シリーズ「突破力──女性と社会」③

人生の“やり直し”を後押し更生保護活動に捧げた34年を振り返って

東京更生保護女性連盟副会長 新宿区更生保護女性会会長 保護司 坂本悠紀子さんに聞く

犯罪の発生を未然に防ぐ。犯罪を起こした人の立ち直りを援助する――2008年に施行された更生保護法の精神である。それを身をもって実践してきた人がいる。東京新宿を拠点に34年にわたって保護司を務めてきた坂本悠紀子さんがその人だ。保護司の社会的な役割について聞いてみた。

 Q新宿などを拠点に更生保護活動を行ってこられたと伺っていますが、どのようなことがきっかけで更生保護活動に取り組むことになったのでしょうか。

坂本悠紀子さん

坂本 実は私の母親が保護司をやっていました。子供の頃はそれがわかりません。わが家に素性のよくわからない人がときどき来たり、ときには泊まっていくこともありました。その人たちのために母親はバザーを行ったりもしていました。私が中学生になった頃、有名なヘレンケラーさんが学校に見えました。自らが〈聞こえない、見えない、しゃべれない〉の三重苦で苦しんでいながら世の人のために働いているのを知り、大きな感銘を覚えました。

そんなこともあって大学は社会福祉を専攻したのですが、結婚は普通にしました。ところが、保護司のなり手がなかなか見つからないというので夫が先に保護司になりました。私自身はその後2人の子供に恵まれ、舅や姑の世話もあり、家庭生活に追われるようになりました。

ところが、夫が勤めていた研究所が財団法人から民間会社に組織替えになり、夫は営業もしなければならなくなって、夜中でないと家に戻れない日々が続きました。やむなく夫の代わりに保護司になる人を探したのですが、なかなか見つかりません。「君のお母さんも保護司だったのだから、君がやったらいいじゃないか」ということになり、38歳のときに私が保護司を引き受けることになりました。当時、東京都内で最年少の保護司といわれました。

Qそもそも更生保護事業とはどのようなものでしょうか。現在では一般の方はなかなか理解しにくいと思われますので、お聞かせください。

坂本 更生保護事業は法務省に属しています。保護司は法務大臣の任命で委嘱されます。仕事は保護観察処分という形で社会に出てきた人への立ち直り支援です。たとえば、犯罪で警察に捕まった人が裁判を経て、仮釈放され、保護観察処分になるケース。子どもの場合だと鑑別所に行かずに保護観察処分という場合もあります。また、刑務所に収監された人の場合も刑期の2/3を真面目に勤めれば、生活を見守りながら、仮釈放のあと社会復帰できる手助けをするということもあります。 

現在、東京都内だけで4,000人の保護司がいます。女性が約4割を占めるといわれています。ただ、誰でもなれるというわけではなく、①その土地にずっと住んでいる、②経済的に困窮していない、③自宅で人を待つことができ、面会の時間が守れる、④家庭の理解が得られる、などが条件といえば条件です。
担当が決まると、月に2〜3回の面会日が設定されます。うち2回は自宅に訪ねてきてもらい、もう1回は往訪といってこちらから訪ねます。約束どおりの条件や環境のもとで暮らしているかどうか居住確認をするのです。

世の中にはさまざまな境遇の方がいます。子供の頃に親の虐待を受けたとか、生活苦できちんとした家庭生活が送れなかったとか、生まれつき知能が遅れ学校も満足に出ていないなどの理由で、犯罪に手を染めるケースが見られます。

保護司の役割は、そうした人が二度と犯罪に染まることのないよう、①犯罪を未然に予防する、②更生させる、という2つの大きな役割があります。更生という言葉には、「よみがえる」「生まれ変わる」という意味があります。

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