震災ボランティア

「奇跡の石巻モデル」7カ月の災害ボランティアから学ぶ

ピースボート災害ボランティアセンターの活動から

第二部:人こそが人を支援できる

諏訪中央病院名誉院長/作家
鎌田 實

仕事を見つける活動が必要になる

鎌田 實さん

おとといも石巻に行ってきました。スタンドアップという世界的な運動の一環でした。亀井呉服店というところで商店のお祭りがあり、南アフリカでご本人がレイプされてエイズになった人やイラクの劣化ウラン弾の被害があったバスラで僕らの仕事を手伝ってくれている学校の教師、そういう人たちと石巻に行きました。

実は、世界には職が見つからないために生まれる貧困があります。東日本大震災で今後出てくる問題の1つは、職がないという問題です。20世紀最大の精神分析医であるフロイトは、①働く仕事があることと ②愛する人がいること、の2つがあれば何とかなると話しています。

石巻だけでなく、東日本大震災に被災された沿岸地方の方はこの2つを失っている方が多いのです。エイズの方やイラクの方と抱えている問題の本質は同じではないでしょうか。 

若者たちが現地の人に勇気を与えた

亀井さんのお店は140年続いてきて、5代目なのですが、今回の震災でいったん店の復興はあきらめたと言っていました。ところが、ピースボートの人たちが来て、泥かきなどをやってくれて、きれいにしてくれたので、もう1回やれるのではないかと言っていました。潰れそうになっていた心がもう一度やろうという思いでつながったのです。亀井さんのお店は震災当時、呉服の発表会をしていたので、2〜3千万円の呉服が流れたのではないかと推察しています。

立ち上がらせたのはピースボートで集まった若者のボランティアだったのです。 

そうだお風呂をつくろう

被災地に入るときは、いつも相手の立場になって考えることにしています。実際、自分が被災者になって体育館に3週間寝ていたら、なにをしてもらいたいか。それで考えたのがお風呂を支援するということでした。いろいろ知恵を出し、瓦礫を燃やすボイラーがあれば風呂は大丈夫ということになりました。ある町の方が給水車を貸してくれることになりました。それで「千人風呂プロジェクト」が動き始めました。8月末に自衛隊が引き上げてからお風呂がなくなっていました。

1つのお風呂はお寺の敷地を使わせてもらいました。そこが情報のたまり場であったり、発信基地であったり、人と人を結びつける場でもありました。ただ、最初は運営が難しく、ピースボートから人を出してもらって「千人風呂プロジェクト」が軌道に乗りました。もう1つの「希望の湯」は石巻南小学校の校庭に建てられました。これまでに2万人の人が利用しました。

2万人が利用した「希望の湯」

新潟で震災にあった人たちがお風呂に入ったとき、どれほどうれしかったか、もう一度生きようという気になったと話してくれたのが頭の片隅にありました。大型のテントを貸してくれたのが新潟のグループでした。

瓦礫を燃やすボイラーがまたすごかった。そこでお風呂の運営に人を雇うことにしました。被災者の一人が手を挙げてくれました。日当は5,000円と安いのですが、仕事が見つかると家族のリズムも変わってきて、朝、お父さん行ってらっしゃいと見送ることができます。雇用を広げることは大切なことだと思いました。 

福島の子どもたちを海外に

ピースボートは、もともと外国に船を出して、平和とか環境の問題に取り組んでいました。僕も4回ほど船に乗せてもらいました。この若者たちはすごいなあと思っていました。今回の震災の中でやっている仕事を見て、またまた感心したのですが、これを機に世界のどこで災害が起きても、ピースボートなら言葉も強いし、外国の活動で経験も積んでいるし、外国人のスタッフも多いし、人脈を世界中に持っていますしね。 

今回、反省しなければいけないのは、義援金や支援金が一番集まったある団体が、タイムリーに資金を配れていなかったことです。あの1/100でもピースボートに入ったら、もっと大きな仕事をピースボートがしたのではないでしょうか。それこそ石巻の経済復興まで含めてやれたとみています。

先週、私は250人の障害者を松島の観光に連れて行きました。松島の観光がズタズタの状態です。松島に2泊3日で連れていったのです。ここにたくさん観光客を入れてお土産を買ってもらわないと、松島はやっていけません。東北の観光地全体に言えることかもしれませんが。今回の被災では、50社以上の企業からもボランティアが参加したと聞いています。もしかしたら企業ももっと質の高い社会貢献ができるのではと考えていると思います。それと僕たち医療の人間のつながりができると、緊急時に医療と若者たちが町に入って、そのあと企業のノウハウが入り込めれば、日本はこれ以上ない支援活動ができると思います。

もう1つ、福島でピースボートが「子どもプロジェクト」というのを行いました。福島の南相馬市の子供たちが原発の事故以来ずっと外で遊べないという日々が続きました。ピースボートの船に乗って海外に出かけ、国際交流を経験してもらおうというプロジェクトです。50人ほどの中学生がベトナム、シンガポール、スリランカなどのアジアの国を回りました。

 原発事故でいろいろな学者が100ミリシーベルトなら大丈夫だとか、1マイクロシーベルトの中で子供が福島にいること自体許せないなど、空中戦が始まっています。実は、私はピースボートに乗った子供さんの一人に巡回診療をしているのですが、南相馬市のその家の付近は放射線量がものすごく高いのです。お子さんが二人いますが、下のお子さんに適応障害があってなかなか友達と話ができない状況でした。お兄ちゃんもいじめられていて荒れていました。そのお兄ちゃんがピースボートに乗って明るくなって帰ってきました。お母さんもその間に心の余裕を持ち出しました。

「子どもプロジェクト」の実現に向けて、香山リカさん、田部井淳子、田中優さんと私が呼びかけ人になり、資金集めにも協力しました。なんとかぎりぎり800万円が集まり実現にこぎつけました。子供たちは3月11日以降嫌なことがずっと続いていました。彼らは船に乗って物すごくよい経験ができました。自分たちだけ元気ではいけないということで、船の中で南相馬市の子供たちが再びピースボートに乗れるよう募金活動をしました。スリランカでは大統領にも会ったそうです。 

家族を失ったお年寄りから目を離さない

石巻の問題は傷が深い。仮設住宅を巡回診療していると、たとえば家が流れて家族を失った中年おじさんなんかは、厳しい状況に追い込まれています。おじさんたちを孤独にしないことが大切です。今後、日本や海外で同じような災害が起きたときに、ピースボートは今回の経験を生かせると思います。ピースボートの災害援助に大いに期待しています。

※鎌田さんのお話は、ピースボート災害ボランティアセンターの山本隆さんの質問に答える形式でしたが、当編集部で講演形式にまとめさせていただきました。ご了承ください。

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