CSRフラッシュ

負けるな、くじけるな!

能登半島の大規模震災の現地から

2024年の幕開け早々に発災した能登半島地震。最大震度7を観測した奥能登地方ではその後も余震が続き、10日を経たいまも電気、水などのライフラインが多くの地域で途絶えたままとなっている。本誌では第一弾として七尾湾の入り江に面した小さな村落・穴水町甲地区の状況と、いち早く現地への支援を始めた日本財団の取り組みを報告したい。(2024年1月12日公開)

奥能登の玄関口・穴水町の甲地区で

地域のきずなの大切さを再確認


大きな震災に立ち向かう小さな村落の避難所から

正月を迎えた晴れやかな空気が一瞬で飛び散りました。2024年の元旦に能登地方を襲った大規模地震のエネルギーは、阪神淡路大震災や熊本地震を上回るとされています。震源地となった珠洲市をはじめ近隣の市町村では家屋の倒壊が相次ぎ、すでに死者数は213人(1月11日現在)を超えています。

今回の地震では、道路網、鉄道網の寸断に加えて、のと里山空港も滑走路が使えず、ボランティアの受け入れもままならず、支援物資の配送も困難を極めています。

震災で寸断した道路。穴水町から輪島市に抜ける道路で

電話などの通信網も途絶えがちな中で、かろうじて電気が回復した穴水町甲地区から同地区の元公民館館長毛利隆夫さん(75)に現地の話をうかがいました。

穴水町のロケーション。同町のホームページから

Q 年明け早々の地震でさぞ驚かれたのでは……。

A 31日から長男と次男の2家族も揃い、久しぶりの賑わいでした。1月1日の当日は遅いブランチを取り、15時半くらいに子どもたちの家族が高齢者施設に入っているおじいちゃんに顔を見せるといって帰ったところでした。16時過ぎに突然大きな揺れに襲われ、屋根瓦が落ちる音がしました。

直後にさらに大きな揺れが来て、外に飛び出すと、近隣5軒のうち2軒は屋根の棟が落ちていました。どの家も室内が散乱して悲惨な状況でした。奥能登ではこの数年小さな地震が続いていましたが、これまでの地震と違うと判断し、みんなで相談して高台にある旧兜小学校に避難しました。

地域の住民が避難した旧兜小学校の講堂で

Q 甲地区には津波もあったと聞きましたが。

A 甲地区は日本海側でありながら七尾湾に面しており、その昔は半農半漁をなりわいとしてきた地域です。いつもは湖面のような穏やかな風景が広がっているのですが、能登半島地震では津浪も押し寄せ、田んぼが塩水をかぶったほか、海辺の護岸が破壊されました。地区で1軒だけの商店も津波で被害を受けました。

Q 避難所での生活はどのようなものですか。

A 正月とあって最初は帰省した家族も含めて310名くらいが体育館や教室で共同生活をしました。その後は200人規模となっています。甲地区には旧校舎を活用した「かあさんの学校食堂」というグループがあり、2013年から住民の希望者や釣り客などに食事や弁当を提供してきました。その仲間が1日の夜から大活躍しました。お米や野菜はみんなが持ち寄ってくれました。この地域は電気が比較的早く回復したのも幸いしました。

Q 困ったことは……。

A 他の避難所では水やトイレに困っていると聞いていますが、この地区では消防団のみなさんが中心となって湧き水を調達し、タンクに貯めてくれました。9日になって自衛隊が来てくれ、歳末の12月31日以来ほぼ10日ぶりでお風呂に入ることもできました。

Q 支援物資はいつ頃から届くようになりましたか。

A 4日か5日には支援物資も届くようになりました。ずっと余震が続いていただけにありがたいと思いました。

Q平穏を取り戻すには、長い道筋が必要となりますね。

A高齢者が多い地域だけに、住まいの再建が大きな課題です。皆さんの話を聞くと、「住み慣れた地域だから小さな家でも建てられたら残りたい」という声と、「子どもなどを頼ってこの地を出ていくかも」という2つの声があります。まだまだ先は見通せませんが、もう少し落ち着いてから決断することになるでしょう。ただ、甲地区はこの震災で地域の人々のつながりの強さを再確認できました。


海上輸送で灯油、軽油、発電機、シャワーを輪島港に


日本財団の被災地支援始まる

「令和6年能登半島地震」への支援をいち早く決めた日本財団(東京都港区、会長 笹川陽平)は、被災地自治体の要請を受け、支援物資の第一弾として1月10日の午後3時半ごろ、海上輸送で輪島港に灯油2,000L、軽油1,000L、発電機2台を届けました。

支援物資は金沢港で5台のトラックに積み込まれ、海路で輪島港に (写真提供は日本財団より)

発電機と燃料は、輪島市三井町の特別養護老人ホーム「あての木園」など現地の避難所5カ所に届けられました。

「あての木園」に設置された発電機。使用方法が職員に説明されました(写真提供は日本財団より)

                                   

能登半島では、地震による地盤の隆起や土砂崩れで主要な道路が寸断されているため、今回はトラックの乗り込みが可能な和幸船舶株式会社のRORO船※2を使用し、5台のトラックによって支援物資が支援先に速やかに届けられました。

現地の要請に基づき、①10日に輸送された灯油は、約200個のポリタンクに分けられて積み込まれたほか、②14日には現地から特に要請の強いポータブル水再生のシャワーシステム30台、手洗い場200台(WOTA社)とともに、組み立て作業員が立ち合うようになっています。

ポリタンクに小分けされて積まれた灯油(写真提供は日本財団より)

                                     

道路の寸断が回復するまでの当面の輸送手段として、この海上輸送を20日まで継続する予定です。

なお、日本財団では、1月2日より日本財団担当者および連携協定を締結(*)する災害NPOなど10を超える団体が先遣隊として輪島市、珠洲市、能登町、穴水町、七尾市の被災地に入り、生活再建に向けた支援と必要な支援の調査を開始しています。

※1 RORO船とは、船から直接トラックを積み込む荷役方式で輸送する船舶。和幸船舶株式会社は日頃から海洋ごみ対策で日本財団と連携しています。

※2 日本財団は災害時における迅速な支援活動のために、平時より災害対応における技術(コーディネート、重機、避難所支援など)を持つ信頼のある団体と連携協定を締結し、活動資金を支援しています。

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