識者に聞く
この町で健やかに暮らし、安心して逝くために在宅療養を考えるこの町シンポジウム [後半]
6年前、一人の女性が末期の食道癌でこの世を去った。 吉野總子(ふさこ)さん83歳。昭和12年に地方から東京・新宿に出て商売を始めた彼女にとって、新宿は住み慣れた町であると同時に、何ものにも代えがたい友人たちの住む町でもあった。人生の最期を住み慣れた町、住み慣れたわが家で迎えたいと願う高齢者は多い。 「健やかに暮らし、安心して逝くために」なにが求められているのか。吉野總子さんの在宅療養に関わった皆さんによる「この町シンポジウム」の後半です。ご近所の友人に感謝の言葉を
秋山 その薬を使うと眠りが深くなり、話ができなくなるということで、どなたか会っておきたい人はいないかと問われ、ご近所の方を一番にあげられました。最後にきちんと感謝の言葉を述べたいということでした。その方を病院にお呼びしました。親族の方ではなくご近所の方だったというのは、祐二さんとしてはどのように受け止められたのでしょうか。
吉野 6年前なので、記憶があいまいな部分もありますが、ここで注射をしたらもって3~5日。深い眠りで覚醒しないかもしれないということでした。会いたい人がいるのなら、会っていただければという思いでした。実は私は3人兄弟ですが、母はずっと一人で生活をしていました。
秋山 私たちもそのご近所の方とはよく会っていました。松浦さんは特にひんぱんに会っていました。家族以上のことをなさっていたなあという印象です。一番会いたい人に会われたのはよかったと思っています。私たちも感動しました。
訪問看護師に「幸せにおなりね」
松浦 總子さんには私も最期に会いました。体調はつらい状況だったので、長い話はしなかったのですが、1つはもう十分だし全く悔いはないということでした。私が感謝を述べると「あなたはこれからの人、しっかり励むように」と逆に励まされました。總子さんと話した最期の言葉です。
秋山 ばらしますと、吉野總子さんは私のことはボスと呼んでいました。素晴らしいスープをつくってくれるヘルパーの江沢さんは「お姉さん」でした。松浦さんは少し軽く見られていたのか、親しみを込めてなのか「お姉ちゃん」と呼ばれていました。今から薬が入るというときに、總子さんがベッドの中から手を差し出して、松浦さんのほっぺを両手で包むようにして「あんたは幸せにおなりね」と声を掛けてくれました。看護師冥利に尽きる言葉だったと松浦さんから報告を受けました。
川畑 お付き合いの期間が長かったですね。通常は平均の入院数は3週間ですが、吉野總子さんは入退院を繰り返して、自宅でもいい時間を過ごしていました。何事もはっきり仰る方で、話がしやすかったことはあります。忘れられない患者さんの一人でした。
吉野 4月24日、再び入院するというので3階から1階まで母親をおんぶしましたが、母親が太っていたこともあり、おっことしそうになりました。そのとき松浦さんが下からぎゅっと支えてくれました。やはりプロは違うと思いました。
ケアマネジャー小川さんと奥様のこと
秋山 小川さんはケアマネジャーとしての仕事を重ねていたときに、ご自分の奥様が肺癌で脳に転移されていました。それでさまざまな症状が出る中で、最後は自宅で看取られましたね。家での看取りを選ばれたことについてお話いただけませんか。
小川 その節も白十字さんにはお世話になりました。仕事だけでなく自分の家のことでもお世話になったと感謝しています。總子さんとの出会いで自分も勉強をさせていただき、大体の流れは分かっていたのですが、總子さんの病院に対しての「こんなところ、長くいるところじゃないわね」という言葉がものすごく大きかったのです。実は私の妻も品川でケアマネジャーをしていました。自分でもよく分かっていたわけです。別の大学病院に入院していましたが、何を希望するかを聞くと「子供たちにおいしいものを食べさせてやりたい」ということでした。それなら在宅だなあと思い、私自身覚悟を決め、子供たちも最後まで母親と一緒に過ごすことを選びました。
秋山 会場の中に小川伊都子さんの看護に関わった服部さんが来ています。
服部 白十字訪問看護ステーションの服部です。小川さんは家族に囲まれていました。お子さんがシフトを組んで、今日は誰の担当なのか決まっていたのですが、ゆっくりした時間が流れていました。脳への転移もありましたので、ときどき記憶がなくなることもありましたが、ふっとしたときに母親の顔に戻ったり、妻の顔に戻ったりで、娘や息子や夫のことを気遣う言葉を述べられていました。最期は、一番末っ子のお子さんが家に到着したときにすっと息を引き取りました。お母さんだったのだなあと思いました。
秋山 皆さんに慕われ、若くして亡くなられた伊都子さんのことも偲びたいと思います。
愛する町で暮らし、逝くという幸せ
吉野 本日は私の母親の病気の経過を振り返っていただいたわけですが、このシンポジウムのタイトル「健やかに暮らし、安心して逝くために」にもあるように、今思えば、私の母親は本当に「この町で暮らした」ことに喜びを感じていました。そして、ご近所の方をはじめたくさんの皆さんに支えられて逝きました。改めて、皆さんに感謝を申し上げたいと思います。
秋山 吉野總子さんは病気に立ち向かいました。常に自分の主張をはっきり伝えました。息子の祐二さんが壇上の「健やかに暮らし、安らかに逝くために」の看板を指差し、「この町で暮らした」ことの意味を確認してくれました。私たちは東京の新宿という医療機関が立ち並ぶ地域で生活していますが、医療の連携がしっかり行われないと困るのは患者であり、家族です。患者不在になりがちな現状を反省しながら、これからも「この町シンポジウム」を続けていこうと思います。(2011年6月)
本件に関するお問い合わせ
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「この町シンポジウム」企画運営:NPO法人「白十字在宅ボランティアの会」
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