識者に聞く

この町で健やかに暮らし、安心して逝くために在宅療養を考えるこの町シンポジウム [後半]

6年前、一人の女性が末期の食道癌でこの世を去った。 吉野總子(ふさこ)さん83歳。昭和12年に地方から東京・新宿に出て商売を始めた彼女にとって、新宿は住み慣れた町であると同時に、何ものにも代えがたい友人たちの住む町でもあった。人生の最期を住み慣れた町、住み慣れたわが家で迎えたいと願う高齢者は多い。 「健やかに暮らし、安心して逝くために」なにが求められているのか。吉野總子さんの在宅療養に関わった皆さんによる「この町シンポジウム」の後半です。

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◎在宅療養を考えるこの町シンポジウム [前半]
http://csr-magazine.com/2011/05/29/analysts-zaitaku-part1/

「この町シンポジウム」参加者

[写真左から]吉野祐二さん、木下朋雄さん、川畑正博さん、小川和孝さん、松浦志野さん、

コーディネータ:
秋山正子((株)ケアーズ 白十字訪問看護ステーション統括所長)  [写真一番右]  

病院には長居したくない

秋山入院してほっとされたのも束の間、總子さんは9日間でさっさと帰ってきます。祐二さんとしてはいかがでしたか。

 吉野 病院にいて安心な部分はありますが、不便な部分も出てきます。ちゃんとしたケアが受けられるメリットと、自分の時間がもてないという不自由さを天秤に計っているわけです。家にいると家の前に住んでいるおばさんとの交流もありますし、松浦さんに来てもらって安心というのもあります。一方で川畑先生のところも頼りにしているわけで、彼女は自分の意思でうまく使い分けたと思っています。

秋山 川畑先生、初回の入院で9日間というのは長いのですか、短いのですか。

川畑 入院の目的によりますが、やや短いかなあと思います。吉野さんの場合は、外来のときも薬の調整が難しかったのですが、入院してからも同じ薬であってもその日によって「効かないわね」ということがありました。退院も大丈夫ということにはならなかったのですが、消化器の先生などともお話しをされて、ステロイドを入れない方針が確認されたので退院することになりました。

秋山 ホスピス(終末期ケアの施設)は一度入ったら出られない最期の死に場所ではなく、症状を緩和して9日で出られる施設であるというところがとても大事なところです。それから次の入院までの4カ月は比較的穏やかな日々を過ごされたと思うのですが。

友達と話をしたり、外出をしたり

松浦 退院直後は2~3日おきに行くという状況でした。總子さんはすっかり元気になっていて、「今は大丈夫、困ったら電話をするから」ということでした。「1週間に1回でいいわよ」とまでいわれました。友達と話をしたり、外出をしたり、凄く安定した時期でした。

秋山 そのとき、ケアマネジャーとしての働きはいかがでしたか。ホームヘルパーさんが入っていましたが、これは生活支援でしたよね。

小川 總子さんの生活がより安定するようにということで人数は少し増えたかもしれませんね。入院したときに一度病院を訪問しました。「小川さん、なにもないでしょう。こんなところに長く居られないわよ」という話でした。生活感覚が人一倍強い方でしたから、病院生活が嫌だったのでしょうね。退院されたときに、それに応えなければという思いが強くありました。

秋山 そうこうしているうちにまた症状が出て入院をします。そのとき、ステロイドが開始されました。痛み止めの中身について川畑先生から説明していただけますか。

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