識者に聞く

この町で健やかに暮らし、安心して逝くために在宅療養を考えるこの町シンポジウム [後半]

6年前、一人の女性が末期の食道癌でこの世を去った。 吉野總子(ふさこ)さん83歳。昭和12年に地方から東京・新宿に出て商売を始めた彼女にとって、新宿は住み慣れた町であると同時に、何ものにも代えがたい友人たちの住む町でもあった。人生の最期を住み慣れた町、住み慣れたわが家で迎えたいと願う高齢者は多い。 「健やかに暮らし、安心して逝くために」なにが求められているのか。吉野總子さんの在宅療養に関わった皆さんによる「この町シンポジウム」の後半です。

緩和ケア病棟でポートを創設

川畑 それまでは痛み止めにオキシコンチンを使っていました。痛みは背中のところにありました。大事な薬ですので、途中でやめるわけにはいきません。入院を機会に負担を和らげるために、内服薬から貼り薬に代えました。あとは食事が摂れず、点滴で薬を投与する可能性があったので、IVHポートという皮膚の下に針を刺し込める基地のようなものを埋め込みました。毎回血管を捜して針を入れる必要がなくなり、薬の投与も安定的にできるという利点があります。吉野總子さんに話をして皮膚を切開するミニ手術を納得してもらいました。

秋山 緩和ケア病棟でポート造設が可能であるというのはあまり知られていないのではありませんか。

川畑 〔うなづく〕

秋山 病院によってはあまり余計なことをしたくないというのが本音だと思います。やればやるほど医療経費の持ち出しになりかねません。ただ、必要であればそういうこともしてくださるということですね。安心の材料だと思います。2回目の入院のあと、在宅の訪問診療が入ります。それまではできるだけ外来に行きたいということで訪問診療は入っていませんでした。しかし、通院するのが大変になるので、ひまわり診療所の先生が対応してくれました。川畑先生と綿密な情報交換をされました。訪問診療が入ったほか、ホームヘルパーが2カ所の事業所からになり、白十字ヘルパーステーションが入浴介助と食事を工夫することになります。ホームヘルパーとの連携はいかがだったでしょうか。

食べやすい、喉とおりのよいものを

松浦 後期のことですが、總子さんが吐き戻しをし、たまたまいたヘルパーさんから連絡をもらいました。日中で私も他の訪問に行っていましたので、到着までに30分くらい掛かったと思います。ヘルパーさんからはこれでは困りますということでした。まわりの方の不安に考慮しなければと強く感じました。新しく加わったヘルパーさんは食べやすい、喉とおりのよいものを工夫してつくる料理の上手な人だったので、總子さんはとても喜んでいました。

秋山 食道癌ですから喉のとおりが悪くなっているときに、かぼちゃのポタージュスープでしたよね。風味のよい、非常に滑らかなものをつくってくれました。それを召し上がったわけです。ヘルパー事務所は3社入っていたのでしょうか。その交通整理をケアマネジャーの小川さんに対応してもらいました。

小川 白十字のヘルパーさんに入っていただく前段で、各ヘルパー事務所から喉のとおりが悪くなって食欲も落ちてきたという話がありましたので、渡りに船でした。

秋山 うちのヘルパーステーションだけができるとかできないとかではなくて、一人暮らしの癌末期の方がいらっしゃるので不安を解消してほしいということでした。私たちに課せられた課題だと思います。もう1つは夜間の見守りが不安というものでした。

吉野 母親と友人のつきあいの延長でカギを渡してもよいか、向かいの人にカギを預けるかどうかという話がありました。

松浦 カーテンが開いているかどうかで安否の確認をお願いしていましたが、その方にカギを渡してもよいかということでした。橋渡しだけ私がしたように記憶しています。

秋山 吉野總子さんは3階に住んでいました。カギを開けに下に降りないといけないわけです。向かいの方にカギを預けることで、そこに借りにいけるわけです。とても入りやすい状況になりました。もう1つの大事なことは、訪問の薬剤師さんが関わるようになりました。それまでは処方が新しく出ても薬が届くまでに時間が掛かりました。私たち訪問看護師以外にも訪問者がいるということで、有効な働きでした。そうして過ごしているところで、4月24日、嘔吐や下痢を繰り返し、これ以上我慢したくないという自分の意思で再度入院します。ここから亡くなられる5月9日までの間に、少し強い痛み止めを使うかどうかというところで川畑先生から祐二さんに電話が入ったと思います。川畑先生、そのあたりはどのように説明されたのでしょうか。

川畑 3回目の最後の入院のときは、自宅でぎりぎりまで過ごされ、痛みも強くなっていますし、衰弱もひどくなっていました。入院してからは痛み止めの貼り薬から注射に切り替えて、モルヒネを持続皮下注射という形で使いました。それでも總子さんのつらさが取りきれないということで、祐二さんの方に連絡して、3人で相談して、鎮静の新しい薬を使うことにしました。

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