CSRフラッシュ

各国の大使館員が日本を語る

第21回大使館員日本語スピーチコンテスト2018

大使館員による日本語スピーチコンテストが今年も開催された。スピーチに立ったのは駐日大使館員17カ国20人。今年からは時間超過が減点の対象となり、1人5分の持ち時間を気にしながら、思い思いの演題で聴衆を沸かしてくれた。受賞者6人のスピーチを届けよう。[2018年5月14日(月)公開]

外務大臣賞を受賞した中国大使館員の張 訳丹さん

外務大臣賞を受賞した中国大使館員の張 訳丹さん


外務大臣賞・杯

「落し物が難しい日本から思ったこと」

中華人民共和国大使館 張 訳丹

外交官2018-2

財布を落としたらあきらめるしかないでしょう。そのような常識を覆す体験をしました。2015年5月、私は熊本県に遊びに行きました。美しい風景と美味しいグルメに満足した私は、夜になってJRの駅で電車を待っていたのですが、友だちに電車の時間を聞かれ、スマホで確認しようとしたところ、スマホがないことに気づきました。

駅構内で思いつくところを探したが見つかりません。試しにと駅のトイレに向かいました。そのとき思ったのは「あそこに落としたら、もうとっくに猫ばばされただろう」ということ。ところがスマホはトイレにありました。喜びと驚きの交じりあいでした。日本で落し物が難しいという初めての体験でした。大使館の同僚と話をすると「3回落し物をしたが毎回戻ってきた」ということでした(笑い)。

ネットで調べると、2016年に東京で落し物として届けられた現金は、36億7000万円に達しているというのです。1日当たり1000万円の現金が警察に届けられているのです。日本人の友だちに聞くと、それは困った人の立場にたって考えるという教育の表れだといいます。学生の頃、先生から日本文化は他人指向だと教えられました。日本での暮らしでその理解が深まりました。他人指向とは常に他の人のことを考え、迷惑を掛けず助け合うことです。日本の伝統文化であり、人にやさしい社会をつくりあげています。

昔、中国と日本を行き来した先人たちは互いの文化の長所を学び、自国の文化をはぐくむ伝統がありました。遣唐使は豪華絢爛の中国文化を変容させ、日本独特の文化に発展させました。近代中国も日本から民主、科学などの理念を学び、新中国の変革の大きな火付け役となりました。国の代表として相手国に赴く私たちは、他国の文化を知るだけでなく、自国の文化に根差して、相手の利点を取り入れて、自国の資質を向上させるべきだと思います。


文部科学大臣賞・杯

「関東と関西、どちらが好きですか」

クウェート共和国大使館 ユセフ・アルタルケット

外交官2018-3

1998年、私は初めて日本に来ました。高校生のときです。東京で暮らしましたが日本人と接する機会がないことに気づきました。関西に行ったらよいのではないかと思い、姫路の獨協大学に入りました。ワクワクした気持ちで引っ越ししたのですが、がっかりしました。

街には外国人が少なく、小さな繁華街と姫路城しかありません。会話もあいさつだけでした。ある日、床屋さんに行ったら、「バナナ好きなんちゃう」と聞かれました。「なんで分かるんですか」と聞くと、「知り合いが見とったんや」といいました。初めての友だちになりました。

別の日、姫路駅の周辺で買い物をし、タクシーで帰ろうとして運転手さんに住所を伝えようとすると「大丈夫や分かっとるから…」といわれました。もしかして姫路の住民から監視される有名人になったのかと思いました(笑い)。時間が経つにつれ、たくさんの日本人と友だちになりました。

しばらくして、東京に行くことになりました。ある日の朝、道でタバコを吸おうとしたのですが、ライターが見つかりません。タバコを吸っているおじいさんに「ライターを貸してください」といったら、頭から足元までじっと見られ、彼は無言で去っていきました。理由が分かりません。

数日後、姫路に戻る新幹線の中で、タバコを吸おうとしたら、またライターが見つかりません。隣の人に「ライターを貸してくれませんか」というと、「代わりを持っているからあげます」といわれました。好奇心がわいてきて「どちらの方ですか」と聞くと、「姫路です」といいました。やっぱり姫路は最高だと思いました。

2015年に駐日クウェート共和国大使館に赴任しました。9年ぶりの日本です。関西でなかったのが残念でした(笑い)。2年前に姫路に行きましたが、私の知っている姫路ではありませんでした。それから関東がいいか、関西がいいかという比較をしないようになりました。人も街も私自身も時間とともに変わったのです。


文化庁長官賞・杯

「気が付けば日本人になっていた私」

カザフスタン共和国大使館 ダルケノフ・アイドス

外交官2018-4

人間は周りから影響を受けて変化します。2007年に筑波大学に留学して以来、私も著しく変わりました。留学時代のエピソードから話をします。いまだに解明されない謎の経験があります。

ある日、日本人女性を食事に誘いました。彼女は地味でアカ抜けない同級生の一人です。レポートの相談でしたが、彼女はいきなり彼氏の話をして、付き合うのは無理だと匂わせました。私は困惑しました。当時、カザフスタンに美人のガールフレンドがいました。日本で異性を食事に誘うのはデートそのものでしょうか。こういう経験を重ね、私は日本人になっていきました。

日本では話をすると相槌を打ち、分からないと渋い顔をします。カザフスタンにはこのような仕草はありません。わたしはこれが定番になってしまいました。

文化もマスターしました。永遠に続くお礼の文化です。食事に誘うとその日のうちにお礼のメールが来ます。次に会ったときも丁寧なメールが来ます。いまでは私もたいてい2〜3回のお礼ができるようになりました(笑い)。

私が名付けた新しい文化があります。エレベータ対応文化です。乗り降りのときに「すみません」といいます。ボタンの近くの人は、乗り降りする人の行き先に責任を持ちます。人が入ってくるたびに「何階ですか」といいます。大変感激しました。カザフスタンにぜひこの文化を広めたいと思います。

最後にもう1点。靴をそろえると聞いてどこまで想像しますか。カザフスタンでも靴は並べます。ところがポイントは靴の向きを玄関の方に向けるかどうかです。数年前、カザフスタンの空手道場に行きました。日本人の師範は、子供たちに靴のそろえ方から教えました。靴を整えることは、自分の心も整えましょうという意味だと教わりました。

日本人の気遣いの心が伝わってきました。


審査委員特別賞-1

「20年ぶりの東京」

キューバ共和国大使館 クラディオ・モンソン

外交官2018-5

私は日本での生活を経験したことがあります。私が9歳のころ、父親がキューバ大使館に派遣され、家族とともに私も日本に来ることになりました。父親は日本人の暮らしが分かるよう、私を港区の普通の区立小学校に入れました。キューバに帰りたいと思いました。ところが時間が経つにつれて、この国のすばらしさに少しずつ気が付いていきました。4年が経ち、キューバに帰ることになって友だちと別れることがどれほどつらかったことか。それから20年の間、私が日本に来る機会は一度もありませんでした。

今回、私が東京への派遣が決まったときは複雑な気持ちでした。懐かしい場所を散歩するとか、ずっと会えなかった友だちと再会するとか、期待もありましたが不安もありました。私の知っている東京はどれほど変わっているのか、カルチャーショックがあるだろうと思いました。実際に来てみるとまったく昔と違和感がありません。

東京は進化し続けながらも生活は変わらない街でした。子供の頃通った道を歩くと、建物や看板は新しくなっていますが、その道の雰囲気はまったく一緒でした。

東京に来て新しく実感したこともあります。子供のころは当たり前だと思っていたことが、大人の目で見ると違って見えました。東京はどれだけ清潔で便利な街なのか、人がどれだけ礼儀正しいのか、世界のどの都市に比べても東京は優れています。そして大人になって一緒に仕事をすると日本人がいかに規律正しく、努力家なのかが理解できました。

この社会は一人ひとりが自分の役割を果たしていることで成り立っているのだと思いました。私はキューバと日本の交流がさらに深まるよう外交官として働き続けます。


審査委員特別賞-2

「和をもって貴しとなす」

中華人民共和国大使館 金 ショウ

外交官2018-6

この言葉は聖徳太子の憲法17条の中にあります。日本で最も知られた言葉の1つですが中国の論語に由来しています。辞書には「何事をやるにもみんな仲良くやり、いさかいを起こさないことがよい」という解釈があります。人と人、民族と民族、国と国が仲良く助け合ってつきあうことが大事です。

先週YouTube(ユーチューブ)で見たある動画に感動しました。中国に留学中の日本人学生が、現地の人に道を尋ねたところ、いずれも親切にしてくれました。その女性は「南京ではだれも助けてくれないと思っていました。南京の人は日本人が嫌いだと思っていました」と語りました。「南京の人々は日本人だから助けないと思っていないのよ」と南京の人が話しました。「昔のことだから、いまの日本人と関係ないことだよ」とも語りました。

懐かしい南京の言葉で語る地元の人々の声に南京生まれの私はほっこりとしました。10年前、私は交換留学生として日本に訪れ、3カ月間日本でホームスティしました。新しい学校、教科書、同級生、家、すべてが新しくなりました。見知らぬ日本人の家で3カ月間も暮らすのは私にとっても心配でした。でもみんなが親切に接してくれました。私が生の魚が食べられないと知って、刺身が好きなホストファミリーはわざわざ調理した魚を出してくれました。お母さんは毎日弁当をつくり、お父さんは玄関まで見送ってくれました。とても有意義な3カ月でした。

人と人の関係も国と国の関係も、自分の利益だけを考えるのではなくて、平和の尊さを知って、お互いの立場を尊重することが必要です。留学から10年を経て、私は外交官として日本に来ました。外交官としての心は、この「和をもって貴しとなす」が原点です。今年は中日友好40周年の節目の年です。両国関係の改善とさらなる発展を祈ります。


特別功労賞

「私を励ましてくれた言葉」

ポーランド共和国大使館 マウゴジャータ・シュミット

外交官2018-7

今年の6月18日、日本が大好きな私にとって困ったことがあります。日本とポーランドのサッカーワールドカップの試合です。芯の強いポーランド人が相手の試合ですから、日本の方もたくさんの応援が必要です。ポーランド人としてはポーランドチームを応援すべきだという声もあり、どっちを応援すべきか私は迷っています。まだ少し時間があるのでゆっくり考えさせてください。

私の知るところでは、どちらの国民も負けず嫌いのところがあります。6月の試合は結果はともかく面白いものになると思います。この試合を通じて日本のポーランドに対する理解が進むことは私が一番望むところです。選手たちが必要としているのは周りの人たちからの応援です。それは多くの人が自分の夢や目標に向かう場合に必要としていることです。

私は昨年の9月、6年ぶりに2回目の来日をしました。ずっと日本に派遣されず、日本を離れている時間がとても長く感じました。そこでおととしの4月に2週間の休みをとって日本に来ました。そのときに訪れた長崎の五島列島が私を魅了してくれました。

緑の島とエメラルド色の海。なんともいえない感動を受けました。島で小さなカフェを営む90歳くらいのおばあさんに会いました。そのおばあさんに日本に派遣されないという悩みを打ち明けたところ、顔に温かい微笑みを浮かべ「物事には順序があります。辛抱強く待ちなさい」といいました。まるで私の将来が分かるかのようでした。

それからちょうど1年後、私は再び日本に派遣されるという通知が私のデスクに届きました。偶然かもしれませんが、私はあのおばあさんによって日本に派遣されることが決まったように思いました。応援の力はとても大きいと思います。いつかポーランドに戻りますが、3回目の来日が決まるよう応援してください。

外交官2018-8


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