この町で健やかに暮らし、安心して逝くために在宅療養を考えるこの町シンポジウム [前半]

ヘルパーの認定で要介護1に

小川 まだ癌が見つかる前の段階でした。認定調査にうかがって、膝と胃腸の調子がよくないということでした。生活全体が困難なのでできれば介護保険の認定を受けたいということでした。暫定期間を設けましたが、自費になってもサービスは受けたいということでした。結果は要介護の1が出ました。それから1年経過したくらいに食道癌の診断が出ました。医師の判断は手術でしたが、口から食べられなくなるのなら手術はしたくないという決意でした。

秋山 最初は膝が悪くて階段を上り下りできない、買い物で困ることがあり、一人暮らしでもあるので介護申請するということでした。認定調査に入った結果が要介護の1と出ました。ヘルパーさんに週2回来てもらうということでした。小川さんはケアマネジャーとして関わって、ヘルパーの家事援助を導入したわけですね。そうこうしているうちに總子さんは食道癌と診断され、放射線治療などを受ける過程で、平成16年4月頃、非常に困った状況になってケアマネジャーに相談があったわけです。小川さんは相談を受けたときにどのような思いでしたか。

小川 癌の患者さんは初めてでした。どうして対処すればよいのか分からない状態でした。總子さんから相談を受けてもきちんと答えられなかったのです。頭に浮かんだのが秋山さんでした。このような話は秋山さんに聞いたことがあるなあという認識でした。秋山さんに相談したら、「私の方で相談に乗りましょう」ということで、ほっとしたのを覚えています。總子さんに訪問看護の方に相談した方がよいと話しました。秋山さんからは「介護保険でできる範囲」を考えましょういわれました。

大学病院に見捨てられたという思い

秋山 フィクサーのように私一人が暗躍していたわけではありません。最初の大学病院に療養支援室があります。医療連携の窓口です。そこに總子さんの診察券のID番号をもって相談に行きました。大学病院の方針などもう少し情報が知りたかったからです。大学病院からは緩和ケアということで情報を出しているので、そちらと関わって欲しいということでした。松浦さん、最初に總子さんを訪ねたとき、總子さんはひたすら怒っていましたね。

松浦 總子さんとしては、自分の療養方針を伝えたうえで、大学病院とつながっていたかったのではと思います。最後の決定は自分が下せると思っていたのです。それが覆されて自分は見捨てられたという意識だったのではないでしょうか。最初の訪問時から数回は、毎回怒っていました。それと同時に自分をコントロールできず、具合が悪くなるという不安ももっていました。痛みとか、眠れないという症状も訴えていました。

秋山 「訪問看護指示書」というものをどこかのお医者さんからもらわないと訪問看護は開始できません。大学病院からは指示書は出ないということで、ご本人が抱える症状をきちんと取っていくため、緩和ケア外来をもつ東京厚生年金病院緩和ケア科医長の川畑先生に相談しました。川畑先生、初回の面接を覚えていますか。

川畑 細かいことは思い出せませんが、病状はよく分かっており、方針もしっかりもっていました。病院から離れた状況であるということも分かりました。物事をはっきり申し上げる方でした。入院するときは「入院者のプロフィール」というのを書くのですが、その欄に「気が強いけども心配性」と書いてありました。

緩和ケア外来との出会い

秋山 私たちは平成16年6月8日に總子さんにお目にかかったのですが、訪問看護の開始というよりも情報収集でした。ご本人は痛み止めを使うと身体が弱ると思い込んでの不安もありました。だけど症状がいろいろ出ているということで専門医である川畑先生の診断は有効でした。本日の参加者の皆さんの中には、緩和ケアの外来をひんぱんに使ってよいのかという心配もあると思われますが、川畑先生いかがですか。

川畑 緩和ケア外来というのは基本的には予約制です。初診の場合、1時間とか、30分とかの時間を掛けて病気の経過とか、ご本人の気持ちとかをうかがいます。私のところは入院するかどうかを決める初診外来が主ですが、退院して自宅にいる方に薬を出すということもあります。吉野總子さんのように入院前から外来に来るというケースは極めてまれです。私の記憶では、同じ地域の方であることと、独居であること、大学病院に通院を継続することができなくなっているなどの理由から、通常は入院を前提としない外来はないのですが、病棟のスタッフと相談して調整をしました。平均で2週間に1回の通院でしたが、1週間だったり3週間だったりのときもありました。入院のタイミングも把握しやすく、本人の様子はよく分かりました。

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