CSRフラッシュ
日本語で互いの違いを理解する
第22回大使館員日本語スピーチコンテスト2019各国大使館員による日本語スピーチコンテストが今年も6月に開催された。22回目をとなる今年の出場者は11カ国11人。初参加者もいれば出場歴3回を誇るベテランもいて、会場は大いに盛り上がった。受賞者6人のスピーチを届けたい。[2019年7月3日更新]
外務大臣賞
「多言語話者は多重人格者 マルチリンガルについて考える」
ポーランド共和国大使館 マリア・ジュラフスカ
日本語を学ぶきっかけは、言葉の背景にある興味深い文化を知りたいと思ったからです。外国語の勉強が好きだった私は、挑戦できる難しい言語がいいと考え、あえて日本語を選びました。漢字や敬語のある日本語は確かに難しかったのですが、その勉強をとおして新しい世界を知ることができました。
言葉は、歴史、社会秩序、上下関係などその国の文化を知らないとコミュニケーションはなりたちません。日本語には特にそれが必要です。
私は勉強のお陰もあって、2008年に「言葉と平和」をテーマにした日本語サミットにポーランドから初参加しました。そこで16か国のパネリストとディスカッションしました。日本語は異文化を知る道具として、参加者との良好な関係を保つ力になりました。
私は日本語の勉強を通じて相手のことを気づかうようになりました。敬語を使うことでさらに礼儀正しくならないといけないし、あいまいな表現や否定の表現などもあり、日本語は外交に適した言葉ではないかと思っています。
世界ではいまも紛争が起きています。難しいのは共通の言語によるコミュニケーションです。英語が一般的な共通語になっていますが、それは情報を共有するために便利だからであって、人間関係を深く考えさせる言葉ではないと思います。
それに対して日本語には相手を気づかう力があります。言葉の使い方で表現を柔らかくする力もあります。たとえば「よろしくお願いします」はお願いごとですが、相手にやる気を起こします。
日本語で会話をするときは、丁寧に話し、敬語も使うので、姿勢も美しくなります。ポーランド語で話すときとは別人です。ポーランド語を学ぶ友人に聞くと、ポーランド語はオープンでストレートなのだそうです。つまり言葉によって同じ人でも生まれ変わることができ、世界は大きく広がります。
文部科学大臣賞
「雨の日の露天風呂」
大韓民国大使館 ジョン・ビョン・シク
日本で3年間勤務しました。この間、印象に残っていることが3つほどあります。温泉、プールでのライフガード、忘れ物についてです。なかでも印象深いのは露天風呂のある温泉です。露天風呂に浸かって、涼しい風を感じ、おだやかな気持ちになれることです。
箱根に行きました。急に激しい雨が降ってきて旅館に戻りました。すぐに露天風呂に行ったところ、だれもいませんでした。雨の中の一人きりの露天風呂。最高の幸せを感じる瞬間でした。ずっと貴重な思い出として残りました。
日本に来てまもなく、近くのプールに行きました。利用者はたまたま私一人でした。安全を見守るライフガードは3人もいました。1人が私を見守るだけで十分ですが、3人が私を見守っています。彼らの真面目な仕事ぶりを見て、私も一生懸命泳がなければならなくなりました(笑い)。どんな仕事にも心を込めて向きあう姿に感心しました。
日本に来る前、日本語の先生から「日本では電車の中に忘れ物をしても戻ってくる確率はほぼ100%だ」と聞かされました。大使館の同僚の話ですが、彼が日本に赴任してきた10年前、家賃の入ったカバンをある場所に忘れたそうです。夕方になってやっと気づき、あわてて戻ったところ、現金の入ったカバンがそのまま置いてありました。
息子が学校の運動会の帰り、電車の中にランニングシューズを忘れました。私は息子に心配しなくても大丈夫と言い、忘れ物取扱所の電話番号を教えました。次の日、ランニングシューズは息子のもとに戻ってきました。
私はこの真面目さこそが日本社会を支えている力だと思います。しかし、日本に来て驚かされたこともあります。駐車代が高いことです。クルマを駐車し、食事時間が少し長くなると食事代よりも駐車代の方が高くなりました(笑)。駐車代や高速道路の通行料金がいまの半分くらいだったら、3年間もっと旅行に行き、消費をしてアベノミクスに協力できたと思います(笑)。
2カ月後、私は韓国に帰国します。長男が日本の大学に進学が決まりました。皆さん、雨の日には、露天風呂が大好きな韓国の外交官を思い出してください。
文化庁長官賞
「インクルーシブな社会を目指そう!」
アメリカ合衆国大使館 ジョイソン・ハクワース
自動運転車、無人コンビニ、ロボットのみの工場――SFの世界に過ぎなかったことが、少子化や人手不足の中で現実のものとなっています。日本では人が足りないとよくいわれています。その解決手段は無人化しかないのでしょうか。私たちが感じている人手不足は、それほど深刻ではないと思います。
本来なら、社会に貢献できる人が社会から排除されています。さまざまなハンディキャップをもつ障がい者です。技術が進み、障がい者もよりよい生活ができるようになっています。福祉機器が障がい者のコミュニケーションや体の動きをサポートしているからです。思い当たる例があります。筋萎縮性側索硬化症という難病に苦しんでいたホーキンス博士は、車いすや意思伝達装置を使って理論物理学の世界や世界そのものを変革しました。
インパクトは違うかもしれませんが、やる気がある障がい者による社会への貢献も大事です。これを人手不足の課題と結び付けたらどうでしょうか。
無人化の価値、たとえば利便性や生産性への向上は、日本の高度なテクノロジーで実現されています。その技術で人々に力を与えることに目を向ければ、社会にさらなる価値をもたらすのではないでしょうか。
私の娘も障がい者と呼ばれています。自閉症のためコミュニケーションをとるのが難しいのです。しかし、人と関係をつくることが苦手だからといって、社会人になりたくないわけではありません。彼女は、未来の夢を毎日いきいきと語ってくれています。
「パパ、大人になったらパン屋さんになりたい」。父親としてその夢をかなえてあげたいと思います。夢を見ているすべての障がい者のために、もっとインクルーシブ(包括的)な社会を目指していこうではありませんか。
私から見れば、社会に貢献できる人は沢山います。その人たちのために新たな社会をつくりたいのです。技術の発展を推進しつつ、われわれ人間の考え方も進化できるでしょう。人手不足の完全な解決にはなりませんが、おぎなうことはできると思います。夢を見ている人たちが、夢をかなえられる日が来ると信じています。
審査委員特別賞-1
「私と日本」
マレーシア大使館 イシュリン・イスハック
36〜7年前、マレーシアの男の子はウルトラマンに夢中でした。私もその一人で、夜店で母にウルトラマンのお面を買ってもらいました。当時、ウルトラマンが日本から来たものだと知りませんでした。その頃のわが家には、ナショナルの炊飯器や扇風機もありました。
小学生になると日本の影響を感じました。『おしん』『はね駒(こんま)』「スチュワーデス物語』が人気でした。バレーボールが好きだった私の大好きなドラマは『燃えよアタック』でした。これらのドラマは日本人のライフスタイルをかいま見せてくれ、日本に興味を持ち、もっと知りたくなりました。
私がいつも神様に感謝するのは、日本語クラスのある中学校、高校に通学できたことです。このような学校は少なかったのですが、中学生で日本語クラスを選ぶことができました。最初のレッスンはひらがなとカタカナでした。そのあと、身近にあったものを日本語で読んでみました。日本語が読めることに大きな喜びを感じました。先生はJICAのボランティアの方たちでした。教え方はとてもシステマチックで、私の頭に日本語の学ぶ枠組を与えてくれました。
私は、マハティール首相が提唱した「ルックイースト政策」のお陰で日本の大学に進学することができました。私は東京工業大学で学び、卒業後は帰国して日本企業でエンジニアとして働きましたが、もっといろいろな国の人と一緒に働きたいと思い、その後マレーシアの外務省に入りました。
その後、数カ国の大使館を経て、再び東京に赴任しました。かつて私が住んでいた二子玉川は大きく変わっていました。髪の毛も薄くなりました。いまは給料をもらっているので、かつて行けなかったところにも行けます。日本の47都道府県のうち、18の都道府県に行きました。先月は母親と一緒に北海道にも旅行しました。
いまマレーシアは、再びマハティール首相が政権に就き、5月に行われた首脳会談でも、38年前に提唱した「ルックイースト政策」を道しるべとして、これからも両国の友好的で互恵的な関係を続けることで合意しました。私も両国の関係がさらに深まるよう、努力を続けていきます。
審査委員特別賞-2
「あいづち? いいえ、それは〈あいうえおづち!〉」
英国大使館 キース・フランクリン
>日本に来る前、「あいうえお」について勉強しました。それだけで会話できるとは思っていませんでしたが、「ああ」「いい」「う」「えっ」「おう」と少し伸ばすだけでも会話になりました(笑)。それは「あいづち」にすぎませんが、それも日本の文化です。異なる文化を理解することはとても大切です。知らなかったことに気づくことも大切です。
私の妹はフランスに住んでいます。ときどき妹に会いに行きます。いつも地元のパン屋さんに行くのですが、私がつたないフランス語で語り掛けてもパン屋さんは失礼な態度です。ところが妹は教えてくれました。フランスではお店に入るときはいつも「ボンジュール」とあいさつしなければならないというのです。本当のようです。
日本で一番大変なのは会議の準備です。日本ではどこにだれが座るかが大変重要な会議の準備になります。イギリスでは席順はそれほど重要ではありません。それを気にしなければ仕事は一つ減るわけですから、喜んでよいはずなのですが、日本人の彼には席順がいらないということがなかなか理解できません。
彼は「イギリス側の席順をください」と私に聞いてきます。イギリスでは「だれがどこに座っても問題ない」というのですが、それが理解されません。いまは私がレフリーです。結論は何でしょうか。どうしてそれが必要なのでしょうか。
でも、彼には席順は必要なのです。会議に出席する人のためにとても大切なのです。「席順は結構ですが、出席者の役職を渡しますね」と私。「どうもありがとうございます」と彼。「会議のあとでビールを飲みませんか」と私。「いい考えです」と彼。二人で「乾杯」(笑)。
特別奨励省
「カタールと日本におけるスポーツ」
カタール国大使館 アブドゥラ・ジャシム・アルズィヤラ
今年で3回目の出場になりますが、1度も賞をもらっていません(笑)。今年こそよろしくお願いします(会場から大きな拍手)。
スポーツはとても大事なものです。日本では年配の方々もスポーツが大好きです。スポーツ観戦にも積極的です。スポーツは世界の人々をつなげます。サッカーワールドカップやオリンピックのイベントでは大きく盛り上がります。
いま、カタールはスポーツに力を入れています。初めての国際的なイベントは2006年のアジア競技大会でした。2013年からナショナルスポーツデーとして毎年2月に祝日が実施されています。この6月3日に2019年と2020年のサッカークラブによるクラブワールドカップがカタールで開催されると決定しました。2022年にはサッカーワールドカップも開催されます。皆さん、ぜひカタールに来てください。
今年のアジアカップ決勝戦では日本がカタールに負けました。1993年にはあの有名な「ドーハの悲劇」が起きていますが、次はそれを乗り越えて「ドーハの歓喜」に変えていきましよう。
日本もスポーツをとても大切にしています。今年は、ラグビーワールドカップが日本で開催されますし、来年は東京オリンピックも開催されます。1964年以来の開催です。2020年には日本選手が多くのゲームでメダルを獲得するでしょう。カタールの選手たちもそれに負けない活躍をするはずです。今年のラグビーワールドカップと来年の東京オリンピックとともに、2019年と2020年のカタールでのサッカークラブによるワールドカップの成功を願っています。一緒にがんばりましょう。
あらためて皆さん、カタールにぜひ来てください。ドーハの悲劇を忘れましょう。来年、私は日本にいないかもしれません。だから今回はぜひ賞をください(笑いと拍手)。
※受賞者のスピーチは、当日話された内容をもとに当編集部で要約したため、一部内容に変更があることをご理解ください。
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