識者に聞く
被災地はあなたの支援を待っています。さあ、てんぷらバスで、週末ボランティアに参加しよう。
アースデイ東京タワー・ボランティアセンター ハッタケンタロー事務局長 (みなと環境にやさしい事業者会議事務局、種まき大作戦実行委員会ほか)東日本大震災から3カ月が経過した。広域に及ぶ大震災とあって、各地の復旧・復興に向けた足取りにはまだら模様が見える。高齢者が多く住む地域では、瓦礫の撤去や家屋の泥の除去作業がいまなお大きな難題だ。東京タワーを拠点に、毎週末にボランティアを派遣してきたアースデイ東京タワー・ボランティアセンターのハッタケンタロー事務局長に週末ボランティアの意義について聞いた。
Q 3.11の震災後、どのような取り組みを、主としてどのような地域を対象に展開してきたのですか。
ハッタ 今日で11回目の週末ボランティア・アクション(6月3日~4日)になります。被災直後は自動車の燃料となるガソリンも軽油も不足していましたので、今こそ、これまでグリーンツーリズムで実績を積んできた、てんぷら廃油燃料(BDF)で被災地にバスを走らせたらどうか、という話になりました。
仲間のリボーン<エコツーリズム・ネットワーク>さんの協力で、「てんぷらバスで行く!週末ボランティア・アクション」が実現することになりました。震災から2週間後の3月26日に第一便が宮城県石巻市へ出発しました。
これまで300人ほどのメンバーが石巻市を中心に週末ボランティアに参加し、炊き出し、泥かき、瓦礫の中からの写真など思い出の宝物探しや清掃などのボランティア活動に参加してくれました。
本日参加の男性Aさんは、ゴールデンウィークに入る4月29日に初参加、泥かきに参加しました。また先々週の2回目はホタテ貝の山を、冠水しない川向うに運び出して、種付け作業ができる環境を整えるという仕事に参加しました。貴重な経験だったと聞いています。
彼の感想は、行くたび少しずつ改善されているが、今なお全く手付かずの地域もあり、そのギャップが痛々しいというものです。
現地の皆さんは初めは茫然自失という印象でしたが、ようやく元気を取り戻して、やりなおそうという意気込みも生まれていると聞いています。
Q アースデイ東京タワー・ボランティアセンターはどのような経緯で生まれた団体でしょうか。またどのような方々が核になっているのですか。
ハッタ 3.11は誰もが心を揺さぶられた大震災でした。都内で仕事をしていた会社員の多くが帰宅難民になるという経験をしましたが、あの震災を境にいままでどおり仕事だけをしていてよいのかという思いが強く芽生えたという話をあちこちで聞きます。
私自身は、港区で「みなと環境にやさしい事業者会議」の事務局スタッフとして、港区に在住する会員企業(現在約60社)や港区役所などとともに、5年前から「エコバザー」「打ち水大作戦」「クリーンアップ」大作戦など地域に根ざした活動に協力してきました。
震災直後に会員企業の1つである「らでぃっしゅぼーや㈱」「東京タワー(日本電波塔㈱)」から、「どこか被災地に救援物資を送りたい」という相談を受け、私が実行委員である「アースデイ東京」が、その送り先のコーディネートをしました。「アースデイ東京」とは毎年4月に代々木公園で開催される環境フェスティバルのことで、その実行委員は、普段はさまざまな環境や社会活動に従事しています。
さまざまなネットワークで全国とつながっている組織なのですが、そのつながりの1つに阪神・淡路大震災で活躍した「神戸元気村」の元メンバーがおり、被災直後から現地で救援活動を行っているのを知り、彼らへの後方支援活動として、今回のような救援物資を送る活動が始まりました。「神戸元気村」の元メンバーは、3.11直後の翌日から名取市(宮城県)で支援を行い、5日程たって被害が甚大な石巻市(宮城県)に移動し、現在も石巻市を拠点に活動を続けています。
継続的に後方支援する東京の拠点の必要性から、東京タワーを運営する「日本電波塔㈱」に話をしたところ1階の1室を事務所として貸し出してくれました。東京タワー自体も、あの地震で被害を受け、また被害のあった大船渡は、毎年、サンマまつりで縁があるため、私たちの震災支援活動を快く受け入れてくれました。東京タワーは東京のシンボルでもありますし、誰にとっても分かりやすく、大型のトラックやバスも受け入れやすいなどさまざまな利点があり、後方支援拠点としての「アースデイ東京タワー・ボランティアセンター」にふさわしい場所だと考えています。