CSRフラッシュ
震災と原発事故から8年いわき放射能市民測定室「たらちね」の取り組み
いわき放射能市民測定室たらちね。東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射能の広がりに危機意識をもった地域の母親たちが、家族と子どもたちの命を守り、安全な食材を求めて放射能測定を始めたのがきっかけでした。震災と原発事故から8年。人々の記憶が薄らぐ中で、今も地道に続けられる「たらちね」の取組みから見えてきた課題に迫ります。[2019年3月11日公開]
見えない被害を“見える化”したい
今も続く放射能測定と甲状腺検診
福島県の南端に位置するいわき市。2011年3月に起きた東日本大震災の後、市内の避難所は東京電力福島第一原子力発電所周辺から逃れてきた避難民であふれ、さながら野戦病院のような状況が続いていました。
「被災地の母親たちが一番気掛かりだったのは、原発から漏れた放射能による被ばく被害です。当時のいわき市には妊娠中の母親や小さな子ども連れの家族も大勢いました」と語るのは、「いわき放射能市民測定室たらちね(以下たらちねと略)」で事務局長を務める鈴木薫さんです。
わが子や家族の放射能による被害を心配する母親たちが中心となり、2011年11月に市民の自発的な取り組みとして始まったのが「たらちね」の活動でした。
測る・診る・守る。
医師のボランティアから始まった「たらちねクリニック」
原発事故は、時間の経過とともにより深刻な状況であることが明らかとなりました。しかし、事故で飛散した放射能が私たちにどのような被害をもたらすかについては、どこからもしっかりとした説明はありません。
「不安を払しょくするには、“見えない、におわない、感じない”放射能汚染の被害を誰もが分かるようにしたいと思ったのです」と鈴木さん。
「たらちね」が開所して以後、「食材の放射能測定」「全身放射能測定」「土壌放射能測定」などが始まり、さらに3歳児以上を対象にした福島県内および近隣県での甲状腺巡回検診などがボランティアの医師を募って開催されました。
2年前の2017年5月に開所した「たらちねクリニック」で院長を務める藤田操さんもそんな医師の一人。わが国初の放射能測定室併設型の常設クリニックとして、甲状腺検診などを行うほか、通常の保険診療に加えて子どもたちが無料で受けられる人間ドック=「こどもドック」を運営しています。
藤田医師によれば「原発事故による環境汚染はまだ全容が明らかになっていません。原発事故による広範囲の低線量被ばくがもたらす健康被害については分かっていることよりも分からないことの方が多く、被害を拡大させないためにも“予防原則”の観点から子どもたちを見守っていかなければなりません」と語ってくれました。
「たらちね」が行う甲状腺検診などの受診者はこの7年半余りで1万人を超えています。
食品の採取場所で異なる
放射能汚染の実態
もう1つの柱が食品の“安心・安全”をいかにして確保するかという取り組みです。「たらちね」には、今も地域の保育所や学校、食堂などから食品サンプルが持ち込まれてきます。
取材当日もじゃがいも、みかん、なめこなどが持ち込まれていました。食品に含まれたセシウム134、セシウム137、ヨウ素131、カリウム40、トリチウム、ストロンチウム90の含有量を計測するには、専用の測定器で長時間にわたって計測する必要があります。
機器の購入には全国の支援団体からの寄付を充て、4人の測定スタッフがそれぞれ手分けをして取り組んでいました。
食品や土壌に含まれる放射能線量は、福島県でも平地などで減少は見られるものの、除染が行われなかった山間地では今も高い数値が出ます。
山間地で採れる山菜やキノコはかつて自然の恵みとして珍重されてきましたが、食品として口にするにはまだまだ危険な状況にあります。
「たらちね」が拠点を置くいわき市の小名浜地区は漁業基地として知られています。震災前は新鮮な魚介類が地域の名産品でしたが、震災後はその消費は禁止され、市内の料理店・飲食店の多くが、“地元産でない”ことを売り看板にするようになっています。なんとも残念な光景だといわざるをえません。
放射性物質を含む食品からの被ばく線量の上限は、原発事故後、厚生労働省によって基準値が見直されました。新しい基準値では、年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトに引き下げられ、これをもとに放射性セシウムの基準値を設定しています。
「たらちね」のホームページでは、持ち込まれた食品の品名・採取地・採取月・測定値などを2011年の「たらちね」の開所以来、月単位で発表しています。今もときおり異常な数値を示す赤色で表記される食品が、福島県内だけでなく福島以外から持ち込まれた検体でも見られ、放射能の広がりの怖さを示しています。
親子の保養相談を受け付け
子どもたちの健康を維持する
「ここで遊んではいけない」「あれに触れてはダメ」「これを食べたり、飲んだりしないで」――子どもたちにとって、この8年間は毎日がつらい体験の連続でした。放射能被ばくという目に見えない恐怖の中で委縮して暮らしてきたのです。
2012年1月、元沖縄県知事の大田昌秀さんの紹介で沖縄・久米島に福島の子どもたちのための保養施設が開設されました。沖縄・球美(くみ)の里です。
球美の里の運営には、チェルノブイリ原発事故の教訓が生かされています。チェルノブイリで被害を受けた子どもたちを隣国のベラルーシの保養施設「希望」にあずけたところ、保養した子どもの体内放射性物質が25〜30%減少し、9割以上の子どもたちに健康回復が見られたとの報告がありました。
球美の里への子どもたちの派遣は、久米島の施設がオープンした2012年7月に福島の子どもと保護者51人からなる第一次グループの受け入れから始まりました。日本の浜100選に選ばれたイーフビーチや東洋一といわれる規模を持つサンゴ礁でできたハテの浜で自然観察をしたり、泥染めをしたり、お菓子をつくったり、地元の方々と交流したり――放射能の恐怖から解放され、子どもたちは充実した日々を過ごします。
沖縄・球美の里への派遣は、2019年2月初めで101回を数え、子ども3,470人、保護者846人の計4,316人が球美の里の保養に参加しています。
保養プログラムには、昨年から夏休みをイタリア北部で過ごす、「サマーステイ転地保養カーサー・オルト イタリアみんなの家」へのあっせんも始まりました。こちらはイタリア在住の日本人と日本を愛するイタリア人によって運営されています。
8年を経て見えてきたもの。母子、夫婦、家族、地域……
引き裂かれた関係性をいかに修復するのか
「8年が経ってようやく見えてきたものがあります。原発事故で引き裂かれた母子、夫婦、家族、地域の分断の傷口が思った以上に深いという実感です」と鈴木薫さん。「たらちね」にとってこの8年は、目まぐるしく動く周囲の変化の中で地域の課題に向き合い続けた8年でしたが、まだまだ先が見えてきません。
福島の原発事故被災地では、避難指示区域から解除されても住民が戻らない地域があちこちで見られます。県外に避難した人もいれば、いわき市に住み着いた人もいます。中には夫婦や家族が離れ離れに暮らす家族も多く見られます。
「原発事故当時、母親のお腹の中にいた子どもたちももう小学生になりました。でも、子育てをする親たちにはまだまだ不安が一杯です」と鈴木さん。
この1月、「たらちね」は、現在の事務所から車で5分ほどの場所に、「あとりえ たらちね Uwari un pe(ワルンぺ)」を開設しました。
「子どもが誰にも気兼ねなく遊ぶ場所です」とワルンぺの担当者である松坂美由紀さんが語ってくれました。発達障害などがある子を問題のある子とひとくくりにするのではなく、1対1で向き合うことで子どもの心を開いていこうという取り組みです。
今、松坂さんは子どもの問診・面接・行動観察・検査などで少しでも正確な把握ができるよう認定心理士の資格に挑戦したいと語ってくれました。
今、「たらちね」では、ストロンチウム90の測定をテーマとした絵本の作成を行っています。ストロンチウム90は人間の体内に摂取されると大部分が骨に取り込まれてしまい、骨に蓄積すると深刻な内部被曝を引き起こし、骨腫瘍および白血病の危険性が指摘されるもの。この日は、3月の出版に向け4人の編集責任者が打ち合わせを行っていました。
チェルノブイリで子どもの甲状腺がんが急増したのは原発事故の5年後だとされています。「慢性的に病気」の子どもの数が「健康といえる」子どもの数を超えたのは事故の7年後のことでした。
東日本大震災後、8年もの長きにわたって放射能被害の“見える化”に努めてきた「いわき放射能市民測定室たらちね」。その真価が発揮されるのは、これからかもしれません。
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