CSRフラッシュ

相違点よりも類似点

第24回大使館員日本語スピーチコンテスト2021

日本駐在の各国大使館員による日本語スピーチコンテストが開催されました。24回目となる今年は13カ国15人が出場。昨年はコロナ禍とあってオンライン開催となったものの、今年は対面とオンラインのハイブリッド開催が実現しました。受賞者5人のスピーチから外交官の貴重な体験談をお届けします。[2021年11月29日]

入賞者を囲む、当日の参加者と審査委員などの皆さん (写真は主催者提供)

外務大臣賞

私の発見の旅路:メロンパンから「遠慮の塊」へ

アルメニア共和国大使館 サルキス・シルカニャン

私は外交官になるため大阪の関西国際センターで8か月間の研修を受けました。私が知っていた日本は祖国から遠く離れた国で、異なる世界だということだけでした。それはある程度真実でした。日本は訪問者を驚かせる独特な国で、一目で日本を理解することはできませんでした。ただ、この研修で私は多くを学び、日本はアルメニア人の私にとって共通点もあることを発見しました。

私の発見の旅は、研修所近くにあるコンビニでメロンパンを買ったことから始まりました。とても気に入り、どこから来たのかと思いました。調べてみると、このパンは日本の帝国ホテルで働いていたアルメニア人が1920年代の初頭に考案したものでした(会場から驚きの声)。数週間後、私は新幹線で東京に研修旅行に行きました。社内で弁当を食べていると窓から山が見え、私はアルメニアに引き戻されました。その山はアルメニアの代表的な山であるアララト山かと思いました。見えたのは富士山でした(歓声)。2つの山は紛らわしいほどよく似ています。

アルメニアのアララト山

翌日、日本銀行を見学して渋沢栄一を知りました。彼は1920年代の初頭、オスマン帝国の迫害から逃れてきたアルメニア人を助けるため救済基金を設け、アルメニア人難民の救済に尽力しました。私にとって大きな発見でした。

その後、私は大使館に赴任して玄関で見たのは、史上初の女性外交官であるダイアナ・アプカーの写真でした。彼女は横浜に住んでいたアルメニア人で100年前にアルメニア初の駐日外交代表になりました。また、戦後初の駐日ソ連大使や初の駐日イラン大使もアルメニア人だと聞きました。

その後、大阪時代の先生や友人たちに食事に誘われ、刺身を食べました。最後のひと切れが残ったのですが、だれも食べようとしません。日本にはこういうときに使う「遠慮の塊」という言葉があるそうですが、実はアルメニアにも「アモチチカ」という言葉があります。皆さんそれを披露すると、日本からきた言葉ではないかというのです。私の発見の旅は、このように日本に対する大きな驚きであふれています。私たちが住む世界には相違点よりも類似点や共通点が多いと思います。


文部科学大臣賞

東京2020の思い出

オーストラリア大使館 トム・ウィルソン

スポーツ好きの私は、4年に一度のオリンピック・パラリンピックが大きな楽しみです。シドニー五輪のときは大学生でした。自分の目で競技を見ることができました。東京への赴任が決まったとき、とてもうれしく思いました。ただ、コロナ禍の影響で東京2020の開催は不安でしたが、テレビで開会式を見て本当に感動しました。いま振り返るとオリンピック・パラリンピックの思い出がたくさんあります。

その1つはオーストラリアのソフトボールチームです。オーストラリアではマイナーなスポーツで、これまで一度も試合を見たことはありませんでした。ところがそのソフトボールチームが、東京2020に参加する海外チームの来日一番乗りを果たし、群馬県太田市で合宿をしました。外国選手団の受け入れに不安はあったと思いますが、太田市は素晴らしいおもてなしをしてくれました。オーストラリアの国歌を歌って歓迎してくれる模様はニュースにもなりました。

開会式の2日前、オリンピックの最初の競技として「日本対オーストラリア」の試合が福島で開催されました。私は大使とともに応援に行くことができました。復興五輪を感じさせる場面でした。試合では日本が勝利しました。帰り道、自動販売機で福島産の桃を買って食べたのですが、とてもおいしかったです(笑い)。

ソフトボールの決勝戦では日本がアメリカを破り、金メダルを取りました。ルールさえ知らなかったソフトボールの競技で日本選手の活躍を見て、私は感動しました。オーストラリアのソフトボールチームも金メダルが目標でしたが6位に終わりました。試合後、オーストラリアの選手からは、「スポーツの最大の舞台で大好きなソフトボールができて幸せでした。日本のみなさまに感謝しています」と述べています。
私もコロナ禍の不安を乗り越えてオリンピック・パラリンピックを開催した日本に感謝しています。

オーストラリアのソフトボールチーム(太田市にて)

文化庁長官賞

パラアスリートの気づきから、私たちの日常まで

カナダ大使館 リサ・マリン

私は物心がついたころからオリンピックのアスリートを応援することが大好きでした。日常生活で体験できない、感動、驚き、学びがあるからです。1988年のカルガリー冬季五輪からから東京2020まで、ずっとチームカナダを応援してきました。コロナ禍で世界中が困難に遭う中で、“多様性と調和”をテーマに開催された東京大会は、2人の女の子の母親として迎えた初めてのオリンピックでした。

外交官として日本でこの機会を与えられた私が、2人の娘たちに何が伝えられるか、何を体験させられるか、貴重なきっかけに思えました。最初に気づかせてくれたのは、女性アスリートの活躍とその重要性でした。子どものときに身体を鍛えることは、体力だけでなく、学力の向上、メンタルヘルスの改善にも大切ですが、体力には男女差があります。コロナ禍で女の子の4人に1人はスポーツを続けることが困難になったという調査もありました。

東京五輪に参加した18,000人のアスリートのうち49%は女性でした。史上、もっともジェンダーバランスの取れた大会となりました。パラリンピックにおいても参加者の40.5%が女性でした。リオ大会よりも100人ほど増えていると聞いています。

英語に「見えないものにはなれない」という諺があります。東京大会の女性アスリートの活躍を見ると、「私にもできる、やってみたい」と思った女の子は多いはずです。娘たちもスポーツに興味を持ち始めました。

2つめの気づきは、障がいのある人の問題解決力の重要性です。私は東京2020のために来日したカナダの元パラリンピック選手カーラ・クワルトローさんの話を聞く機会がありました。彼女はパラリンピックの水泳競技で3つのメダルを取っていますが、現在は弁護士として人権問題に取り組んでいます。障がいを持つ人が参加できる社会の実現に向けて、何が必要なのか聞いたところ、「障がいを持つ人のために世の中はできていない。でも、日々生きていくため、障がい者には課題を解決する力を持っている。問題解決のスーパーパワーを持っている」というものでした。

障がいを持つ人を雇用すれば、社会の問題解決につながるはずです。コロナ禍で世界が複雑化する中、そのようなスーパーパワーを持った人材が求められています。世界には何らかの障がいを持つ16億人もの人々が生きています。パラリンピックのときだけでなく、日常の生活で彼らの活躍の場を広げていけるよう期待しています。


審査委員特別賞-1

オリンピックからの響き

オランダ王国大使館 テオ・ぺータス

アントン・ヘーシンクという名前を聞いたことがありますか。昭和天皇は彼のことをよくご存じでした。ヘーシンクはオランダの柔道家です。1964年の東京オリンピック柔道無差別級で金メダルを獲得しました。柔道がオリンピックの正式種目として認められるきっかけになったとされています。

当時のオランダの新聞に面白い話が載っていました。オリンピックの前にオランダ大使が昭和天皇にお会いしました。天皇は、「アントン・ヘーシンク選手があなたの国に金メダルをもたらすことを願っています」と語りました。大使は、「陛下、お言葉ですが、日本の皆さんは日本選手が王者になる方を喜ぶのではないでしょうか」と話しました。「いいえ、アントン・ヘーシンク選手を私は応援しています」と答えました。この温かい言葉を大使から聞いたヘーシンク選手は「天皇陛下のご期待に応えられるよう頑張ります」と語りました。

オリンピックイヤーの今年は、オランダ大使館でオリンピック・パラリンピック競技大会の記念展示を行いました。ヘーシンク選手が神永昭夫選手との決勝戦で着た柔道着なども展示しました。講道館館長や日刊スポーツ新聞の元記者宮沢さんを招待しました。

駐日オランダ王国大使館の東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会記念展示から

宮沢さんは、神永選手が強いプレッシャーを感じていたと話してくれました。決勝戦でヘーシンク選手が押さえ込みで勝つと、沈黙が流れました。宮沢さんもショックですぐ記事が書けなかったそうです。翌朝、日刊スポーツから連絡が入り、ヘーシンク選手の試合後の行動についても書くように指示があり、ようやく記事をつくりました。実は試合の後、ヘーシンク選手の応援者たちが喜びのあまり試合会場の畳の上にあがろうとしましたが、ヘーシンク選手はそれを制止したのです。柔道と審判への敬意を忘れなかったのです。宮沢さんの記事でヘーシンク選手の柔道への理解が日本の人々にも伝わりました。ヘーシンク選手は柔道を通じて日本の人々との関係を大切にし、両国の友好をより確かなものにしました。外交官にも到底マネのできないことでした。

東京オリンピックのあと、私の両親は3歳の私を柔道の道場に通わせました(歓声)。道場には柔道の技を日本語ローマ字で解説したポスターがありましたが、私にはその意味が理解できません。ただし、私が日本語に興味を示すタネをまいてくれ、日本への留学につながりました。ヘーシンクの金メダルは、私の人生にも思いがけない影響を与えました。


審査委員特別賞-2

『秘境も資源?』

米国大使館 ストレイダー・ペイトン

日本の友だちから、「日本は島国で資源がないという話をよく聞きます」。確かに石油などの鉱物資源は少ないかもしれませんが、経済的な価値をもたらす持続可能な資源が豊富だと思います。最大の資源は、日本の秘境にある豊かな自然です。私は数多くのエコツーリズムの体験を通じて、日本の秘境に魅了された一人です。

御蔵島という名前を聞いたことがあるでしょうか。黒潮が流れるこの島は、海洋生物にとって理想的な環境が広がっています。先日、妻を誘ってこの島に行ってきました。美しい景色、親切な人々、のんびりした雰囲気に出会ったのですが、海の中はさらに素晴らしく、海洋生物の極楽に入り込んだ気持ちになりました。

もっとも大きな資源はミナミハンドウイルカの群れです。野生のイルカと遊べるツアーがあると知ってから1年後、かわいくて賢い海の大使に会う夢をようやく実現しました。3日連続でいくつかのイルカの群れと知り合い、イルカと一緒に遊んだことで2人とも大いに満足を得ることができました。

御蔵島ではドルフィンスイムツアーで楽しい経験をさせていただきましたが、それに加えてイルカの分類や彼らが住む環境や行動についても知識を高めることができました。行楽+自然の教育がエコツーリズムだと思います。

御蔵島の経験は、環境資源が経済的資源になりうることを示しています。もし、伊豆諸島の漁業者が魚の乱獲を行ってしまうと、イルカの餌がなくなって観光の大切な資源を失ってしまうかもしれません。

日本のエコツーリズムの資源は海洋生物だけではありません。自然林、滝、山、温泉もあります。これらは次の世代のために大切に守らなければなりません。私は日本に勤務する間、日本の秘境を探検しながら、日本のエコツーリズムに参加し続けるつもりです。また、外交官として環境を守ることに全力を尽くします。地球は1つだけです。環境保護に関わることは、国籍を問わず、世界の人々全員が果たすべき行動です。

※受賞者のスピーチは当編集部で要約しています。編集責任は当編集部にあります。


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