CSRフラッシユ

ETIC.の「地方創生チャレンジ in 東北」シンポジウムから東北の挑戦を、未来につなげる

第1回:東北は地方創生のラボラトリーになりえるか

未曽有の震災から5年が経とうとしている。人口減少と経済収縮が進む東北は、10年20年先の日本の姿でもある。課題先進国と呼ばれるわが国で、地域の潜在的な力をいかに引き出すか。3回のシリーズで届けたい。
地方創生チャレンジ1

登壇者

田村 太郎氏:一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事、復興庁復興推進参与
中川 剛之氏:公益財団法人三菱商事復興支援財団 事業推進リーダー
川邊 健太郎氏:ヤフー株式会社 副社長執行役員、最高執行責任者(COO)
進行役 宮城 治男氏:NPO法人ETIC. 代表理事

左から2人目が田村太郎さん、3人目が中川剛之さん、4人目が川邊健太郎さん。左が進行役を務めた宮城治男さん

左から2人目が田村太郎さん、3人目が中川剛之さん、4人目が川邊健太郎さん。
左が進行役を務めた宮城治男さん

財源と人材の確保がカギを握る

宮城:こちらの3人は、震災直後から被災地で活動を行う一方、大きな視点で東北のサポートをしてきました。これまでの活動を振り返りつつ、今後どのような形で企業、市民社会、行政が東北と向き合い、その先にこの国の未来を描いていけるのかを議論します。まず田村さんから…。

一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事、復興庁復興推進参与の田村太郎さん

一般財団法人ダイバーシティ研究所代表理事、
復興庁復興推進参与の田村太郎さん

田村:神戸の復興に民間の立場で関わってきた経験から、東日本大震災以降、復興庁で非常勤の国家公務員として東北の復興に関わっています。

大きな災害が起きた地域は、よきにつけ悪しきにつけ、次の社会に向けた実験場(ラボラトリー)となります。21年前の阪神・淡路大震災がそうでした。

東日本大震災からの復興は、「人口減少の進行」と「公的財源が期待できない」という2点で、これまでの災害と大きく異なります。

わが国は想像以上に高齢化が進んでいます。1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災の比較をすると、75歳の人口は約2倍になっています。一方、18歳人口は3分の1も減っています。たった15年間でこれだけ少子高齢化が進んでいるのです。

この現象は、建築業従事者数にも現れています。建築業従事者数・建築投資の年次数字を見ると、阪神・淡路の2年後が従事者数のピークで、これ以降約180万人減っています。建築投資のピークはそのもう少し前です。

東北の被災地では、高齢者人口がほぼ回復したものの、年少者と生産年齢人口は回復していません。

次は公的財源です。阪神・淡路では8,800億円の復興資金に金利が付きました。新潟中越でも3,000億円に金利が付きました。それを複数年度で活用することができたのです。現在は金融機関に復興資金を預けてもほとんど金利が期待できません。

東日本大震災の復興基金は“取り崩し型”で、年度ごとに自治体で予算を組んで決定するため硬直的にならざるを得ず、複数年度で柔軟に活用することができません。

つまり、東北の復興には、財源の確保とともに、人材の確保が大きな課題になっています。阪神・淡路の経験とは異なる、新しい復興モデルを育てる必要があるのです。

宮城:三菱商事は震災が起こってすぐに100億円というお金を積んで財団をつくり、東北の復興に向けたけん引役となってきました。


人材を育て、雇用を生む支援を

公益財団法人三菱商事復興支援財団 事業推進リーダー中川剛之さん

公益財団法人三菱商事復興支援財団
事業推進リーダー中川剛之さん

中川:三菱商事は震災が起きた翌月、2011年4月に、まず4年間の活動として100億円規模の「復興支援基金」をスタートさせました。

最初に考えた支援策は「学生支援奨学金」でした。義務教育を終えた大学生への援助が手薄との情報があったためです。当初は500名×4年間くらいを想定しましたが、実際は倍以上の4,000名弱の大学生に奨学金を贈りました。

その後、被災地で復興支援活動を行うNPO等への助成金給付など、種々の支援活動を行いました。現在では少し状況が変わったこともあり、ある程度対象を絞り始めています。

さらに東日本大震災発生から1年を契機に、基金の活動を継承するとともに、被災地における産業の復興および新たな産業の創出・創造に貢献するため「三菱商事復興支援財団」を設立しました。こちらは岩手・宮城・福島の3県44社、地元の金融機関と組んで20億円の投融資を行い、約2,000名の雇用に役立ったと考えています。緊張感のある投融資であるところがポイントです。

人口流失が課題となっている沿岸部で、1社でも2社でも雇用が維持されればと考えたものです。

現在、私も福島県郡山市に駐在し、昨年末に福島の果実を使ったワイナリーを立ち上げました。福島県で生産が盛んな生食用果実(桃・なし・リンゴ)の活用を図るとともに、新たにワイン用ぶどうの生産農家を育成し、リキュールやワインの製造・販売を行います。「果樹農業6次産業化プロジェクト」と位置付けています。

宮城:ヤフーはベンチャー企業らしく、東北でさまざまな新しい企画や事業を精力的に立ち上げていますね。


情報技術を活用して地域ににぎわいを

ヤフー株式会社 副社長執行役員、最高執行責任者(COO)の 川邊 健太郎さん

ヤフー株式会社 副社長執行役員
最高執行責任者(COO) 川邊 健太郎さん

川邊:震災直後に行ったのが日本や世界に正しい情報を伝えることでした。当時、私はヤフーニュースの責任者でしたが、地震が発生した金曜日から火曜日まで会社に止まり込んだことを覚えています。

今度の震災では、地震、津波、その後原発に注目が集まりました。計画停電の話もありました。目まぐるしく情報が変る中で、まずは正しい情報を整理して出すということでした。

私たちは中越地震のときに「ヤフーインターネット募金」を立ち上げています。ヤフーポイント(今はティーポイント)で募金にするものですが、東日本大震災ではこれを活用して13億円強の募金を募り、ヤフーもマッチングを行い、計15億円を寄付しました。

ヤフーの復興支援東日本大震災のwebサイトhttp://shinsai.yahoo.co.jp/

ヤフーの復興支援東日本大震災のwebサイト
http://shinsai.yahoo.co.jp/


http://shinsai.yahoo.co.jp/

少し落ち着いた後、経済的な復興支援に取り組むということで、ヤフーショッピングやヤフーオークションを使って東北の産品をヤフーのユーザーに買っていただく、専門のEC(eコマース:インターネット技術を使った商取引)サイト「復興デパートメント」を2011年から立ち上げました。

復興デパートメントのwebサイトhttp://www.fukko-department.jp/

復興デパートメントのwebサイト
http://www.fukko-department.jp/

これまでの取り扱いは8.2億円を超えました。一次産業に従事している漁師の方が直接ユーザーに物を販売する独自の取り組みの実験場になっています。

仙台市にあったヤフーの支社を2012年に石巻市に引っ越し、そこで復興デパートメントを中心にいろいろ情報技術を使ってできる支援を現在まで続けています。

私自身も毎年1週間そちらに泊まり込み、石巻で働く復興のキーパーソンとお会いして、いま何が必要なのかをヒヤリングしながら、復興デパートメントを運営しています。

また、現地の河北新報社とのヒヤリングから、「日本全国や海外の方が東北に来るような機会をつくろう」と2年前から「ツール・オブ・東北」という自転車のイベントを始めました。宮城県から福島や岩手にも広げたいと考えています。

ツール・ド・東北2015のwebサイトhttp://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2015/

ツール・ド・東北2015のwebサイト
http://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2015/

ケネディー米大使が2年連続で走ってくれ、2015年は参加者が3,500名になりました。自転車で三陸沿岸を走ると復興の実態が良く分かります。観光は復興事業の中では経済波及効果が高く、「ツール・ド・東北」の経済効果は7.4億円とされています。規制緩和により、3,500名のライダーが「民泊」もできるようになりました

復興の課題は、“自立であり、継続であり、他の地域にも活用できる仕組みづくり”にあります。インターネットを活用すれば、日本や世界とも新しい接点が生れます。

宮城:田村さん、2つの企業の取り組みをどうご覧になりましたか。


社会課題解決の先頭に企業が

田村:20年前の阪神・淡路でボランティアやNPOが生まれ、市民社会が公共的課題に一定の役割を果たすようになりました。10年前の中越地震では行政とNPOがパートナーシップを築き、衰退する地域をどうやって援助していけるかというモデルが生れました。東日本大震災では、CSRが根付き、企業が社会の課題を解決していく力になっています。

ただ、東証1部企業にアンケートを取ると、9割以上の企業がこの震災でなんらかの寄付を行っているのですが、半分以上が日本赤十字など従来型の支援で終わっています。三菱商事やヤフーのようにオリジナリティあふれる取り組み、もう一歩歩踏み込んだ支援策が期待されています。

宮城:中川さん、商社の支援のあり方では議論もあったようですね。

中川:半年ほど経った頃から「汗をかいてくれるのはありがたいが、商社としてもっと違う支援の方法があるのでは?」との声が外部からもありました。

商社の本業とは何か、を議論して生まれたのが「投融資」でした。第1号の案件が陸前高田のホテルに決まりました。

支援には寄付が向いているものと、寄付でない方が良いものがあります。投融資のリターンは財団に入ります。リターンは再度公益事業に活用する仕組みをつくりました。ソーシャルインベストメント=社会的投資と言われますが、最初からそういう看板ありきではなく、いかに緊張感を持ちながら産業や雇用を創出するかにありました。

地方創生チャレンジ9

宮城:投融資支援先企業との関係が、三菱商事とのつながりや支援企業同士のつながりになっています。川邊さんのヤフーは、IT企業として復興に関わってきたわけですが、会社の中で起きている変化、期待している変化があれば教えてください。

川邊:インターネットは災害や互助に適したツールです。情報と情報をつなぎ合わせて新しい価値をつくり、ヤフーのサービスの再発見にもなっています。もう1つは人材開発の側面。復興の拠点が出来たので、どんどん人を送り込みました。ツール・ド・東北のイベントでは、当社の社員だけでなく他の企業からもボランティアが数百人レベルで参加しました。仕事にも通じる、プロデュース力や課題発見力が身に付いたと思います。


宮城:ここからは会場の声も聞いてみましょう。

Aさん:福島、宮城、岩手の3県ではニーズも違うと思うのですが、どのように把握して取り組んでいったのでしょう。

中川:私どもの財団は2012年に宮城県気仙沼市に事務所を設け、2年間駐在員を置きました。岩手と宮城の両県を見るということでした。2015年からは事務所を福島県郡山市に移し、9名が常駐し、3県のニーズを探ってきました。福島のワイナリーは、1年半前より農業で手伝えることはないかと福島の農家に上がり込んで話し、そこから取捨選択の結果、元々福島で盛んであった果物農家の特性を活かし、未来型の新しい価値をつくっていこうと選びました。

ふくしまワイナリー外観(三菱商事復興支援財団 2015年10月27日ニュースリリースから)

ふくしまワイナリー外観
(三菱商事復興支援財団 2015年10月27日ニュースリリースから)

宮城:福島ならではアプローチはあったのですか。

中川:最初、密閉型の野菜工場をつくろうかと考えました。しかし、現地の人々は果樹をつくることに自信を持っており、売ってくれれば良いということでした。ワイナリーはこうした独自化のための助走と考えています。

川邊:ヤフージャパンが属するソフトバンクは、福島の支援をかなりやってきました。孫正義さんが早い段階から福島に行っており、100億円出すことにしました。それが東日本大震災復興財団です。財団の職員が地域のかなり深い所に入り込んで、行政だけで解決できない問題に取り組んでいます。それに対して、ヤフージャパンは津波で被害を受けた沿岸地域を中心に活動するようすみ分けてきました。

田村:災害はいろいろな顔を持っています。福島も地域ごとに課題が違います。復興は、その人たち自身の手で街を取り戻していくプロセスでしかありません。この部分はどの地域にも共通しています。今回の復興では、地域が広いため、時間軸に幅があるのが特徴です。

仮設住宅の供給戸数と災害公営住宅の供給戸数では、阪神・淡路と東日本でほぼ同じ48,000戸ですが、阪神・淡路では3年でそれを閉鎖することができました。東日本は5年経っても阪神・淡路の2.5年分ぐらいしか進んでいません。ハードの整備だけでも阪神・淡路の倍の時間がかかっています。まだ阪神・淡路の3年目ぐらいとみてほしいのです。5年経ってもういいのではという話がありますが、この点が大きく異なります。

宮城:人材育成に関する質問ですが、若い社員が復興に関わったことで仕事への意識や価値観に変化はあったのでしょうか。

川邊:問題発見能力とか、プロデュース力とか、コミュニケーション能力とかは、ルーティンの仕事を東京でしているのに比べ、間違いなく伸びます。若い人に伝えたいのは継続性、続けることの大切さです。「ツール・オブ・東北は10年はやる」と宣言しています。「復興デパートメント」も絶対黒字にすると宣言しています。

宮城:中川さんも沢山の若い社員を現地に送っていますね。

中川:弊社には6,000人の社員がいますが、3,000~4,000人近い人間が現地に行きました。ただ、2011年と2015年では感じ方が違っています。有事の際に自分の会社は本当に対応するという自信や自覚ができたのが大きいと思います。

宮城:NPOや行政関係者に変化はありましたか。

田村:震災の直後にやって来た人たちはとても優秀な人たちでした。国家公務員にもこういう人たちがいるのだと驚くようなフットワークの良さと意思決定の素早さがありました。人事にはローテーションがあり、長くても2年で帰るので、引き継いで行くのに課題が残りました。

NPOにとっては真価を問われた4年間でした。課題の指摘は得意であるが解決の主体となって動くのは残念ながら苦手な方が多いと思いました。地域にコミットして10年20年と関わっていくことが大切です。行政にしてもNPOにしても緊急救援というスタンスが強すぎたのだと思っています。

阪神・淡路では20年たっても関わり続けている企業や個人や団体があります。直後に来て大騒ぎして3年位でいなくなった企業は、神戸では評判が悪いのです。20年経って、どういう振る舞いが評価され、どういう振る舞いが評価されないのか、私は見てきました。もう少し長期に課題にコミットできるようなスキームが必要です。

宮城:今回の東日本大震災は市民セクターが社会をつくる重要な担い手として位置づけられる契機になりました。

進行役を務めたNPO法人ETIC. 代表理事 宮城 治男さん

進行役を務めたNPO法人ETIC. 代表理事 宮城 治男さん

私たちエティックは、東北に復興を支える人材を送り込む、「右腕プログラム」を開始し、その後、右腕修了者や地域の方たちの起業・事業創出を支援してきました。この方たちが、これからもプライドを持って働き続けられるよう、企業にも息の長い支援を望みたいと思います。

NPO法人ETIC.
http://www.etic.or.jp/index.php


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