継続は力なり!!今も続くDNPグループ社員による現地ボランティア

自然災害が各地で猛威を振るっている。6年前に起きた東日本大震災も記憶のかなたに追いやられそうな状況だ。だが、“継続は力なり”と今も東北に現地ボランティアを送り続けている企業がある。DNP(大日本印刷)グループの取り組みを振り返ってみたい。

[2017年8月10日公開記事]

DNP(大日本印刷)グループの現地ボランティアのみなさん(2017年7月)

DNP(大日本印刷)グループの現地ボランティアのみなさん(2017年7月)

この夏、8回目となる復興支援ボランティアを実施

Q 震災から7回目の夏を迎えました。DNPグループでは、今年も復興支援のボランティアを宮城県石巻に送られたそうですが、どんな活動を行いましたか。

A: DNPの東日本大震災復興支援社員現地ボランティア活動は、弊社の事業拠点が仙台にあることから、宮城県を対象に2013年にスタートしました。2014年からは年2回に拡大し、生活支援活動と生業支援活動を実施しています。第8回目の今回は、生業支援として、石巻市の牡鹿半島東浜地区でカキ養殖の漁業者支援を7月22、23日の1泊2日で行いました。具体的には、養殖仕掛けの整備として4つの作業をお手伝いしました。

1つめは、カキの稚貝を付着させて成長させるために使うホタテ貝の殻の清掃作業です。ホタテ貝の殻は何度も再利用しますが、養殖中にフジツボやムール貝、海藻などカキの生育を阻害するものが付着するため、次回使用時にはそれらを取り除いておく必要があります。貝殻と貝殻をこすり合わせたり、工具でそぎ落としたりして、それらを取り除きました。

2つめは、カキの稚貝が付いたホタテ貝の殻を、ロープに挟む作業です。ロープは10mほどの長さで、作業後、ホタテ貝の殻を挟んだロープは沖合いの海中につるされ、カキの稚貝がホタテ貝の殻に付着しながら成長します。ホタテ貝の殻をロープに固定するため、機械を使ってロープの“撚り”を少し戻し、隙間をあけ、一定の間隔で稚貝の付いた貝殻を挟んでいきます。最後にまた撚りをかけて貝殻を固定して完成です。

3つめは、養殖いかだにカキの仕掛けをつるす際に用いるブイ(浮き)の清掃作業です。養殖中、ブイにもフジツボやムール貝が付着し、そのままで放っておくと浮力が低下してせっかくの仕掛けが水没してしまいます。そのため、ブイに付いたそれらの付着物を取り除くことが必要となります。ブイは大きさ約1m、重さ16キログラムもある重いものですが、ひとつの仕掛けに百個近くも使われています。

4つめは、カキの稚貝を海中からとる(採苗といいます)仕掛けを海中に固定するための、固定用ロープを結びつける作業です。採苗仕掛けは80枚近いホタテ貝の殻を針金でつないだものですが、半分のところで2つに振り分けて、固定用ロープで海中につるされ、海中を漂っているカキの幼生をホタテ貝の殻に付着させます。固定用ロープを仕掛けに結びつける作業は、“カキ結び”という漁師さん独特の結び方で行いますが、社員は皆初めて知る結び方で、最初覚えるのに一苦労でした。

石巻市での生業支援

石巻市での生業支援

DNP3

Q 今回の現地ボランティアに参加した方の感想はいかがでしたか。

A: 今回は、社員25名のほか、配偶者4名、お子さん8名(成人1名含む)の計37名が参加しました。これまで参加資格を社員のみとしていましたが、震災の怖さやそこで得た教訓を広く語り継いでいきたいとの思いから参加枠を家族にも拡げました。配偶者や子どもさんが参加するのは初めての経験でしたが、百聞は一見に如かず。視察や支援活動、地元の方々との交流を通じて、得るものが数多くあったという声をもらいました。支援活動では、カキの養殖がどのように行われているのか、震災でどのような影響を受け、地域の方たちがどう復活させてこられたのか等々、漁業を通じて被災地の状況や課題を知る機会となり、良い体験になったとの声が多く聞かれました。また、カキは出荷まで3年ほどかかると知り、食べ物の大切さを改めて感じた参加者も多かったようです。

漁師の方から作業の手ほどきを

漁師の方から作業の手ほどきを

今回の漁業者支援活動は、東浜地区でカキの養殖業を営まれ、震災直後は現地の災害対策本部長を務められた豊島 冨美志さんにお引き受けいただきました。作業だけでなく、当時対策本部であった建物や津波が襲ってくる映像なども見せていただきながら、震災以降のさまざまなお話しをお聞かせいただき、被災地の復興について深く考えさせられました。今年はあいにくの戻り梅雨で、2日目は作業を取りやめたため、ゆっくりたくさんのお話しを伺うことができました。

豊島 富美志さん

豊島 富美志さん

また、支援活動だけでなく震災についてより広く理解をしてほしいとの目的から、毎回初日の支援活動前の午前中に、被災地(石巻市で被害が大きかった門脇・南浜地区)の視察も行っています。必ず訪れることにしているのは、「がんばろう!石巻」の看板と、当時住民の方が避難された日和山公園で、現地支援活動のコーディネートをお願いしている「石巻復興支援ネットワーク」の方に案内をしていただいています。

「がんばろう!石巻」の看板前には献花台があり、毎回献花・黙とうを行っています。今回も参加者は、丸6年を過ぎても草いきれが広がるばかりの風景や、津波が押し寄せた6.9 mもの高さを示す表示塔がその数値以上に高く感じられることなどを目にして、一様に驚いていました。

日和山公園は、旧北上川沿いにある標高約60mの日和山丘陵にあり、災害時の避難場所となっています。震災当時、大勢の人たちがふもとから石段を駆け上り避難しました。参加者にはその石段を当時と同じように登ってもらいましたが、かなり急な石段で一気にはなかなか上ることができないほどです。説明で、当時、車イスの方や高齢者などは、背負ったり数人がかりで抱え上げて避難させたと聞き、その大変さを痛感しました。

今回のボランティア企画に参加した最年少は11歳の小学5年生で、震災当時5歳でした。震災時の記憶はあまりなくても、こうして被災地の視察を体験することで、いかに津波の規模が大きく、被害が凄まじかったかを実感してもらえたようです。他の参加者からも、「聞くと見るとでは大きな違いがある」との感想が口々にあがりました。

震災時のご苦労を忍んで(献花・黙祷と日和山公園への階段を登る)

震災時のご苦労を忍んで
(献花・黙祷と日和山公園への階段を登る)


DNP7

Q 現地を目にして被災地の復興の足取りをどのようにとらえましたか。

A: 国や県市町村をはじめさまざまなセクターの方々が復興に取り組んでいますが、正直なかなか期待されているほどのスピードで進んでいっていないように感じます。現地に住まわれている方には、なおさらそう感じられるかもしれません。さらに、ハード面での復興が進んでも、人口の減少など従来そのコミュニティや地域産業が抱える問題は、引き続き存在し、あるいは増幅され、支援を行う難易度が高くなりつつあるようにも思います。

Q 被災地支援は、時間の経過とともに先細りしています。DNPグループでは、どのような思いからこうした復興支援を今も続けられているのでしょうか。

A: 2011年3月の東日本大震災の発生当時、弊社でも支援活動として社員ボランティアの派遣を検討したものの、そうした経験が全くなかったため、義援金などの支援にとどまっていました。しかし、被害の甚大さゆえ依然として支援ニーズがあることや、社員から実施を期待する声などもあり、検討を続け、2013年11月に第1回目の実施に漕ぎつけました。震災から2年が経ったタイミングでしたが、大勢の社員が応募してくれ、自信につながりました。その後も毎年、現地の支援ニーズの確認をしながら、年に2回ほどのペースで社員現地ボランティアの活動を続けています。参加者は今回までで延べ202名となりました(家族含め)。

これまでの7回の支援活動から

これまでの7回の支援活動から

DNP9

DNPグループの支援についての考えは、被災地のみなさんの暮らしが「通常の生活」に戻るまで、企業市民としてできることを継続してやっていこうというというものです。「通常の生活」とはさまざまな捉え方ができますが、DNPでは、国や行政が2019年までに仮設住宅を解消し、被災者が通常の生活に踏み出すようにしたいと考えていることを踏まえ、私たちの支援も、現地の支援ニーズを確認しながら、それまでは継続していきたいと考えています。

実際、支援ニーズもこの6年で変化していることを感じます。漁業者支援でお世話になった豊島さんのお話でも、復興支援として何か作業をしてほしいといったニーズはほぼなくなりつつあるが、現地に来て話をしたりする精神的な支援は依然として必要とされている、とのことでした。


仮設住宅の清掃作業は“心の掃除”のお手伝いでもあった

A: 毎年実施しているもう一つの活動、仮設住宅での清掃活動でもそうした精神的支援のニーズの高まりを感じます。震災から6年が経ち、復興住宅への転居や、働き口を求めて仙台などの都市部に出ていく方が増え、その結果、仮設住宅団地では、入居者の減少や仮設住宅の集約などが進み、コミュニティが失われて孤独感を感じる方が増えていると聞きました。また、仮設住宅では、居住するだれもが被災者で、お互いを気遣うため苦しい胸のうちを吐露する機会はあまりないそうです。

そのため、外部から訪ねる我々のような人間だからこそ、かえって気兼ねなく話せるという部分もあるようで、お話をすることで心の整理ができたり、心を落ち着かせることができたりするそうです。入居者の方から「心の掃除をしてもらった」と感謝の言葉をいただいた社員もいました。

こうした変化していく支援ニーズの把握は、弊社だけではなかなか難しいため、現地で支援活動を行うNPOや、そうしたNPOと企業との間に立って支援を進めるいわゆる「中間NPO」などとの協働が欠かせないと考えています。

「石巻復興支援ネットワーク」萱場副代表(左)と「日本フィランソロピー協会」加瀬川さん(右)

「石巻復興支援ネットワーク」萱場副代表(左)と「日本フィランソロピー協会」加勢川さん(右)

Q 現地ボランティア以外にも、独自の取り組みを継続していますね。

A: 震災の直後から継続しているものに、社員食堂で提供する「復興応援メニュー」の取り組みがあります。被災地の名物メニュー「なみえ焼きそば」「盛岡冷麺」などを、現地から食材を購入しながら提供し、その売り上げの一部に、会社から同額の寄付を上乗せし、被災地の教育支援活動に寄付するものです。これまで全国25か所の社員食堂で約25万食が購入され、寄付総額も1千万円を超えました。

寄付先は弊社の事業に関係深い次世代育成分野から選び、被災学校図書館・公立図書館の蔵書購入支援活動や、移動図書館活動、被災した子どもの学習・課外活動の支援活動などに行っています。2016年4月に熊本地方を中心に発生した地震被害でも同様の仕組みで支援を行いました。

チャンス・フォー・チルドレンへの贈呈式(左)と復興メニュー代表事例

チャンス・フォー・チルドレンへの贈呈式(左)と復興メニュー代表事例

他にも、DNPグループでは毎年、DNPグループ労連とともに社員による総合体育祭を実施していますが、そこでの模擬店の売り上げの一部を、被災地での支援活動を行う団体に寄付してきました。こちらは2016年までに60万円の寄付となっています。また、復興庁が主催する復興支援の枠組み「結の場」などの参加を通じて、被災地の産業復興支援も行っています。

Q お二人それぞれから最後にもう一言。

A: 東日本大震災は、これまでにないほど広い地域にわたり大きな被害を与えたため、復興には時間がかかり、今なおさまざまな形で支援のニーズが生まれています。そのような支援のニーズを理解するためには、現地で実際に自身の目や耳で現地の空気を感じ取り、自分や自組織に何ができるかを考えることが必要だと思います。そうした社会課題を解決する意欲や知見を高めて、次の支援活動につなげるため、DNPグループではこうした取り組みを続けていきたいと考えています。(五十嵐)

被災地のみなさんから、復興支援は今後、精神的な支援がより必要とたびたび伺いました。被災地と被災された方々を忘れないでいるとともに、訪れるだけでも十分に現地の方を励ますことにつながるとのことです。みなさんも機会がありましたら是非現地に赴いてください。(鈴木)

取材にご協力いただいたDNP CSR担当者の五十嵐さん(左)と鈴木さん(右)

取材にご協力いただいた
DNP CSR担当者の五十嵐さん(左)と鈴木さん(右)

本件のお問い合わせ
大日本印刷株式会社 CSR・環境部 CSRグループ

http://www.dnp.co.jp/
http://www.dnp.co.jp/csr/index02.html

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