CSRフラッシュ

CSRマガジン誌上フォトギャラリー鉄ちゃんがアジアの鉄路で見たもの

いまも鉄道が大好きな原田佳典(けいすけ)さん。幼い頃の夢は「大きくなったら機関車になる!」だった。16歳で祖父が戦前暮らした台湾を訪れて以来、アジアをはじめ各地を旅し、鉄道と人々を写すようになった。ソニーイメージングギャラリーの開館5周年記念作品展「Next Generation」で8名の若手写真家の作品とともに展示された原田さんの作品を紹介する。[2019年8月12日更新]

日本が製造し、かつての満鉄で活躍した蒸気機関車の末裔が、今も中国の炭鉱で生き残っていた。列車を乗り継ぎやっとの思いで辿り着いた私を、整備士の彼は笑顔で機関庫の中へと招いてくれた。(2017年、中国内モンゴル自治区にて)

日本が製造し、かつての満鉄で活躍した蒸気機関車の末裔が、今も中国の炭鉱で生き残っていた。列車を乗り継ぎやっとの思いで辿り着いた私を、整備士の彼は笑顔で機関庫の中へと招いてくれた。(2017年、中国内モンゴル自治区にて)

Q1ソニーイメージングギャラリーでの作品展は、今年で2回目と聞きました。 公募展はかなりの倍率だそうですね。

原田:誰でも応募できると聞いて、昨年初めて応募をし、幸運にも出展が決まりました。それが2018年3月の『萍逢鉄路(へいほうてつろ) アジア、旅の途中で』です。今年は5周年記念作品展ということで、ソニーイメージングギャラリーからお声がけをもらい、『萍逢鉄路(へいほうてつろ) 眼差しのインド』を出品しました。

単に銀座の一等地というだけではなく、ギャラリーの隣に外国人観光客向けのブースが設けられていることから、さまざまな国からの訪問客も立ち寄る、本当に楽しいギャラリーだと思います。

その手に持つ鎌で刈ったであろう竹を背負い、足場の悪い線路の上をゆっくりと歩く老婆。きっと私が持っていた撮影機材よりもずっと重いのだろう。その背に、彼女がこの地で暮らして来たであろう長い日々を想った。(2016年、中国四川省にて)

その手に持つ鎌で刈ったであろう竹を背負い、足場の悪い線路の上をゆっくりと歩く老婆。きっと私が持っていた撮影機材よりもずっと重いのだろう。その背に、彼女がこの地で暮らして来たであろう長い日々を想った。(2016年、中国四川省にて)

Q2 今年の作品、昨年の作品から数点ずつ選んでもらいました。撮影のご苦労などもお聞かせください。

原田:苦労話を語り出すと話は尽きません。今回のインドの旅では、日の出から線路端で列車を待ち続け、いつまで待っても列車が来ないのでおかしいと思い近くの駅まで歩いてみたら、その駅の手前で土砂災害があり線路が崩落していた、ということがありました。ちょうど私のいた場所だけ運休中だった訳です。

ここまで奇想天外ではなくても、行ってみたら路線が運休中であったとか、終電の時間を勘違いしていたとか、そういった経験は何度かあります。そのつど情報確認不足を反省するのですが、どうしても発展途上国の鉄道情報はネット上には少なく、現地での出たとこ勝負になるのが辛いところです。ただ、偶然から思わぬ鉄道風景や人々との出会いもあり、なかなか足を洗えません(笑い)。

かつて東日本の豪雪地帯を走っていた車両が、今は灼熱のミャンマーで第二の人生を送っている。すっかり現地の生活に溶け込んだディーゼルカーは、パラソルが立ち並び商店街と化した駅のホームをのんびりと通り抜けていった。(2017年、ミャンマー ヤンゴンにて)

かつて東日本の豪雪地帯を走っていた車両が、今は灼熱のミャンマーで第二の人生を送っている。すっかり現地の生活に溶け込んだディーゼルカーは、パラソルが立ち並び商店街と化した駅のホームをのんびりと通り抜けていった。(2017年、ミャンマー ヤンゴンにて)

Q3これまでの鉄道の旅で、印象に残った場所、印象に残った人との出会いがありましたら……。

原田:印象に残った場所、印象に残った人間の数は数えきれません。本当は、出会った人全員の顔写真を写真展に出したいくらいです。

その中で、特に思い出深いのは、やはり飲食をともにした現地の人々でしょうか。キューバでは、田舎の酒場で居合わせた屈強な男性2人とラム酒を酌み交わしました。昨今の宗教対立や民族対立について意見を求められ、お互い拙い英語で議論したものです。南米ボリビアではビール会社の創立記念日の祭りに出くわし、缶ビール片手に街を練り歩き、見ず知らずのご婦人方と下手な社交ダンスも……。

写真展で取り上げたインドでは、たまたま仲良くなった青年のバイクの助手席にまたがり、山一つ越えたところにある彼の家までお邪魔して家族ぐるみのもてなしを受けました。実を言うとそこでの飲み水が体に合わず、その日の夜に体調を崩したのですが……。

体調や身の安全への注意は必要ですが、それでも地元の人と同じテーブルで同じものを食べるという時間が旅の中ではかけがえのない貴重なひとときだと感じます。

くたびれた軌道に椅子を持ち出して一服する男性。かつてこの山間の小さな街を賑わわせた炭鉱は閉山になり、私が撮影に訪れた翌月には鉄道も廃止になると通告されていた。廃れゆく町を眺め、彼は何を思っていたのだろうか。(2015年、中国四川省にて)

くたびれた軌道に椅子を持ち出して一服する男性。かつてこの山間の小さな街を賑わわせた炭鉱は閉山になり、私が撮影に訪れた翌月には鉄道も廃止になると通告されていた。廃れゆく町を眺め、彼は何を思っていたのだろうか。(2015年、中国四川省にて)

Q4海外を旅して、どんなことを感じますか。日本への見方や思いにもなにか変化は見られましたか。

原田:一人旅をしていると、多くの人が好奇の目で近づいてきます。迷い込んだ異国人を見て好奇心を抱き、話しかけてみたいと思うのでしょう。

特にインドでは、休みたいときにも矢継ぎ早に質問を浴びせられ困惑することがありました。元気のあるときはなるべく彼らの好奇心に応えようと思いました。ある若者は「この駅から日本まで行くとしたら、時間とお金はどのくらいかかるんだい」と私に尋ねました。時代の流れに取り残されたような地方都市のさびれた鉄道線路の向こうに、コルカタやデリーといった大都会や、さらに離れた日本を見ているのだと感じ、不思議な感覚にとらわれました。

さまざまなものをテレビやインターネットで疑似体験できる日本では、目の前で実際に起きている物事に対しても無関心である場合が多いのですが、インドの若者たちの多くが知的好奇心を持ち、想像力を働かせて生きている様に新鮮な感動を覚えました。

列車を待つ間に遊ぶ少年と少女。揃いの色の服で着飾った二人の関係は、想像するより他にない。70cm余りの線路の幅が、今の二人の精一杯の距離なのかもしれない。(2019年、インド グジャラート州にて)

列車を待つ間に遊ぶ少年と少女。揃いの色の服で着飾った二人の関係は、想像するより他にない。70cm余りの線路の幅が、今の二人の精一杯の距離なのかもしれない。(2019年、インド グジャラート州にて)

Q5大学では建築を学ばれているそうですね。これからの人生で“鉄道と建築”をどのように結びつけていこうとされますか。抱負も含めてお聞かせください。

原田:研究室では建築史を専門に学んでいます。旅も写真も建築も、人の生き方というものと向き合う根底の部分でつながっているように思います。将来どのような道に進むのかまだ分かりませんが、旅の経験も、建築を学んだ経験も、いつかどこかでつながると面白いなと思います。

照明も窓ガラスもない地方鉄道の車内を、傾き始めた陽光が柔らかく照らしていた。隣の席に座った家族と暫し会話を楽しむ。子供か孫か、歳の離れた二人の笑顔の対比に心を打たれた。(2019年、インド マディヤ・プラデーシュ州にて)

照明も窓ガラスもない地方鉄道の車内を、傾き始めた陽光が柔らかく照らしていた。隣の席に座った家族と暫し会話を楽しむ。子供か孫か、歳の離れた二人の笑顔の対比に心を打たれた。(2019年、インド マディヤ・プラデーシュ州にて)

原田佳典(はらだけいすけ)プロフィール
http://shangyou.html.xdomain.jp/index.html

1997年 静岡県生まれ。早稲田大学建築学科在学。祖父が台湾生まれであった影響もあり、2014年(16歳)で初めて台湾を訪れる。同年よりアジア各国をはじめ世界各地を旅し、鉄道と人の生活を写すようになる。

原田佳典7


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