シリーズ「突破力──女性と社会」③

人生の“やり直し”を後押し更生保護活動に捧げた34年を振り返って

東京更生保護女性連盟副会長 新宿区更生保護女性会会長 保護司 坂本悠紀子さんに聞く

Qこれまでの活動を通して、いまも心に残る方がいましたらお聞かせ願えませんか。

坂本 私が保護司として始めて担当した人がいます。ヤクザの世界でチンピラのような役回りをしていました。ある日、ケンカで相手から奪ったナイフで相手を刺し殺したのです。前科があったために刑は重くなり、21歳で刑務所に入り、28歳で出てきました。3年の保護観察ということでした。 

身元引受人にはお姉さんがなり、私が保護司を担当しました。沖縄出身の方で11人兄弟の10番目ということで、家族の目が届かなかったのでしょう。友達に誘われてチンピラになったようです。

お姉さんがたまたま東京にいて、東京で更生させようということでした。朝4時に起きて、いまでいうコンビニの牛乳配送のような仕事を始めましたが、丁度オイルショックの時期とも重なり、生活は大変でした。最初に買ったのが白サテンのスーツで、彼にとっては予想外の大きな出費だったようです。

刑務所に7年も入っていると世の中の価値観をつかむのも大変ですし、オイルショックも加わり、物価が急激に上昇した時代でした。

その彼がやがて恋愛をし、結婚したいということで相談に来ました。すでに保護観察も終わっていました。「彼女のお父さんに会って、しっかり話をしなさい」とアドバイスをしました。彼は朝の何時から何時間働いて、休みはこうで、収入はこれだけある、という話を先方のお父さんに話したそうです。相手のお父さんも立派な方で、「結婚は二人の自由だ。ただ、これからは一切過去の話はしないでくれ」とおっしゃったそうです。

私のところには毎年お正月にあいさつに来ました。家族には、幼稚園の先生のところにあいさつに行ってくると話しているそうです。

Q 坂本さんのホームページに薬物撲滅の活動が載っています。薬物の問題も深刻なのでしょうか。

坂本 これは特殊な例なのであまりお話したくないのですが、家庭が複雑で家出をし、ヘルス嬢になった方がいました。凄くきれいな方で、芸能人などを相手にお金を稼いでいました。ところが、あまりに人気が出て、最盛期には1日数時間しか眠れないということで覚せい剤に手を出したようです。

刑期を終えて出てきてからは私が面倒を見ました。夜学の高校に入って懸命に勉強し、無事に卒業式となり、私が幼稚園時代の先生という触れ込みで卒業式に出ました。彼女は頭も切れる人で十数種類の資格を取り、いまは結婚もしています。ただ、中学生で家庭を飛び出したために、人生の常識的なことがわかりません。冠婚葬祭になるといまでも私のところに聞いてきます。

Q 最近の活動には、「スピーチコンテスト」「ガールズ・ホーム」などもありますね。それらについてもお聞かせください。

坂本 スリランカから日本の都立大学に来ていた建築家がいます。彼がスリランカで孤児院をつくり、子供たちを学校に通わせています。ところが彼自身も経済的に困窮し、私たち更生保護女性会の50周年の記念事業の一貫としてバザーで資金を集め、孤児院の子供たちに英語と日本語の絵本を贈って応援することにしました。

子供たちの多くは虐待の被害者ですが、親戚も面倒が見れず、やむなく孤児院に入った子ばかりです。ところがそんな子供たちをねらって人身売買が行われていました。フィリピンなどに売り払って児童買春をさせられるケースもありました。私たちが訪ねた孤児院では3歳から17歳の女の子17人がいました。その施設の名前が「ガールズ・ホーム」です。

現地は本当に貧しく、絵本などもカラーのものはほとんどありません。日本の絵本を贈ると凄く喜ばれました。これまでに送った絵本は約2千冊になります。スリランカは親日的な国です。英語文化圏ですが、中学生になると日本語も選択ができ、日本語の人気も根強いようです。日本語のカラーの絵本はそうした子供たちの勉強の教材にもなっています。 

そんなご縁もあって、昨年、現地の日本大使館の主催で日本語のスピーチコンテストが行われ、第1回目は日本語学校の先生が1位となり、6泊7日で日本に来ました。私の家で振袖の着物を着せ、お茶やお花を体験してもらい、着物姿で靖国神社と毘沙門天に参拝しました。日本人から「きれいね」とほめられ、彼女もご満悦でした。

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