震災ボランティア

「奇跡の石巻モデル」7カ月の災害ボランティアから学ぶ

ピースボート災害ボランティアセンターの活動から

ボランティア参加者からの報告 

エリカ・アンギャル
(ミス・ユニバース・ジャパン公式栄養コンサルタント) 

エリカ・アンギャルさん(左)

私はインターネットでボランティア先を調べました。イギリス大使が紹介していました。外国人だと翻訳をつける費用が掛かり、かなり高かったのです。その後、誰かのブログを読んだら、ピースボートで週末のボランティアがあるとわかりました。それで美馬さんを誘いました。

テレビで見ていた映像と実際の光景の落差を感じました。大変だと思いました。信じられないほど津波の脅威は大きいと思いました。360度で見えるから大変ショックでした。

実は初日に市民プールの泥だしを担当しました。初めは絶対1日でできると思いました。それが1日ではできませんでした。まだまだたくさんの応援が必要だと思いました。プールの泥かきをしていたときに大きな余震がありました。高台に2時間くらい避難しました。

私は日本に15年住んでいます。今回の経験をとおして一段と日本が好きになりました。避難所に行って、皆さんの心の温かさに勇気づけられました。ボランティアの私たちに避難所の方がアイスクリームを買ってくれたり、温かい言葉をかけてくれたり、日本にいてよかったと思いました。まず、現地に行くことです。現地に行けば必要とされていることがわかります。私もまた行きたいと思っています。

美馬 寛子
(2008年ミス・ユニバース日本代表/モデル/ビューティーインストラクター)

美馬 寛子さん

自分たちに何ができるかを考えました。エリカさんに相談したらピースボートを紹介されました。

私とエリカさんは石巻に2度行きました。最初は町の風景を見ても現実として受け止められませんでした。石巻に訪れたのは初めてだったので、これって前からこういう風景だったのかもとも思いました。現実として受け止められない光景でした。

泥まみれになるということは覚悟して行ったのですが、すぐに作業ができません。おがくずを運んできて、おがくずをヘドロの中に入れて踏み出すところからスタートです。前もっていろいろなことを想定し、段取りすることが大切だと思いました。リーダーとして派遣されていたピースボートの方々の苦労が忍ばれます。

避難所にも行きました。平日でした。ほとんどの方がいませんでした。お仕事に出られているということでした。ダンボールで仕切って家のようにして住んでいるわけですが、仕事に出ている方のスペースには許可がないために入れません。そこにいるのはお年寄りとか主婦の方でしたが、私の方が温かい気持ちになりました。

ボランティアに参加するとピースボートの方からマニュアルが配られますが、それさえあれば私たちは現地で生活もできるし、100%の働きができると思いました。やりがいのあるボランティア経験でした。

福島 カツシゲ
(コメディアン、現在は『石巻通心』の編集長として活動)

福島 カツシゲさん

ピースボートの航海で水先案内人の役割をしたことがあります。ピースボートが石巻で活動をしていると聞いたので、僕の力を必要とするだろうと思いました(笑い)。東京からは原動機付き自転車で18時間かけて行きました。原チャリがあると便利だと思ったのです。ところがすでに原チャリが5台ほど支援物資で届けられており、僕の原チャリは必要とされませんでした(笑い)。

エリカさんや美馬さんとは市民プールで一緒に寝泊まりし、市民プールの泥かきも経験しました。

最初に到着したのは石巻の専修大学の構内でした。そのあたりは地震の被害はあったものの、津波の被害はほとんど見られませんでした。これくらいの被災なのかと勘違いしました。ところが川1つ隔てた海側に行くと、建物がなにもありません。町がどのような状態なのか想像できません。石巻に来て5か月ちょっとになります。この間にも、必要とされるものが変わってきましたし、いろいろなアイデアも生まれてきました。水浸しになった泥はそのまま土嚢に入れてもどんどん出てきます。最初は、固めの泥を混ぜることをやったのですが、おがくずだと水も吸うし、軽いままで入れられるということで採用しました。

これからは、こちらに来て経験のある方がまた来てくれたらいいと思いました。『石巻通心』はボランティアの活動の記録を詰め込んだもので、石巻のボランティアに参加された皆さんにも送る予定です。

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