばあさんは自分が支援を受けて来た経験もあるので、何をどう梱包したら受け取りやすいのか、把握したうえで丁寧に梱包してくれました。第2次大戦の空襲、チリ地震の津波、東日本大震災と3回の試練を経て来たあるおばあちゃんの話。「うちらはそれでも国を追われることはなかったから、きっとあの子たちの方が大変なのよ」。仮設住宅の自治会長さんからは、「自分たちは世界からの支援で立ち上がってこれたので、今度は恩返しでなく、恩送りをしていきたい」という言葉をいただきました。
新しい命の話
私が時々泊めてもらっている家に、マルワちゃんという16歳の女の子がいます。シリアのアレッポという町から逃れてきました。激戦地です。難民が集中している場所では、電気・水・医薬品などあらゆる物が不足しています。この日も大停電に見舞われ、小さな明かりを頼りに、家事をこなしながら夜を過ごします。明け方、太陽が出る前にお家の中が急に騒々しくなりました。
お母さんが私の肩をたたいて「大変、マルワが産気づいた」と言いました。マルワちゃんは16歳ですが、結婚し、臨月を迎えていました。難民生活では、独身の娘さんを独身のままでいさせると、何か危険が及ぶのではないかということで、結婚を早めていく傾向があります。
幸い安産のうちに小さな命がこのマルアちゃんの家族に加わってくれた。サラちゃんという女の子です。サラちゃんが生まれてからマルワちゃんが夢を語ってくれるようになりました。「いつかサラと一緒に自分の故郷へ戻って、友達や親せきや家族と一緒に暮らしていきたい」と……。
安田菜津紀(やすだ・なつき)/写真家・フォトジャーナリスト http://www.yasudanatsuki.com/profile/
1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE 所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとして カンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア 、中東、 アフリカ、日本国内で災害や貧困の取材を進める。東日本大震災以降は陸全高田市を中心に被災地を記録し続けている。2012年、「HI Vと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞を受賞。写真絵本に『それでも、海へ 陸全高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社) 、『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)がある。
★安田菜津紀著書
【新刊】伝える仕事のこと、次の世代に伝えたい、中高生向けのブックレット
『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って』(日本写真企画)2017年2月18日発売!
http://amzn.to/2jo5DZL
【これまでの著書】
・岩手県陸前高田市の漁師さんと孫の姿を追った写真絵本
『それでも、海へ ー陸前高田に生きる-』(ポプラ社)発売中!
http://amzn.to/1PpfF75
・シリア難民の取材をまとめたルポ
『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)発売中!
http://amzn.to/22iU5Zq
担当:清水 匡 / 松浦 ちはる
認定NPO法人国境なき子どもたち(KnK)は、2012年からはシリア難民の子どもたちの支援を始めています。現在は、ヨルダン北部にあるザアタリ難民キャンプにおいて、そのキャンプにある中学校2校で情操教育を支援しているのと、首都アンマンの公立学校7校でシリア人の子どもとヨルダン人の子どもがお互いに理解を深めて成長できるようなプログラムを実施しています。
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