被災地からの報告

大津波に立ち向かった松林“奇跡の一本松”に再生への願いをこめて

国際森林年記念シンポジウム「海岸林を考える~東日本大震災からの復旧・復興に向けて~」から

国際森林年記念シンポジウム「海岸林を考える~東日本大震災からの復旧・復興に向けて~」が先頃、東京都江東区の木材会館で開催された。わずか1本の松を残して壊滅的な被害を受けた陸前高田市の「高田松原を守る会」の佐々木松男さんが登壇、市民に親しまれた高田松原の思い出を語った。

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チリ地震津波で町を守った高田松原

「高田松原を守る会」佐々木松男氏

岩手県の陸前高田市からやって来ました佐々木松男です。
つい3年前、平成20年の11月に日本海岸林学会様の岩手県大会が私の住む陸前高田市で開かれました。その折には沢山の先生方に陸前高田市にお越しいただきました。その大会で少年時代に体験したチリ地震津波(1960年に起きたチリを震源地とする地震により、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来。三陸沿岸で142名が犠牲に)の体験をお話させてもらいました。子供の目線で見たチリ沖地震の報告ということでした。 

チリ沖地震による津波の被害を防いだのは高田松原でした。子ども心に高田松原というのはなんと素晴らしい松林なのだろうと思いました。その折、私は高田松原に見に行ったのですが、子どもの目でも松原が津波と闘っているように見えました。

津波に対する松林の軽減効果というのを先生方はおっしゃいますが、私はそれをザル効果と呼んでいます。ソーメンを冷やすときは、水道の強い水をザルの中に入れて冷ましますよね。ザルを通った水が強い水道水の圧力を軽減するのがよく分かります。高田松原がチリ地震津波を軽減してくれたお陰で陸前高田の町は救われたと思ってきました。

チリ地震津波の直後に私が高田松原に見に行ったときも漁師さんが松の木をつたって命が助かったと言っていました。その後の経験では一人だけではなく、大勢の人が松原をつたって助けられたと聞きました。3年前の日本海岸林学会ではその話もさせていただきました。

東日本大震災では市民の半数が被災

本日は、このような場で高田松原の話をすることになろうとは夢にも思いませんでした。皆さんもご承知のように陸前高田市は今回の東日本大震災の津波により、死者行方不明者が2,100名以上出ました。被災者は24,000人の市の人口のうち約半数、死者行方不明者だけで市民の10%にも及んでいます。まさに壊滅的な状況です。私自身も家や会社やクルマなどを失いました。そして妻を亡くしてしまいました。私を含めて多くの市民がまだ避難所で生活しています。本当につらい日々です。

当日、私は会社の事務所にいました。私の会社の前に大きなスーパーがありまして、お客様もいましたので避難誘導のお手伝いをしました。それから書類やデータを集めて避難体制を整えました。ところが、どういうわけか逃げ遅れてしまいました。長男に津波がすぐ近くまで来たと聞いて、市役所の庁舎に向かいました。大きな津波が私の目の前10メートルくらいに迫ってきたときに、市役所の庁舎に入りました。

2階の踊り場から窓の外を見たときに、津波が2階の窓を壊して入り込んで来ました。

それをかわすようにして3階から屋上の方に逃げました。なにしろ一生懸命に走りました。命だけは救われました。

第一波はそういった状況でした。屋上から見ていると強い引き波がありまして、続いて第二波が押し寄せてきました。第一波よりも2メールほど高いという印象でした。瓦礫や大木なども一緒です。市役所にゴーンという音を打ちつけながら、襲ってきました。

一番大きかった第三波

第3波はそれから1時間ほどあとにやってきました。来て、止まって、それから引きます。それが45分から1時間くらいの間隔を空けて次々と襲ってきました。その後もそのような繰り返しでした。第三波が一番大きかったと思います。市役所の屋上に貯水タンクがありますが、そこに市民と職員50名ほどが駆け上りまして、屋上を越えた第三波をやり過ごすことができました。第四波がこれを上回ったらもう終わりだと命の覚悟をしました。第四波は第三波を越えることはありませんでした。

その後も1時間おきくらいに津波は押し寄せました。津波は次第に規模を弱めながらも一晩中押し寄せてきました。記憶は定かではありませんが、私が避難するときに、まだ避難をしないで市民を避難誘導していた市職員が何人もいました。その方々の中に命を落とした方もいたと思います。市職員の1/3が亡くなりました。そのときに命を落とした市職員のご冥福を祈らずにはいられません。

私の体験はこれくらいにして、本題に入りましょう。

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