CSRフラッシユ
ETIC.の「地方創生チャレンジ in 東北」シンポジウムから東北の挑戦を、未来につなげるIII
第3回:2020年までの東北と企業の関わりを考える東日本大震災では企業のCSRやCSVの活動が東北の被災地に新しい息吹を吹き込んできた。しかし、企業の取り組みにも迷いや壁がなかったわけではない。第3回目は、企業の取り組み事例をとおして、被災地に寄り添うことの意味を考えてみたい。
登壇者
*河崎 保徳氏:ロート製薬株式会社広報・CSV推進部部長
*池田 俊一氏:日本電気株式会社 コーポレートコミュニケーション部
CSR・社会貢献室マネージャー兼東北支社復興支援推進室
*山田 和光氏:いすゞ自動車株式会社CSR推進部社会貢献グループ担当部長
*進行役 山内 幸治氏:NPO法人ETIC. 理事・事業統括ディレクター
山内:まず、3人の方が所属する企業の取り組みからご紹介ください。NECの池田さんからお願いします。
ボランティアからプロボノの支援に
池田:NECは売上規模3兆円、従業員数は世界で約10万人(うち国内は8万人) です。3年前に立てた中期計画でコンシュマー向けの事業から社会を支えるインフラ事業に特化して行く“社会価値創造型企業”を目指しています。
東日本大震災では、地震発生直後からインフラの復旧をはじめ、ICTシステム・クラウドサービスを活用した支援を行ってきました。また、従業員による被災地へのボランティア活動なども継続しています。
東北復興支援の大きな方針は、➀障害者・子供・高齢者等の社会的弱者にフォーカスしていく、➁経営の資源を有効活用していく、➂グループ会社も一体となったOneNECとして活動を行っていく、➃NPO/NGOとしっかり協働し、現地のニーズに沿った活動を行っていくことの4点です。
活動の特徴として、プロボノ活動を重視していることがあげられます。社員のICTのスキルやノウハウを活用し、これまでに東北復興に関わる8団体を100名を超える社員が支援しています。
2015年11月1日に当社と南三陸町が復興連携協定を締結しました。ボランティア活動からさらに発展させようという狙いです。例えば、観光業や教育にICTを使いながら可能性を追求していくなどの取り組みを行います。
なぜ、南三陸町の支援なのか。実は社員が1名、南三陸町で未だ行方不明なのです。南三陸町は以前より当社のお客様でその社員は午前中役場で打ち合わせがありました。仙台の職場に戻るときに地震が来て、南三陸町の防災庁舎に戻りました。防災庁舎には南三陸町の電算機が集結しており、そこで電源を抜いていたときに津波が来て行方不明となりました。そのようなこともあり、現在でも南三陸町の支援を続けています。
山内:社員の方々の巻き込み方が上手だと思うのですが、なにか工夫はありますか。
池田:活動の基盤はあくまでもボランティア活動です。ボランティアに参加した社員に研究職や技術職がいて、地元の人とコミュニケーションする中でこういう支援があったらというのをくみ取っています。職種を問わず、ボランティア活動に参加してもらうことがスタートです。
山内:初期の段階は目に見えるニーズが多くボランティアに参加しやすいと思うのですが、復興が進むとボランティアの配置が難しくなります。そのあたりのコーディネーションはどこがやっているのですか?
池田:基本的にはCSR部門が中心となって考えています。どこでどのNPOとタイアップするかは、CSR部門の人脈や情報を駆使して行います。
山内:次はロート製薬の河崎さんに報告いただきます。
子供たちの夢を教育支援で応援する
河崎:震災後、私たちになにができるか考えました。 20年前の阪神・淡路大震災の経験が役に立ちました。
社員に公募をかけました。「現地に入ってくれる人はいないか。いつ帰れるかは分からないが締め切りは3日後」。会長から出たメールです。55人が応募し、6人が送り出されました。自分が50代で一番年寄りのメンバーでした。
最初は瓦礫との戦いです。現地に入った6人から「人手が要るから来てくれ」と言われれば、大阪からバスで16時間かけ、あるいは東京からも駆けつけました。水産業が盛んな牡鹿半島に入り、地域のイベントに参加して、心のサポートなども行いました。
これまでにボランティアに参加した社員は延べ750人。1,500人の会社なので半分が参加したことになります。
第1陣に会長が参加したことで、他の役員も部長もほっとけなくなりました。私たちには4,000万円の活動資金を持たせてくれました。全役員が報酬の10%を出しました。
ある日、牡鹿半島で瓦礫を撤去していたメンバーが、「あっ」と声をあげました。当社の主力商品の新Vロートが瓦礫の中から出てきたのです。そのときいた15人がオンオンと泣きました。みんなで育てた商品が東北の漁村でも使われていたのだと……。
漁民の方にどんな支援がいいかと聞くと、「人がいい」と言われ、部下の一人をその場に置いてきました。佐藤という社員ですが、彼はその後3年半そこで漁師の見習いをします。そして、漁師たちに見事な意識改革をしてくれました。伝統的にやっていた養殖の漁法にヤンマーさんの技術を取り入れて、生産量を上げることができました。
もう一人、今村という女性ですが、被災地を5カ月かけて歩き、「石巻でイスラムの人に安心して食べてもらえるハラルの食を開発する」と宣言し、1年半でそれをやり遂げました。2015年3月に仙台市で行われた世界防災会議に間に合わせました。その後、各国大使館や東京のホテルから問い合わせが来ました。
私たちが現地に入るとき、会長が1つだけお願いがあると言われました。「現地には親を亡くした子供たちがいっぱいいるはずだ。この子供たちが東北の復興を成し遂げられるように支えてほしい」と。実は神戸ではこれに失敗し、子供たちの多くは現地に残りませんでした。
私たちが一番やりたかったことは、子どもたちの教育支援でした。最初はロート製薬だけでやろうとしたが小さい会社のため、20年先までの支援を約束することができません。業界を越えて仲間を募りカルビーさんやカゴメさんと一緒に、子供たちを支える基金を立ち上げました。「みちのく未来基金」です。これまでに総勢423人に支援してきました。
山内:素晴らしい支援ですね。
河崎:「社会の役に立とう」というロート製薬の理念を生かす場が被災地には山のようにあります。20~30年先の日本の課題そのものです。学びの場でもあると思います。私たちは、そんな課題のある場所だからこそ“人が育つ”と考え、将来の会社を支える優秀な社員を送っています。
山内:迷いのないスタンスに参加する社員の方も勇気づけられているはずです。次はいすゞの山田さんから……。
事業の特性を生かした支援を一歩ずつ
山田:いすゞ自動車は、NPO法人ETIC.が手がける「みちのく復興事業パートナーズ」に2013年3月に7番目のメンバーとして参加しました。
いすゞの企業理念は「運ぼうを支える、信頼されるパートナーとして――豊かな暮らしづくりに貢献します」。被災地の活動も「運ぶを支える」に重きをおき、救難救援に関わる車両、瓦礫処理のためのショベルカー(いすゞのエンジン搭載)、ダンプなど、とにかく復旧・復興の足取りを止めてはいけないという思いで取り組んできました。
当社には「みまもりくん」という運行管理システムがあります。この車両のデータを集めると、どの道が通行可能かの情報が提供できます。
ところが復旧期から復興期に入ると、なにをすべきか見えてこなくなりました。そこで2013年3月に「みちのく復興事業パートナーズ」のシンポジウムに参加し、2014年3月にメンバーになりました。
最初に始めたのが「ものづくり体験ワークショップ」です。物づくりの会社なので、物づくりを子供たちに体験して楽しんでほしいという思いがありました。
これまでにワークショップを12回開催しました。鋳物教室とデザイン教室の2つのプログラムがあります。初めは小学生が対象でしたが、年齢層の高い方や引きこもりがちな方も参加してもらいました。トラックの荷台に絵を描いてもらう活動はなかなか好評でした。こうした活動をとおして社員一人ひとりが社会のニーズに応えることができればと思っています。
山内:「みちのく復興事業パートナーズ」では、波及効果が期待される6つの団体に、支援の取り組みを絞ってやってみようという提案を行っています。先ほど出た、引きこもりや不登校になった若者が被災地には多くいます。いすゞさんの「ものづくり体験ワークショップ」だったり、東芝さんの「パソコンの分解ワークショップ」も評判です。
判断に悩んだり、壁にぶつかったりしたときはどのように克服してきましたか。
地域に寄り添った取り組みの掘り起こしを
池田:困難の中に社会のニーズをどうとらえるかという課題がありました。企業として自己満足の活動で終えたくないと思い、CSR部門や東北の社員と連携しながら被災地にどういうニーズがあるのか、NPOやNGOにヒヤリングも行いました。
河崎:東北地域連携室だけの活動ではなく、社員全員が参加する活動にしたいと悩みました。ただ被災地に行きたくても行けない社員もいます。ボランティアという言葉を使わず、「友だち沢山」と呼ぶようにしました。行く人間は、行けない人の思いも届けることにしました。3カ月に1度、全営業所の朝礼で報告させてもらいました。
大きな基金を作ったのはいいが、株主総会でおしかりを受けるのではないかと心配しました。ところが反対に応援してくれました。ただ、寄付の基金は1円たりとも経費に使わないと決めて対応しました。事務所の経費とかは3社で分担しました。
山内:さらに多くの企業を巻き込む目途が立ったと聞きましたが。
河崎:今は700社ほどに参加企業が増えました。少しずつ出しあって長く続ける基金を作りたいと考えています。
山内:成果については短期的にとらえがちです。長い時間かかる取り組みにどうやって社内の折り合いをつけられていますか。
山田:やるからには長く続けていく覚悟が必要です。そのためにも本業の強みを生かした支援にしたいと考えました。ワークショップの参加メンバーは毎回入れ替えています。メンバーを入れ替えてもうまくいくよう、事前の準備やリハーサルにも力を入れています。
山内:これまでの学びと今後の展開について抱負をお聞かせください。
山田:引き続き被災地のニーズに応えるため、例えば天然ガスを使えるトラックによる復興支援活動を検討しています。です。生活インフラの中でガスは被害がもっとも少なく復旧も早かったと立証されています。
池田:2020年のオリンピック・パラリンピックに向け訪日外国人が多なると思います。東北にも多くの訪日外国人が訪れると思います。東北では、外国人の障害者に対応するバリヤフリーの街づくりが注目されると思います。南三陸町もダイナミックに変わろうとしています。東北の沿岸地域の復興では観光業がキーワードになると思うので、プロボノの活動で支援を続けていきます。
河崎:私たちが支援をしている子供たちは2つのことを言います。1つは、「絶対田舎に戻って復興の役に立ちたい」。もう1つは、「人の役に立ちたい」と。そこから私たちも学びました。ロート製薬は製薬会社です。「本気で人々を幸せにする提案をやりたい」と考えています。
東北の漁師町は平均寿命が短いのです。美味しいものを食べているが、タバコはプカプカで大酒飲みが多いのです。野菜食べている漁師を見たことがありません。50歳を超えると途端に入院とか医療費が増えています。
製薬会社の一番の技術は分析技術。全国の食べ物の分析ができます。その食べ物がなぜ長寿につながるのか、の根拠が分かるかもしれません。「人々の健康に役立つ根拠を示す」ことにこだわります。
山内:ハリケーンの被害を受けた二ューオーリンズの調査では、道を挟んで平均寿命が大きく違うという結果が見られました。ちゃんとしたスーパーマーケットが再開した地域とそうでなかった地域の差だと分かりました。被災地の都市開発には“食と健康”という視点も欠かせません。
本イベントは、共に震災復興支援に取り組んできたETIC.とジャパン・ソサエティーが主催して行われました。なお、2月27日には以下のようなフォーラムも開催されます。興味のある方はぜひご参加ください。
●ローカル・イノベーターズ・フォーラム2016@東京
~東北・日本・世界から考える、地方創生にチェンジメーカーが果たす役割~
http://thinktohoku.etic.or.jp/227event/
NPO法人ETIC
http://www.etic.or.jp/index.php
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